表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第九章 第2節
210/220

5 見返り


「……見返り」


 エンデの告げた言葉をただ繰り返した。

 これではいけないとわかっているのに、思考が緩慢になっていく。


「ここまでの文脈でわかるだろうが」

 物書きの3番が馬鹿にするように言う。

「あんたを“海向こうの世界”に帰してやるよってことだ」


 心臓がどっと音を立てる。


「先ほどはじめに、我々の目的は、ある法案を通すことだと言いましたよね。」


 呆けたように立ち尽くしていた自分に、エンデがゆったりと説明を始めた。


「その法案というのは、この国と“海向こうの世界”との断絶を、完全撤廃させるものです」


「え……」


 声にならない声が漏れた。


「現在の革新党もそこまでは主張してませんけどね。でも我々に同調してくれている議員の方も一部おりまして」


 エンデは付け加えた。


「今は現政府により“海向こうの世界”との関係は極端に制限されています。向こうは魔法取締局とやり取りをするごく限られた層の人を除いて、こちらの世界の存在すら知らされていない。こちらは、向こうの世界を“魔法の使えない野蛮で劣った世界”だと教え込まれている。それぞれに素晴らしい知識や技術があるのに、今の断絶制度のせいで自由に活用ができない。

 向こうの世界との人やものの相互交流を図り、互いに発展を目指す。それこそが、『アーテヌ』が望む、真に平等な世界だと考えているんです」


 流れるような口上だ。

 エンデは歩み寄り、目の前に立ち、赤い瞳でこちらを見上げる。


「我々の活動は、単に差別をなくすことじゃない。全てはそこに繋がっているんですよ。カギモトさんが協力してくださるなら、あなたが故郷に帰る道もきっと拓けます。だから」



 どうです? と手が差し出された。

 


──そんな、うまい話があるか。


 反射的に否定する。


 仮に。

 選挙が思惑通りの結果になったとしても、話が飛躍しすぎだろう。

 この世界の人間のほとんどが、“海向こうの世界”から迫害された者を祖先に持つ。向こうの世界に対して根強い拒否感と見下した感情を持つ者が大半だ。

 何百年と強固に維持されてきた断絶を撤廃するなんて、言うほど簡単にできるわけがない。

 

 でも……

 

 他の出席者を見やる。 

 退屈そうな3番と、俯いて円卓を見つめる4番以外は、エンデの言葉を保証するように自信ありげに頷いている。


「我々の賛同者には元魔法取締局の人間もいる。向こうの世界と接触する独自のルートを構築し、交渉は既に秘密裏に進められている」

 机の上で指を組み、2番が明かす。


 確かに、向こうの世界にパイプがあるとエンデは言っていた。


 あながち夢物語とも言えないのか?

 所長のいつ終わるともしれない研究を待つよりは、現実的だといえるのだろうか。でも所長も、研究に進展があったような事を言っていた。

 いや。というより、『アーテヌ』に協力することと、所長の研究を待つことは、別に相反することじゃない。

 それなら両方に乗ったほうが、帰還への可能性は高まることになるのだろうか。


 自分が守ろうとしてきた大事な部分を切り売りしてまで、この手を取る価値があるのか?

 

「正直、カギモトさん疲れてるんですよね? この世界に」

 

 また。

 エンデはまるで最大の理解者であるかのように俺の心の内から言葉を選び取る。


「終わりが見えないことにうんざりしているのなら、いっそ、思い切ったことをしてみてもいいんじゃないですか?」


──そうだ。


 踏み出さなければ、欲しいものは手に入らない。だからここに来た。


 エンデの手から目を逸らして周囲を見ても、空間の青が圧迫するように飛び込んでくる。

 落ち着きをもたらしてくれそうな色なのに、むしろ飲み込まれそうだ。鼓動が速い。足元が心許ない。

 

 元の世界。俺のいた場所。


 形を成さない記憶が脳裏を駆け巡る。

 

 本当に帰ることができるのか?

 

 

 エンデの手を再び見下ろして──



「今決めることじゃないだろ」



 誰かの声が遮った。


 上がりかけていた自分の手がびくりと止まる。

 声の方に顔を向けた。


「……選択肢を提示するだけだって、さっきそう言ってたな、エンデ」

 4番が控えめに主張する。

「だが、今ここで決めさせようとしてるみたいだ。今の状況じゃあ、そいつは冷静に判断できるとは思えん」

「へえ?」とエンデは意外そうに、そして可笑しそうに4番を見た。

「4番」

 2番の口調には微かな怒りがこめられている。

「選挙戦は水面下ではもう始まっている。協力してもらうなら早いに越したことはない。この国の子どもたちは今この瞬間も育っている。偏った教育は早急に是正されなれけばならん」

