9話 睡魔
ザッザッザッ……
俺の足音が、森に響く。湿った土を踏みしめるたび、微かに水分を含んだ音が混じる。
ぬかるみとまではいかないが、足元の感触は不安定だ。
踏み外せば、そのまま転びそうになるような、柔らかくも不快な地面。
それにしても。
「……疲れた……」
何だよこの森、広すぎんだろ。あれから何時間歩いたと思ってんだよ。
どこまで行っても木ばっかで、道らしい道もない。方角も怪しくなってきた。
いや、もうとっくにわかんなくなってるかもしれない。
あのダチョウの肉のお陰で、空腹感はない。ただ……。
「眠い……」
激しい睡魔が、俺を襲っていた。
目をこすっても、頬を軽く叩いても、まぶたの重さは変わらない。
重りを吊るされたような、そんな感覚。思考が鈍る。
意識の奥に、深い深い闇が口を開けて待っている。
体の奥がどこか熱を持っているようにじんわりと火照っていて、それなのに寒気も同時にしてくる。これ、たぶん限界の兆候だ。
ザッザッザッ……
足を動かすたび、意識がふらつく。眠気が脳を麻痺させ、視界がにじむ。
木々の輪郭がぼやけて、遠近感すら狂ってきた。まぶたは鉛のように重たい。
息は荒く、歩幅も自然と狭くなる。
それでも、止まったら最期だ。
今この場に立ち止まれば、たぶんそのまま眠りに落ちてしまう。いや、落ちるってより、沈むって感じだな。
底なしの泥に引きずり込まれるように、深く、深く。
止めろ、寝るな……こんなところで寝たら、食われるぞ。
俺は自分にそう言い聞かせる。
けど、気づけば立ち止まっていた。意識が一瞬、飛んでいた。やばい。
足元にあった石に躓き、体勢を崩しかける。
とっさに木に手をついて体を支えたが、手のひらがじん、と痛んだ。
クソ……少し、休むか……。
「……はあ……もうちょっと、マシな場所ないかな」
近くに木の根っこか、岩陰でもあればいい。
風をしのげて、魔物の気配を察知できる場所。そんな都合のいい場所があるとは思ってないが、探すしかない。
森の奥はますます暗く、枝葉の隙間から差す月明かりすら、地上には届かない。森の深部に進んでいる証拠かもしれない。
空気が冷たい。湿気も増えてきた。
さっきまで感じなかった、微かな腐葉土の匂いも鼻につく。
と、前方の茂みがざわめいた。風か?……いや、これ……。
風じゃない、生物だ。
すぐに腰を落とし、身を低くして草むらの陰に隠れる。そして、草の隙間から覗き込む。
風に揺れる木の葉の影、その奥に、異様な存在があった。
……でけぇ……。
立ち木ほどの巨体。
全身が灰色の岩肌のような皮膚に覆われ、一本だけ生えた角が太くうねっている。
背中は岩壁のようにゴツゴツしていて、動くたびに地面がわずかに揺れる。
その顔には、目が一つだけ。
まるで、こっちを見下ろしているような威圧感。存在感が、異様だった。
全身から発せられる圧力のような気配が、まるで重石のように空間を押しつぶしている。
思わず息を止めるほどの異様さ。
まるで、ギリシャ神話に出てくる、巨人族――独眼巨人のような。
俺は、その威圧感に体が痺れてしまった。
独眼巨人……強い。化け物。
ステータスでは、比べるまでもなく明らかに負けている。
完全、不利。不都合?いや、むしろ――好都合。
ようこそ、経験値。
そして、俺を見つけた独眼巨人は手をふりあげ――
「――『磁極付与』、『磁極付与』」
「ぐ……グぐぁア!?」
ボキボキッ!
S極が付与された独眼巨人の拳が、N極が付与された自身の足に引き寄せられ、肘が本来曲がらない角度にまで曲がる。
その負荷に耐えられず、骨が砕ける音が響いた。
そして、最後に。
「『磁極付与』、『磁極付与』」
ナイフと、独眼巨人の頭部に『磁極付与』。
ヒュッ――ドスッ。
放たれたナイフは頭を直撃。
独眼巨人はのけぞるようにして、そのまま後ろに倒れた。
地面が軽く揺れる。枝葉がざわめき、鳥が数羽、慌てて飛び立った。
……ごめん、鳥。眠ってるとこを起こして。
そして、独眼巨人の死を告げる、天の声。
《レベルが上がりました》
《レベルが121になりました》
よしよし、経験値がうまい。
ていうか、なんだかな……。
何だか拍子抜けするほどあっさりだった。けど、そりゃそうだ。
あの後、何度も生死を賭けてやり合ってきたんだ。
そのうちに、俺はずいぶん感覚が研ぎ澄まされてきた。
スキルの扱いにも慣れてきたし、攻撃の加減も読めるようになってきた。
俺は独眼巨人の死体を軽く確認し、その横に腰を下ろす。
少し湿った土の匂いがしたけど、今の俺にはそれすら心地よかった。
背中に当たる木の感触も、硬いのにどこか安心できる。ようやく、少しだけ休める気がした。
喉が渇いていた。口の中はカラカラだったが、それすらも眠気が勝って、あまり気にならない。
「……寝るか。もう、本当に限界……」
背中を木に預けて、目を閉じようとした――その瞬間。
ズゥン。
微かに地面が震えた。いや、これは……足音。しかも複数。
まさか、と思って目を開け、暗闇の向こうを凝視する。
……うわ……マジか
独眼巨人の群れが、森の奥からこちらに向かってきていた。五体、いや、もっとかもしれない。
どんだけ巣食ってんだよ、独眼巨人。
俺は眠い目を擦り、独眼巨人を倒すべく立ち上がった。




