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∞に生きる  作者: 和泉 きよ


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10/16

10.残された命

 朝になっても、ユイは昨夜の光を忘れられなかった。


 青白い光。


 レンの胸元で、静かに明滅していたもの。


 まるで、彼の身体の中に、もう一つの心臓があるかのようだった。


 夢だったのではないかと思おうとした。


 疲れていたから、見間違えたのかもしれない。月明かりが衣服の隙間から反射しただけかもしれない。


 けれど、そう思い込もうとするたび、あの光景が鮮明によみがえった。


 ユイは朝食の席で、何度もレンの胸元に目を向けた。


 レンは、いつもと変わらない様子でパンを食べていた。


「……何かついてる?」


 不意に尋ねられ、ユイは肩を跳ねさせた。


「えっ?」


「さっきから、僕の服を見ているから」


「あ、いや……その……」


 どう説明すればいいのだろう。


 昨夜、眠っているあなたの胸が光っていた。


 そう言えばいいだけなのに、口にするのをためらってしまう。


 自分の知らないところで、彼の身体に何かが起きている。


 その事実を、もう一度確かめるのが怖かった。


「……昨日の怪我、もう大丈夫なのかなって」


 結局、そんな言葉でごまかした。


 レンは自分の腕を見た。


「うん。もう痛くないよ」


「本当に?」


「本当」


「……無理してない?」


「してないよ」


 ユイは、納得したような、していないような顔で頷いた。


 レンは少しだけ首を傾げたが、それ以上は尋ねなかった。


 その優しさに、ユイはかえって胸が苦しくなった。


 彼は、自分の身体に何が起きているのか知らない。


 昨夜の光についても、きっと何も知らないのだろう。


 もし、あれが何かよくない兆候だったら。


 もし、彼が生き返ることと関係していたら。


 自分は、どうすればいいのだろう。


 不安を打ち消そうとするほど、知りたいという気持ちが強くなった。


「……レン」


「うん?」


「今日、ハナさんに、もう一度診てもらおう」


 ユイは、できるだけ自然な声で言った。


「胸のことも、ちゃんと調べてもらったほうがいいと思う」


 レンは少し驚いたあと、素直に頷いた。


「そうだね。僕も、気になっていたんだ」


 その返事を聞いて、ユイはほっとした。


 彼が、自分の身体に起きていることを知ろうとしてくれている。


 それだけで、少しだけ前へ進めた気がした。


 しかし、ユイはまだ知らなかった。


 真実を知ることが、必ずしも安心につながるとは限らないことを。


     ◇


 ハナは、診察室の机に並べた記録用紙を見つめていた。


 レンの身体について記録したものだった。


 回生の際に確認された身体の変化。


 意識が戻るまでにかかった時間。


 胸元で観測された、通常の生命活動とは異なる魔力反応。


 それらを比較しても、既存の医療知識では説明できないことが多かった。


「……やっぱり、普通の身体ではないわね」


 ハナは小さく呟いた。


 そこへ、ユイとレンがやってきた。


「おはようございます」


「おはよう。ちょうど、あなたたちに話したいことがあったの」


 ハナは二人を椅子へ座らせた。


「まず、レン君。身体に何か変わったことはなかった?」


「昨日の夜、少し胸が熱くなる感じがありました。今は何ともありません」


 ユイは、思わずレンを見た。


 彼も昨夜、何かを感じていたのだ。


「……それ、いつから?」


「正確には分からないんだ。でも、何度か同じような感覚があった気がする」


 ハナは頷き、記録に書き加えた。


「分かったわ。では、少し胸元を調べさせてね」


 レンは上着を緩めた。


 ハナは検査器具を取り出し、胸元の傷跡へ近づけた。


 器具の針が、ゆっくりと揺れる。


 針は一定の周期で動いていたが、ときどき不規則な反応を示していた。


 ハナは何度か測定を繰り返し、数値を書き留めた。


「……ここに、何かがあるのは間違いないわ」


 彼女は器具を置いた。


「ただの傷跡ではない。魔力の流れが、あなたの生命活動とは別の周期で動いているの」


「それは、どういうことなんでしょうか」


 レンが尋ねた。


「今の段階では断言できないわ。ただ、あなたの身体には、通常の人間には見られない仕組みが備わっている可能性が高い」


 ユイは、膝の上で手を握り締めた。


 やはり、見間違いではなかったのだ。


 レンの身体には、何かがある。


 それが彼を生かしているのか。


 それとも、彼の身体に異変を起こしているのか。


 まだ分からない。


「……レン君」


 ハナは、慎重な口調で続けた。


「あなたが死んでも生き返ったという事実についても、私は調べているわ。ただ、これまでの記録だけでは、その仕組みを解明できない」


「……そうですか」


「だから、今後も回生が起きた場合には、必ず記録を取らせてほしいの。意識が戻るまでの時間も、身体の反応も、少しでも多くの情報が必要だから」


