6 嘘
「──写真?」
心臓が冷たく跳ねた。
「おまえ……来週って」
「それ嘘です。本当はもう僕受け取ってたんです」
エンデは悪びれもせずに首をすくめた。
「カギモトさんをびっくりさせたくて」
──こいつ。
一瞬頭が真っ白になったかと思うと、自分の手はエンデの胸ぐらを掴んでいた。
「おまえ……おまえふざけるなよ……!」
「あーあ、ここまで抑えてたのに」
エンデは驚きもせず、むしろ興味深そうにこちらを見返している。
「やっぱりこのあたりがカギモトさんのラインって感じですか?」
「馬鹿にしやがって。おまえ俺のこと、何だと思ってる」
「馬鹿になんてしてないですよ。カギモトさんは僕の憧れです」
「そういうことじゃねえよ!」
「あの、いらないんですか? これ。本物ですよ?」
エンデが指でつまんだ封筒をひらひらさせている。
──嘘だ。
頭では、まだそう思っていた。
歯を食いしばり、思い切り殴りつけたい衝動をこらえてエンデから手を離す。
目は封筒に釘付けられていた。
一度エンデを見てから、もう一度封筒を見る。
嘘だ、こんなのは。
ありえないだろ。
こんな、簡単に。
それでも手を伸ばしていた。
指先が触れようとする瞬間、さっと躱され空を掴む。
「……おい」
「わ、怖い。あはは、はいどうぞ」
再び目の前に出される封筒をひったくりたくなるが、努めて普通に受け取る。
しかし、その中身を取り出そうとするが指先が震えてうまくできない。
「手、震えてますね」
「うるさい」
エンデに背を向けて封筒の口を擦り合わせ、ようやく開いた。
急くような気持ちで手を突っ込むと、厚手でつるりとした紙に触れる。
息をするのも忘れて引っ張り出した。
それは、少し皺のついた写真だった。
少し若い父と母、まひろ、そして自分が実家の食卓を囲んで笑っている。
鮮明な記憶が溢れ出す。
高校生だ。
食卓には母の手料理。まひろを初めて連れて行った時のものだ。この写真を撮ったのは確か、兄か。
父と母の姿は記憶よりも少し垢抜けない。
まひろの笑顔はややぎこちない。
畳やカーテンは色褪せている。
そして額に大きな絆創膏をつけている俺は……。
「……」
写真の中の俺が、何の曇りもなく笑っている。
その画に触れる自分の指が小刻みに震えていた。
とても、幸せそうだ。
この頃の俺も、その時なりの悩みや苦労はあったはずだ。
でも、いつも何かに包まれているような温かさがあって、何の根拠もない希望を持っていて、自分の力でどこまでもいけるような自信があって。
俺の記憶は、妄想なんかじゃない。
確かにあったのだ。
だから。
どんなに削られても、踏みつけられても、俺にはあの世界があったから、引き摺って、這うようにして、ここまで──
「……っ」
喉の奥よりももっと深いところから、嗚咽が漏れそうになる。
無駄な努力なのはわかっていながら、自分の口を手できつく塞ぐ。
「カギモトさん? 泣いてるんですか?」
エンデが無遠慮に覗き込んできた。
「頑張ってきたんですねえ、本当に」
わかったように肩を叩くエンデの手を強く振り払った。
唇をきつく噛み、その痛みで意識を立て直す。
もう一度、目に焼き付けるように写真を眺めてから、丁寧に封筒に戻した。
「……確かに、本物だよ」
そう伝えると、エンデは満面の笑みを浮かべた。
「喜んでいただければ努力した甲斐がありましたよ」
「どこで、手に入れたんだこれ。誰から」
この写真を持っているのは両親か、まひろだけだ。
「ご心配せずとも、誰にも危害を加えたりはしてませんよ。あくまで正攻法で得たものですから」
答えにはなっていなかった。でも、これ以上聞き出すこともできないのだということはわかる。
エンデの言葉を信じるしかないし、そういうところで下手な嘘はつかないだろうと、不愉快極まりない信頼をエンデに抱き始めていた。
持ってきていたリュックの奥に、写真の封筒をしまう。
「カギモトさんならやらないと思ってますけど、くれぐれも、その写真は誰にも見せないように。僕まで捕まっちゃいますから」
「わかってる」
「あ、さっきの幹部の人たちにもですよ。僕が独自でやったことなんで」
先の集会での立ち振る舞いもそうだが、エンデは組織の中でも発言力があり、自由に動いて力を行使できる、かなり高い立場にいるのかもしれない。
得体のしれないやつ、というしかない。
「大切にしてくださいね」
「……おまえに言われる必要ない」
「なんか子供っぽいですね、カギモトさん」
エンデはくすくすと笑う。
「そっちが本来のカギモトさんなんでしょうか」
「……」
「さていい加減、僕たちも出ましょう」
エンデは円卓の上に置きっぱなしにしていた仮面を取り、顔につけた。
腕時計を見ると、集会の始まりからちょうど、小一時間程度が経っていた。
§
エンデとともに部屋を出る。
青以外の色彩が目に飛び込んできてちかちかした。
廊下の止まり木の上で一声啼いた図書館梟に、「終わりましたよ」とエンデが声をかけている。
「事務所まで送りましょうか?」
来た廊下を戻りながらエンデが申し出る。
事務所住まいであることも当然のように知っているらしい。
「ほら、5番さんも言っていたとおり、最近また物騒ですから。非魔力保持者の方への風当たり、強くないですか?」
「このあと用事があるから」
それもあるが、これ以上こいつと行動を共にしたくないのが本音だ。
「ああそうでしたっけ。あ、もしかしてデートですか?」
「……」
「冗談ですよ」とエンデはにやりとした。
「それじゃ、僕はここで失礼します」
そう言って、エンデは小走りに廊下を抜けていった。
あまりにあっさりしていて、暫し呆気に取られる。
その少し後に、自分も図書館の館内に戻った。
相変わらず来館者は多く、エンデの姿はもう見えない。
両肩に、ずしりとしたリュックの重みを感じていた。
昼時だが、腹は減らない。
ノダ・アヤセとの待ち合わせまでにはまだ時間がある。どうやって潰そうか。まったくそんな気分ではないが、本でも読んでいるくらいしかないだろう。
目立たないように館内の端をさりげなく歩いていても、知らない人から露骨に避けられ、子どもを隠され、何とも居心地が悪い。来たときは緊張していたからそれほど気にしてもいなかったが。
でも、リュックの中にはあの写真がある。
そう思うと、嘘のように心が落ち着く気がした。
ふと、何となく見慣れた姿が視界に入る。
一瞬通り過ぎかけて、振り返った。
館内の角には読書スペースらしく、1人掛けの椅子と小さなテーブルが並んでいる。
そのうちの1つの座席で、姿勢よく本に向かう女性が1人──その横顔は、ソナ・フラフニルだった。
何を考えたわけでもなく、足は、自然とその方に向かっていた。




