163 ウサギの幻影
アリスが追おうとして駆け出すのを、俺は手を伸ばして掴んだ。
掴んだのは、頭から真っ直ぐ上に伸びたもふもふとした二本の耳である。
「ひっ!」
「ソウジ、そうされると、アリスは動けないんだ」
俺が耳を掴んでぶら下げると、一見ただのウサギのアリスは、まるでウサギのようにぶら下がった。
シルフが唇を尖らせるのは、アリスに対する扱いを抗議してのことだろう。
「動けないように掴んだんだ。アリス、何がいた? 動物なら、アリスが食べられるような奴はいない。なにしろ、アリスは草食だろう。どうして追おうとしたんだ?」
「ふぁふぁ……」
「ソウジ、手を離さないと、話せませんよ」
「ああ……そうみたいだな。すまない」
俺が掴んだアリスを地面に置くと、アリスは発達した後ろ足で、俺の足を叩いた。
「ソウジ、邪魔しないでください。私の同族がいたんです」
「本当か?」
アリスが耳をぱたぱたと動かした。
「まさか……ドラゴンと木しかいない世界なんだろう?」
シルフが首を傾げる。
「本当です。疑うなら、ついてきて下さい」
「待て。同族を見つけたところで、どうするつもりだ?」
「ソウジは無粋じゃのう」
ベティアが言った。
「ソウジも同じだろう」
俺の頭の上で、ガルシスが欠伸まじりに言った。
「俺も同じって……あっ……でも、アリスは雌だぞ」
「ウサギ族は、一年中盛っていますからね」
ウーも頷いた。
「……わかった。アリス、悪かった。こ、子供ができたら、俺にも触らせてくれ」
「仕方ないですね。ちょっとだけですよ」
アリスは胸を逸らしてふふんと鼻を鳴らすと、地面を蹴立てた。
「……シルフ、こんな状況になった世界に、アリスと子作りをするウサギの仲間がいるのだろうか?」
「ソウジは心配性だ。アリスは大丈夫だ」
俺が心配性なのだろうか。
シルフだけでなく、ウーもベティアも、ガルシスもアリスの白い尻がぴょんぴょんと跳ねるのを見送った。
薄暗い洞窟の中で、角を曲がって白い尻が消えてから、俺たちはゆっくりと後を追う。
「アリスが気に入ったなら、そいつも仲間にならないかな……」
シルフが呟く。
「ウサギばっかり増えても困るでしょう」
ウーが、魔法の杖でシルフの耳を突いた。
「あたしはウサギじゃない」
「似たようなものじゃ」
ベティアが笑う。
「アリス……どこだ?」
俺が魔法の石板を取り出しながら、暗闇を見透かそうとした。
それどころではなかった。
「ソウジ、助けて下さーい!」
それは、勇んで子作りに向かったはずの、アリスの叫び声だった。
※
俺が角を曲がってアリスの声を追うと、ウサギのアリスが触手に絡み取られていた。
短い足に植物の蔓のような細く強靭な紐が巻きつき、空中に吊り上げられている。
吊り上げられているのが白いウサギだけに、捕食されようとしているかのようだ。
触手の後ろに、小さな塊を操る蜘蛛のような影が見えた。
「アリス、無事か?」
「無事ではありません。わ、私の貞操がぁぁぁっっ!」
「元気そうだな」
俺の背後で、シルフが顔を見せた。
その背後にベティアとガルシスが続き、最後にウーが歩いてくる。
先頭がシルフなのは、アリスとの付き合いの長さだろう。
その他は、単に身体能力によるようだ。
ウーとアリスは、俺の仲間になってからはかなり長いが、ほとんどの時間は魔法の石板の中で時間が止まっているので、それほど親しくなっていないのかもしれない。
ダンジョンに入れば、再び魔法の石板に収納することが多くなるだろう。
ダンジョンに入る前に、親交を深めてもらいたいものだ。
「げ、元気なものですか! わ、私が蜘蛛の子を孕んだら、どうするんですか!」
アリスは得意の攻撃を繰り出す。
つまり、後ろ足で強く叩くのだ。
だが、空中に吊られているアリスの後ろ脚は、どんなに勇んでも空振りしている。
「孕むことより、餌になることを心配する場面ではないのか?」
ベティアが言うと、ウーが杖の先に灯りをともしながら答える。
「ウサギのこどもを孕むつもりで駆けていたので、そっちにしか頭が回らないのでしょう」
「うむ……いやらしいな」
シルフがアリスに近づこうとするが、俺が止めた。
アリスを拘束している触手は、後方の蜘蛛が操っていることは明らかだ。
不用意に近づけば、シルフも餌になるしかない。
「……どうして、雄のウサギがいるなんて思ったんだ?」
俺も異性を求めてダンジョンを攻略している立場上、アリスのことを笑う気にはならなかった。
尋ねながら、魔法の石板を左手に出現させる。
「た、確かに、いたんです。とっても魅力的で、逞しくて、耳がとっても長かったんです」
「これだな」
小ドラゴンのガルシスが、アリスの下に転がっていた黒い塊を摘み上げた。
ガルシスは、体は小さくとも、金属の塊なみに重い。
アリスを捉えている触手では捉えられないようだ。
よく俺の頭の上に乗っているが、俺はその時、必死に首に力を入れている。
「フェロモンとか、そういうのかもしれないな。この時代に、ドラゴンと植物以外にも生物がいたことは大きな発見だ」
俺は言いながら、アリスを捕食しようとしている蜘蛛に向かって爆発魔法を放った。
すでにレベル3に達している魔法の爆発により、人間と同サイズの蜘蛛が四散する。
「助かりました。やっぱり、ソウジは私の純潔が大切なのですね」
アリスが解放されると、俺に体を擦り付けた。
俺はアリスの全身をさする。
しばらくアリスは興奮状態だったが、落ち着くと、俺の腕の中で眠ってしまった。
「どうやら、ダンジョンの入り口まで、真っ直ぐはいけないらしい。ダンジョンに入るための洞窟が1番ダンジョンジョンらしいってのは……よくあることなのか?」
「ソウジの言うことは、時々わからない。あっちからは、生き物の音がしない」
「なら、安全だな」
シルフの導きに従い、俺たちはダンジョンの中をダンジョンという名の異世界に向かった。




