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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第九章 第2節
212/218

7 違和感


 しばらく本と格闘していたが、そもそも興味がなく、仕事に関連はしていても実務に直結するわけでもない遺跡に関する本は、正直退屈だった。


 昼時になりかけた図書館はほどよく暖かく、静かで、柔らかな明かりの中にいると、自然と眠気が湧いてくる。

 

 こらえきれずに欠伸が出た。


 そろそろ切り上げて、どこかでお昼を取ろう。


 そう思いながら、ソナは涙の滲んだ目をごしごしと擦っていた。

 すぐそばに、誰か近づく気配があった。

 あまり何も考えずにその方を見ると、リュックを背負った黒髪の青年。


「フラフニルさんらしからぬ、大きな欠伸だ」


 からかうようにそう言ったのは、カギモト・カイリだった。

 

「か、カギモトさん……」

 

 ソナは慌てて立ち上がろうとしたが、カギモトは肩から大きなリュックを外し、空いていた隣の1人掛けの席に腰を下ろした。すぐにリュックを腹の上に抱える。


「偶然だね」

「いえ母が」

 座り直したソナの口から慌てたように言葉が出てくる。

「私ではなく母の期限切れの本があって、母が行けなくて、わざわざここまで返さないといけなくて」

「え、それ何の言い訳?」

 カギモトが可笑しそうに笑い、ソナの顔を覗き込んでくる。

「俺本当に偶然だと思ってるんだけど、ちがうの?」

「い、いえ……」

  