 レンは、静かに頷いた。


「分かりました」


 そのやり取りを聞きながら、ユイは思った。


 自分たちは、彼の身体に何が起きているのか、まだほとんど知らない。


 死んでも生き返るという事実だけを見て、それがどんな仕組みなのか、どんな危険を伴うのか、考えることすらできていなかった。


 奇跡だと思っていた。


 彼が再び目を開けてくれることを、ただ嬉しいと思っていた。


 けれど、その奇跡には、何か理由があるのかもしれない。


 そして、理由があるのなら、限界もあるのかもしれない。


 ユイは、昨夜見た光を思い出した。


 胸元で、かすかに明滅していた光。


 それが何を意味するのか、知りたかった。


 知りたいのに、怖かった。


     ◇


 診察を終えた二人が救護所の廊下を歩いていると、入口のほうから声が聞こえた。


「……レン」


 振り向くと、リゼが立っていた。


 前と同じ、落ち着いた表情。


 けれど、今日はどこか様子が違っていた。


 手には、小さな布袋が握られている。


 その中には、何か硬いものが入っているようだった。


「少し、話をしたいのだけれど」


 リゼはレンを見つめた。


 それから、ユイにも視線を向けた。


「……あなたも、一緒に聞いたほうがいいと思うわ」


 ユイは、思わず顔を上げた。


「私も?」


「ええ」


 リゼは、短く頷いた。


「レンのことだから」


 その一言に、ユイの胸がざわついた。


 レンのこと。


 彼の出生を知っているかのような、あの言い方。


 そして、彼の胸元を見つめていた、あの目。


 リゼは、何かを知っている。


 その予感が、少しずつ確信へと変わり始めていた。


「……分かりました」


 ユイは頷いた。


 三人は、救護所の裏手にある小さな部屋へ移動した。


 そこは、物資の記録を整理するために使われている部屋だった。


 今は誰もおらず、窓の外から鳥の声だけが聞こえていた。


 リゼは扉を閉め、手にしていた布袋を机の上へ置いた。


「……最初に言っておくわ」


 彼女は、二人を見つめた。


「これから話すことは、私が知っている情報をもとにしたものよ。すべてが確実に正しいとは言い切れない。それでも、あなたたちには知っておいてほしい」


 レンは、静かに頷いた。


「……はい」


 リゼは布袋から、一枚の薄い金属板を取り出した。


 表面には細かな文字と、複雑な図形が刻まれていた。


 ユイには、そのほとんどが読めなかった。


 しかし、中央に描かれた円形の図だけは、妙にはっきりと目に入った。


 円の内側には、五つの小さな区画があった。


 そのうち二つには、黒い線が引かれている。


「……これは?」


 レンが尋ねた。


「回生核に関する記録の一部よ」


 リゼは答えた。


「あなたの胸元にあるものと、同じ仕組みに関係する資料」


 レンの顔から、少しずつ表情が消えていった。


 自分の胸元にあるもの。


 そこに関係する資料。


 これまで、誰も説明できなかったものについて、ようやく手がかりが得られるのかもしれない。


 それは、彼がずっと知りたいと思っていたことだった。


 けれど同時に、知るのが怖いことでもあった。


「……僕は何者なんですか?」


 レンは尋ねた。


 リゼは、すぐには答えなかった。


 机の上の金属板へ目を落とし、少しだけ唇を噛んだ。


「……あなたは、回生兵計画に関係する存在だった可能性が高い」


 その言葉が、静かな部屋に落ちた。


 ユイは、思わず息を止めた。


「回生兵……?」


「ええ。致命的な損傷を受けても、再び活動できる兵士を生み出すための計画。魔力を利用した特殊な生命技術が使われていたとされているわ」


 リゼは、淡々と説明した。


 しかし、その声の奥には、何かを押し殺しているような響きがあった。


「その計画では、回生核と呼ばれるものが使われていた。あなたの胸元にある反応は、それと一致する可能性がある」


 レンは、何も言わなかった。


 人間ではないかもしれない。


 そう考えたことはあった。


 けれど、こうして、具体的な言葉で説明されると、胸の奥が冷たくなった。


 自分は、兵器だったのだろうか。


 誰かを助けるためではなく、誰かに利用されるために作られたのだろうか。


 もしそうなら。


 自分が、今まで誰かを助けたいと思っていたことも。


 ユイと一緒にいたいと思っていたことも。


 それらは、本当に自分の意思だったのだろうか。


 レンは、金属板を見つめた。


 そこに刻まれた文字は、彼の人生について、何かを知っているようだった。


 しかし、彼自身には、そのどれも思い出せなかった。


「……僕は」


 声が、少しかすれた。


「僕は、人間じゃないんですか?」


 リゼは、目を伏せた。


「……そこまでは、分からない」


 彼女は、正直に答えた。


「記録には、あなたがどういう経緯で生まれたのか、すべては残っていない。元々、人間だったのか。それとも、人工的に作られた存在なのか。確かなことは、まだ分からないの」


