23話 警戒
ゲルドと名乗ったあの行商人は、その日のうちに村を去っていった。
俺は工房の窓からその後ろ姿を見送りながら、どうにも落ち着かない気分でいた。ブロアも同じだったのか、金槌を持つ手を止めて、しばらく無言で外を見つめていた。
「……行っちまったな」
「はい……」
「アオイ、お前、あの後どうだった。何か話しかけられたか?」
ブロアの問いに、俺は昨日の記憶を辿る。
あの後、俺はもう一度だけ広場に出て、様子を見に行ったのだ。ちょうどゲルドが荷物をまとめているところで、目が合った。
「はい。少しだけ」
あの時のことを、思い出す。
...
..
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広場の隅、荷物を担ぎ直していたゲルドに、俺は声をかけた。
別に、何か聞き出そうとしたわけじゃない。
ただ、村人たちが親しげに接している相手が、村の外の情報を、そして俺のことをどこまで知っているのか、単純に気になっただけだ。
「あの、ゲルドさん」
「おや、これはこれは。あなたが噂の……アオイさん、でしたか」
振り返ったゲルドの顔には、あの人当たりの良い笑みが浮かんでいた。
だが、その目の奥には、やはりあの冷たい光がある。俺を映しているようで、俺の何かを値踏みしているような、そんな目だ。
「噂、ですか?」
「ええ、もちろん。この辺りの村を回っていれば、嫌でも耳に入りますよ。森の奥の魔物を単身で討伐し、洞窟に囚われた二人を救い出した、という若者の話をね」
やっぱり、広まっているのか。
村長が口止めをしてくれているとはいえ、こうして行商人にまで話が届いているということは、思っていた以上に噂の広がりが速いということだ。
「大袈裟に伝わっているだけですよ。運が良かっただけです」
「謙遜が過ぎますな。噂というのは、大抵は誇張よりも、むしろ控えめに伝わるものです。私も長年、色々な土地を回っておりますが、あなたのような若者には、そうそうお目にかかれません」
その言い方が、妙に引っかかった。まるで、俺のような存在を何度も見てきたかのような口ぶりだ。
「ゲルドさんは、どちらから来られたんですか?」
「あちこちですよ。街道沿いの村を、順繰りに回っているだけの、しがない行商人です」
しがない、という言葉とは裏腹に、その立ち振る舞いには一切の隙がなかった。荷物の扱い方も、言葉選びも、どれもが計算され尽くしているように見える。
「そういえば」
ゲルドが荷物の紐を結びながら、何気ない調子で続けた。
「最近、あちこちの村で、少し変わった噂を耳にするのですよ。おかしな力を持った若者の話を、ね」
「おかしな力、ですか?」
「ええ。剣も魔法も使わず、それでいて名うての魔物を軽々と屠ってしまう、そんな話です。あなたのように」
心臓が、跳ねた。
まさか、俺のことを直接指しているのか?それとも、他にも似たような人間がいるということなのか。
「……俺は、ただの魔物討伐の依頼をこなしているだけですよ」
「そうでしょうとも。ただ、世の中には、そういった規格外の力を持つ者を、放っておかない人間も少なくない。私が言いたいのは、ただそれだけのことです」
含みのある言い方だった。忠告なのか、探りなのか。それとも、単なる世間話のつもりなのか。
「それは、脅しですか?」
思わず、そう聞いてしまった。ゲルドは驚いたように目を丸くし、それから声を上げて笑った。
「まさか、そんなつもりは毛頭ありませんよ。私はただの商人です。ただ、あなたのような珍しい方に出会えたのは、旅の中でも良い収穫だと思っただけのこと……ああ、そうそう」
ゲルドが荷物を担ぎ直し、俺に背を向けた。
「隣町のガレオンには、よく顔を出す商人仲間が多くいます。もし機会があれば、いずれそちらでもお会いできるかもしれませんね」
それだけ言って、ゲルドは軽い足取りで村の門を出ていった。
その背中を見送りながら、俺はしばらく動けなかった。
...
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「――というわけです」
俺は工房でブロアに、その一部始終を話した。
ブロアは腕を組み、難しい顔をしている。
「隣町の商人仲間、か」
「気になりますか?」
「気になるも何も、あいつの言い方は、あからさまに何かを探ってた口ぶりだろ。それに、ガレオンで会うかもしれない、ってのも、まるで俺たちを誘ってるみたいだ」
言われてみれば、確かにそうだ。ただの世間話にしては、あまりに的を射すぎている。
「それに、あの目だ。お前も気づいただろう?」
「はい。笑ってるのに、笑ってない目でした」
ブロアが小さく頷く。
「あの手の連中は、大抵裏に何かを抱えてる。商人ってのは、口が上手いのが商売道具だ。だが、上手すぎる口は、時に本音を隠す道具にもなる」
鍛冶屋としての付き合いの中で、色んな人間を見てきたブロアの言葉には、変な説得力があった。
「ロカルドさんにも、話しておいた方がいいですかね」
「ああ、そうしてくれ。あいつなら、また別の見方をするかもしれん」
...
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その夜、俺はロカルドの家を訪ね、ゲルドとのやり取りを詳しく伝えた。
ロカルドは黙って話を聞き終えると、深く息を吐いた。
「……お前の噂、思ったより広がってるみたいだな」
「はい。正直、参ってます」
「これまでは、村の中だけの話だと思ってたが、行商人の口から他の土地に伝わっているとなると、話は別だ」
ロカルドが眉間に皺を寄せる。
「アオイ、しばらくは目立つ行動を控えた方がいいかもしれん」
「でも、村の防衛の依頼は……」
「それは続けてくれ。ただ、必要以上に力を見せつけるのは避けろ、ということだ。今のままじゃ、いずれもっと厄介な連中の耳にも入る」
もっと厄介な連中、という言葉に、自然と女神の顔が思い浮かんだ。
もしロベリアの耳にまで届いたら――そう考えるだけで、背筋が冷たくなる。
「……気をつけます」
「ああ、そうしてくれ。それと」
ロカルドが、少しだけ声のトーンを落とした。
「もしまたあの行商人が来たら、俺にも知らせてくれ。今度は、俺からも話を聞いてみる」
「わかりました」
その日から、俺はほんの少しだけ、周囲への警戒を強めることにした。
あの目をした男が、次にいつ現れるのか。
そして、その時、俺に何を持ちかけてくるのか。
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は村での日々を続けていった