 カギモトは、認識を阻害する扉の向こうから戻ってきた。

 姿を明かさない者たちとのよくわからない集まりが終わった、ということのようだが。

 一体何をしていたのか。

 聞けるはずもなく。


「堅苦しそうな本読んでるね」とソナの机に積まれた本を眺めるカギモトに、特段変わった様子はない……と思う。


 ──まるで、この人を待ち伏せしていたみたいだ。


 ただ本を読もうと思っただけだ。カギモトが出てくるを待っていたわけではない。決して。

 頭の中でそう繰り返すが、何とも言い難い罪悪感のようなものは拭えなかった。

 ソナは立ち上がり、本を重ねて持つ。


「あの、もう、帰ります」

「あ、そうなの?」

「お腹空いたので」

 返却ラックに本を戻しに行こうとして、

「あのさ」

 と呼び止められる。

 そう声を掛けておきながらカギモトは「えっと」と口籠った。口元は笑っていたが、何かを考えるように目が泳いでいた。

「……なんですか?」

「あの、外に」

 カギモトは軽く咳払いをする。

「ここの外、広場になってるでしょ。芝生の」

「……はあ」

「前に来た時、キッチンカーみたいなのがいくつか来てて、クレープ屋さんとかあった」

「ああ……そうかもしれませんね」  


 確かにこの一帯は他の文化施設や公園もあって、多くの人がピクニックのようにシートを広げて過ごしているような場所である。飲食物の移動販売も、この時間ならあるだろう。


 座ったばかりなのにカギモトも立ち上がり、リュックを背負い直す。

 不思議な気持ちでその様子を見ていると、

「実は俺も腹減ったんだよね。何か食べに行かない? 奢るよ」

 ごく自然な笑みを浮かべて、そう言った。



 §



 緑の芝が昼の日差しを照り返して眩しい。 

 家族連れや老夫婦、若者たちも、食べたり喋ったり、芝に座って思い思いに過ごしている。穏やかな休日の午後だ。


 カギモトの言ったとおり、なだらかな緑の坂の下にはキッチンカーが並んでいて、クレープ屋もあった。

 クレープが焼ける甘い香りが漂う中、ソナは買う人の列にカギモトと並んでいる。


「メニュー見える? 何がいい?」

「見えますけど、あの、自分で買うので」

「遠慮しないで、俺が誘ったんだから」

 結構です、と断るとカギモトはにやりとした。

「じゃあ俺勝手にフラフニルさんの注文しちゃうよ。トッピング全乗せで、クリーム大盛りにして……」

「や、やめてください」  

「それじゃ何頼む?」

 妙に圧のある笑顔を向けられ、周りの目も気になって、ソナはそれ以上抵抗することを諦めた。

「……苺と、チョコレートの」

「了解」とカギモトは嬉しそうに頷いた。


 ……なんだろう。


 カギモトの雰囲気は、いつもよりも不自然に明るく、浮ついて見えた。

 いや、普段からこういうところもあるが……引っかかるのは、カギモトの言動が少し強引に感じるからかもしれない。


 ちょうど自分たちの番になって、カギモトが2人分のコーヒーもさりげなく注文し、会計を済ませた。

 品物はすぐに用意されて、カギモトは「はいどうぞ」とソナの分のクレープとコーヒーを渡す。

「あ、ありがとうございます……」

 紙に包まれたクレープはほんのりと温かい。

「あっちの方空いてる。座って食べよ」


 リュックを背負ったカギモトがさっさと歩いていく。

 通り過ぎるカギモトを、目で追う人たちがちらほらといた。子どもを自分の背に隠そうとする親も。

 非魔力保持者は人目を引く。

 特に、最近の事件のせいだ。

 