「そのとおりですわ。それに、最近の非魔力保持者に関する事件はもちろん皆さんご存知ですわよね?」

 確認するように5番が周囲に問う。

「あれは、非魔力保持者が危険だという風潮を強めたい保守の過激派が仕組んだことに違いありませんわ。このままでは平等法そのものの存続も危うくなってしまいます。こちらも強い手を打たなくては」

「“海向こうの世界”は新しい市場なんだ。ここまで多くの投資をしているからね、迷っている暇はないよ」


 4番は一瞬圧されたように口を噤んだが、「エンデ」と呼んだ。


「……そういうことじゃないんだろ? あんたが求めてんのは。こんなふうに決めさせようとは思っていないはずだ」

 

 エンデは一瞬無表情になり、口元を手で押さえてふっと笑った。


「意外と鋭いんですね」


 その言葉を無視して、4番はこっちを見た。


「カギモト。これは、あんたにとって大事なことだと思う。落ち着いて考えて決めるべきだ。本当に後戻りがきかなくなるぞ。わかるだろ?」

「……」


 水面から引き上げられたかのようだった。

 靄ついていた思考が少し晴れ、体の末端に感覚が戻ってきた。


「さあどうするんです?」


 小首を傾げて見上げてくるエンデから、後ずさる。

 

 手に握っていた汗を服の裾で拭った。

 俺は。

 断絶制度の撤廃を具体的にどう実現させるのか。詳しい話も聞かずにそんな重大なことを決めようとしていたのか。

 そもそも顔を出すだけのつもりだったはずだ。それ以上関わる気はなかったのに、すっかり流されている。

 でも頭から拒否する踏ん切りもつかなかった。


「少し……考えたい」

 絞り出すようにそう答えていた。

「あんたたちのことを、俺はほとんど何も知らない。今は、すぐには、決められない」

 

 穴が空くほどにこちらを見つめていたエンデだが、ぱっと笑顔に変える。


「良かったです。即断されなくて。さすが、カギモトさん」


 意味がわからず、黙ってエンデを見た。


「4番さんの言ったとおりです。冷静になって、迷って悩んでください。その上で、カギモトさんに僕たちを選んでいただく。そうでなければ、意味ないですから」

「……そうかよ」


 本当にいちいち気持ちが悪い。

 誰に憚ることなく内心で毒づく。


 何か言いたそうに顔を見合わせている者もいたが、皆口を閉ざしていた。


 やがて、円卓の上に突っ伏していた3番がくぐもった声を上げる。


「今は決められねえってんなら、今回の用はもう済んだんじゃねえの? そろそろ終わろうや」


「ですね」

 腕時計を見てエンデはあっさりと頷いた。

「では、お話はここまで。これにて今回の集会はお開きとさせていただきます。今日の議事録と次回の開催については、また伝心蝶でお知らせしますね。大変有意義な時間になって、良かったです」

 

 各々立ち上がる。

 3番はさっさと出て行った。2番はこちらに向けて浅く頭を下げ、1番と5番は「待ってますから」と熱っぽい言葉を口にして、青い部屋を去っていった。


「あれ、帰らないんですか?4番さん」

 エンデがからかうように声をかけた。

 4番は答えず、席から立ったままの姿で遠慮がちにこちらを見ていた。


「──カギモト」

 

 小さく呼ばれ、少し身構える。

 

 4番は青い床を踏みしめるようにゆっくりと歩いてきて、目の前に立った。

 何か言うのかと思ったが、肩が上下するほどの息を吐き、4番は深く、深く頭を下げた。

 そのまま沈黙が流れる。


「誰、なんですか……あなた」


 床を見つめるようにしていた4番は答えず、姿勢を戻すと向きを変え、部屋を出ていった。


 エンデと2人、青い空間に残された。


 頭から足に力が抜けていくような気がして、この場にしゃがみ込みたくなるが、こらえていた。


 俺は何か、間違えてはいないだろうか。


 来た道を振り返るように、ここまでの言動を思い返す。


 大丈夫なはずだ。決定的なことはまだ何も、決めていない。


 ひとまずこれで、用は済んだ。

 考えなければならないことはたくさんあるが、このあとノダ・アヤセと会うのだ。


 ……そういえば、カウンセリングは大丈夫だっただろうか。レンさんは騒ぎ立てたりしていないだろうか。

 ティーバとトレックは今頃どこかで昼飯でも取っているのだろうか。


 青い扉を眺めながら、漠然とした考えが頭を行ったり来たりしている。


「カギモトさん」

 

 ぼんやりとしたまま振り返った。


 エンデはその手に薄い茶封筒を持っていた。それを差し出してくる。 


「……何それ」

「何ってもちろん」


 エンデはずっと上機嫌だったが、この時、この日1番と言ってもいいくらいの笑顔を見せた。


「約束ですから。カギモトさんが欲しがっていたもの──写真ですよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