第三話 異端の吸血鬼
「お前の名前は」
前髪越しに、吸血鬼の額へ銃口を押し付けたまま、神崎は問う。
「レイ」
吸血鬼は視線も上げないまま、そう名乗った。
「姓は」
レイと名乗った吸血鬼は、僅かに、視線を迷わせた。
黙り込んだり、欺こうとするようなら、いつでも引き金を引く準備が神崎にはあった。
けれど、レイの瞳は遠い記憶を手繰るように、一瞬地面へと向けられただけだった。
「……恐らく、榊」
「恐らくとは?」
「母の姓です。名乗ったことはありませんが」
神崎は訝しむように目を細めた。
銃を握り直し、慎重に口を開く。
「お前が、夕陽の下を歩ける理由は」
神崎が最も問題視している疑問だった。
吸血鬼は、陽が沈んで夜が訪れるまでは出歩けない。
日光に触れると、灰となって死ぬ。それが常識であり、数少ない吸血鬼の死の条件だったからだ。
だが、この吸血鬼が夕陽を背負って立つ姿を、神崎はその目で見てしまっていた。
「俺が——」
レイが薄く口を開く。
その声は一度、僅かに途切れた。だが、その表情には相変わらず、何の色も浮かんでいない。
「吸血鬼と人間の、混血だからでしょう」
神崎は口を閉ざした。正確には、言葉が出なかった。
人間と吸血鬼の間に子供が生まれるなど、あり得ないとされている。
その理由はいくつかある。
一つは、単に人間と吸血鬼の間では妊娠する確率が極端に低いとされていること。
もう一つは、吸血鬼は飢えた時、もしくは飢えていなくとも感情が高まると、衝動的に人間の血を欲する性質を持つこと。
そして、理性の利かない獣となって、人間の息が止まるまでその血を啜る。
つまり、吸血鬼と深く関わった人間が生きて帰ってくる例など、ほとんど存在しない。
人間が吸血鬼との共存ではなく、駆除という道を選んだのも、これが大きな理由だった。
だが、レイに牙を立てられた女性は、現に生き延び、自身の足で病院へ向かっている。
こうして銃を突き付けられてなお、襲い掛かってくる様子もない。
確かに、この吸血鬼はあまりに異端な存在だった。
銃を持たない方の手で髪を掻き、神崎は言葉を探しながら口を開いた。
「お前があの女性を殺さずに、生かしたまま血を奪うことが出来たのも、混血だからだというのか」
「俺はそう推測しています」
相変わらず、他人事のような言葉だった。
「お前の父は」
「失踪しています」
「母は」
「人間だったので、もう死んでいるでしょう」
興味も無さそうに、レイは短く息を吐く。
「百年は昔の話ですから」
そう、付け足した。
吸血鬼の特徴の一つ、不老。
正確な寿命は分かっていない。だが、吸血鬼は非常に長い時を生きるとされている。
そしてその間、身体が老いることもない。
「……悍ましい、化け物が」
無意識に、神崎の口から言葉が零れた。
レイの視線が持ち上がり、昏い瞳に神崎の姿が映る。
侮辱され、苛立ったのだと思った。
けれどその瞳には、何の感情も映ってはいなかった。
レイは銃を気にも留めずに立ち上がる。
「では、次は俺の番です」
「まだだ」
「もう十分答えました」
「撃たれたくなければ座れ」
至近距離で銃を構え直し、レイの左胸へと突き付ける。
だが、同時にレイの指先が神崎のネクタイの結び目を押さえるように触れた。
吸血鬼の指先が急所に近付き、無意識の緊張で僅かに息が止まる。
「もう、俺を追わないでください」
「……そんな話が聞けると思うか?」
「鬱陶しいので」
初めてレイが見せた表情だった。
小さな羽虫にほんの少し苛立つような、その程度の感情。
そして瞬きの間に、またしてもその姿は消えた。
銃口ごと振り返っても、見上げても、ほんの数秒前まで目の前にあった人影は見付からない。
「どこへ——」
舌打ちを飲み込みながら視線を巡らせる。
そして、一点に視線を止めた。
レイが見下ろしていた夜の街の明かりが、丘の下に広がっていた。
「街か……!」
神崎は銃を収め、すぐに駆け出した。
一瞬、腕時計へと視線を落とす。まだ夜は始まったばかりだった。
お読みいただきありがとうございます。
評価やブックマーク等で応援いただけると、執筆の励みになります!