 ソナの気分がずしりと沈む。


 周囲の視線などまったく意に介さない様子ですいすいと進んでいくカギモトと距離が空いてしまい、ソナは小走りに追いかけた。



「眩しいね、平気?」

 なだらかな斜面の芝に腰を下ろしたカギモトが、手で庇を作って空を眺める。

「大丈夫です」

「レジャーシートもないけど」

 平気です、とソナはカギモトと適度な距離を取り、箒のケースを横に置いて、暖かくふかふかした芝の上に座った。

 傾斜の下の方には遊具のある公園がある。子どもたちがはしゃいで遊ぶ姿がよく見えた。


 休日の昼に、外でカギモトとクレープを手に一緒にいるなんて、よく考えればおかしい。

 周りは家族や友人の集まりや、多分……恋人同士だらけだ。


 彼はこのあと、例のノダ・アヤセと会うはずだ。

 単にそれまでの時間潰しのつもりで自分を誘ったのだろうか。


「フラフニルさん、日焼けしちゃわないかな」

「別に気にしないです」

 へえ、とカギモトは意外そうに眉を上げた。

「それでそんな色白なの。すごいね」

「……」

「ん、今のはセクハラにあたるやつ? ぎりぎりセーフ?」

 真顔で首をひねるカギモトから「さあ」と目を逸らし、ソナはチョコレートソースが垂れそうになっているクレープを持ち直した。

「あの……いただきます」

「ああ、うん食べよ食べよ」

 カギモトは自分のクレープに大きく齧りつく。ハムやチーズの入った甘くないものである。

 ソナもクレープを端から食べ始めた。

 注意していても中身がこぼれそうになる。食べにくいが、口に広がる甘さにソナの気持ちは緩んだ。


「おいしい?」

「おいしいです」 

「よかった」とカギモトはソナを見て優しげに微笑む。

 ソナは何となく目を逸らした。

「……カギモトさんのも、おいしいですか?」

「これはまあ普通」

 正直な感想に思わず少し笑ってしまう。

 しかし見るとカギモトは真剣な顔をしていた。

「見た目とか似てるんだけどね、やっぱり全然ちがう。風味とか」

「……何と比べてるんですか?」

 カギモトは答えず、残りのクレープを口に押し込むようにして食べ終えた。

 それからリュックを大事そうに抱えて座り、コーヒーを一口啜ったかと思うと、ちらりとソナに視線を向ける。

 何か言いたそうに口が動きかけたが、何も言わず、首の後ろを掻いていた。

 怪訝な気持ちでその様子を眺めていると、心を決めたのか、カギモトは遠慮がちにソナを見た。

「あの、俺さ──」

「おねえさん」


 カギモトを遮るように、背後から声を掛けられた。

 それが自分に対するものなのかはわからなかったが、顔だけで振り返ると若者が2人。手には口の開いた瓶をぶら下げている。


「ねえねえなんで“杖無し”といるの? 大丈夫? 何かされてない?」

 馬鹿にするようにカギモトの方を顎でしゃくりながら一人が言った。

「……」

「おねえさん、俺達とあっち行こうよ。バーベキューやってんだ」

 そう言ったもう一人はにやにやしてソナを見ていた。2人とも顔が赤い。手に持っているのは酒瓶のようだ。

「俺達もここで食事してるんで。あっち行ってくれます?」

 ソナが反応に窮していると、カギモトが笑顔で返した。

 若者達は顔を見合わせ、ぷっと噴き出す。

「え、普通に口答えしてきやがったんだけど」 

「なんだよこいつ、うける」

 カギモトを指差してけたけたと笑い合う中、カギモはソナに体を寄せ、「あっち行く?」と囁いた。

「おい無視すんなよ、何様だよ」

 いかなり食って掛かるように若者が近づいてくる。

 ソナが身構えるより先にカギモトがすっと立ち上がった。


「何様って、それこっちの台詞なんだけど」


 冷たく言い放つその態度は敵対的で、カギモトらしくない。

 それが若者達の気に障ったらしい。

「イキってんじゃねえよ。能無しのくせに」

「やめてください」

 すぐにでも攻撃してきそうな若者の様子に、ソナもカギモトの横に立った。

「ええ? 何、おねえさん」

 若者は手で口を抑え、大袈裟に驚く素振りをする。

「まさかだけど、そいつと付き合ってんの? “杖無し”とぉ?」

「うわ、ありえないって」

「ち……ちが」

「なんでもいいだろ」

 口籠るソナをおいて、カギモトがきっぱりと言った。

「あんた達に関係ない。さっさとどっか行ってくれ」

「犯罪者予備軍じゃん。やめときなって」

 カギモトを無視して若者はソナに絡む。

「おねえさん、趣味悪すぎない?」

 かっと頭が熱くなった。

「あ、あなたたちに関係ないですから、本当に!」

 思ったよりも上擦った声が出た。

 周囲の目もこちらに向き、若者達は白けたような顔になる。


「なにやってんのよー」

 中々戻ってこない連れを探しに来たのだろう。派手な服を着た若い女性がやってきて、彼らと言葉を交わしている。

 こっちを一瞥すると、“変な奴”とでも言いたげに肩をすくめ、3人とも嫌な笑い声を残して去っていった。


 その後ろ姿が離れていくのを見届け、ソナは肩の力を抜いた。


「怒ると迫力あるよねフラフニルさんって」

 軽い言葉に振り返るとカギモトはもう座っていて、呑気そうにコーヒーを啜っている。

「……いえ、別に」

「にしてもほんと腹立つ。人のこと馬鹿にして」

 男達の去った方を睨むようにして、カギモトの目つきがまた険しくなった。


 カギモトがそう感じるのは、別に間違っているわけではない。

 なのに、言葉にし難い不安感が徐々に振り積もっていく。


「あっ、フラフニルさん」

 カギモトが目を見開いた。

「垂れちゃう、チョコ」

「えっ」

 ソナの食べかけのクレープの端からチョコレートソースが垂れそうになっていた。思わず握り締めていたせいだろう。

「あ、あ」

 持つ向きを変えようか齧りつこうか逡巡するうちに、一滴、ソナの服の裾に落ちた。

 自分のハンカチを出してすぐに拭うが、よりにもよって色の薄い服だ。綺麗に落ちるわけもない。


 新しい服を買う口実ができた、とソナは自分に言い聞かせて諦め、ハンカチを鞄にしまう。

 ふと見ると、カギモトはしわくちゃのハンカチを手にしたまま、言葉に詰まったような顔をして固まっていた。


「カギモトさん……?」

「あ……」


 カギモトは我に返ったようにソナに焦点を戻し、愛想笑いのような笑みをつくると、ハンカチをポケットに押し込んだ。


「どうしたんですか、カギモトさん」

 ついにソナはこらえきれなくなった。

「今日は、何か……」

「俺」


 夏めいた風が吹いて、カギモトの黒髪を揺らす。その薄茶色の瞳には切迫感があった。


「俺ね、元の世界で……付き合ってた人がいたんだけど」


 何の脈絡もない切り出し方だ。

 そしてカギモトの口から出た言葉に、ソナは明確にざらついた気持ちになる。



 でも、だからといって、どうすることもできない。


 クレープから再びチョコレートソースが伝う。

 それがぽたりと芝の上に落ちるのを、ソナは見ていた。

 

 

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