 レンは、ゆっくりと息を吐いた。


 答えが得られたわけではなかった。


 むしろ、疑問が増えただけだった。


 自分が何者なのか。


 なぜ、こんな能力を持っているのか。


 誰が、自分を作ったのか。


 そして、自分は何のために存在しているのか。


 その問いが、胸の奥に重くのしかかった。


     ◇


「……それで」


 ユイは、震えそうになる声を抑えながら尋ねた。


「レンの能力には、限界があるんですか?」


 リゼは、ゆっくりと顔を上げた。


 その表情を見た瞬間、ユイは、聞きたくない答えが返ってくるような気がした。


「……あるわ」


 リゼは、はっきりと言った。


「回生核は、無制限に使えるものではないの」


 レンは、胸元へ手を当てた。


「……どういうことですか?」


「記録によれば、回生核には再起動できる回数に限りがある。あなたの場合、設計上の回生は五回まで」


 リゼは、机の上の図を指さした。


 ユイは、息を呑んだ。


 最初に出会った日。


 そして、橋が崩れた日。


 レンは、二度、命を落とし、二度、生き返った。


 その事実は、知っていた。


 けれど、それが回数として数えられているとは、思っていなかった。


「……ということは」


 レンの声は、ひどく静かだった。


「僕は、あと何回、生き返れるんですか?」


 リゼは、彼を見つめた。


 そして、答えた。


「……今までに二回回生したということは、あと三回」


 その瞬間、部屋の中から音が消えたような気がした。


 ユイには、リゼの声だけが、何度も頭の中で繰り返されているように聞こえた。


 あと三回。


 あと三回しか、生き返れない。


 それは、どういうことなのだろう。


 レンが、あと三回、命を落としたら。


 その次は。


 その次に、もし命を失ったら。


 もう、戻ってこない。


 ユイの指先が、冷たくなった。


「……そんな」


 声が、かすれた。


「だって……」


 何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。


 そんなはずはない。


 これまで、彼は生き返ってきた。


 自分の目の前で、確かに。


 死んでも、もう一度目を開けてくれた。


 彼が、彼であることを示す、不思議な力だった。


 なのに、それが、あと三回。


 たった三回。


 それだけで、終わってしまうのだろうか。


 ユイは、レンを見つめた。


 彼は、何も言わなかった。


 ただ、金属板の図を見つめていた。


 その顔には、驚きも、恐怖も、はっきりとは表れていなかった。


 けれど、彼が胸元へ置いた手だけが、強く握り締められていた。


「……レン」


 ユイは、そっと声をかけた。


 彼は、顔を上げなかった。


「……あと三回なんだって」


 自分でも、何を言っているのか分からなかった。


「……あと三回しか、ないんだって……」


 レンは、ゆっくりと頷いた。


「……うん」


 その返事が、あまりにも静かだった。


 まるで、自分のことではないかのように。


 まるで、どこか遠い場所にいる誰かの命について、話を聞いているかのように。


 ユイは、たまらなくなった。


「……レンは、それでいいの?」


 レンが、顔を上げた。


「……え?」


「あと三回しか生き返れないんだよ。次に何かあったら、本当に死んじゃうかもしれないんだよ。それでも、今までと同じように、危険な場所へ行くつもりなの?」


 レンは、答えなかった。


 その沈黙が、ユイには怖かった。


 彼が、何を考えているのか分からない。


 自分の命が、あと三回しかないと知って、何を思っているのか。


 怖くないのだろうか。


 悲しくないのだろうか。


 それとも、何とも思っていないのだろうか。


 ユイは、彼の腕をつかんだ。


「……ねえ、答えてよ」


 レンは、ようやく口を開いた。


「……まだ、分からない」


「分からないって……」


「自分の命が、あと三回しかないって言われても……どう考えればいいのか、分からないんだ」


 彼は、少しだけ視線を落とした。


「僕は、これまで、自分が死んでも生き返るから、できることをやろうと思っていた。誰かが困っていたら、助けたいと思った。それだけだったんだ」


 レンの声は、少しずつ弱くなっていった。


「……でも、あと三回しかないなら」


 そこで、彼は言葉を止めた。


 自分が何を言おうとしているのか、分からなくなったようだった。


 これまでと同じように生きていいのだろうか。


 自分の命を、どこまで使っていいのだろうか。


 誰かを助けるために死ぬことと、自分自身が生きたいと願うこと。


 その二つを、どう考えればいいのだろう。


 何も分からなかった。


 ユイは、彼の腕を握ったまま、俯いた。


 彼が何も答えられないことが、余計に怖かった。


 もし、彼が迷っているのなら。


 もし、彼が自分の命を大切にしようと考えてくれるのなら。


 まだ、何とかできるのかもしれないと思えた。


 けれど、彼は。


 彼は、まだ、自分の命をどう扱えばいいのかさえ、分かっていないのだ。


     ◇


 リゼは、二人を見つめていた。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……一つ、伝えておくわ」


 ユイとレンが顔を上げる。


「回生核の力が尽きれば、その次に命を落としたとき、回生は起きない」


 その言葉は、静かだった。


 けれど、そこにある意味は、あまりにも重かった。


「もう一度、生き返ることはできない。少なくとも、私が知っている記録には、そう書かれている」


 ユイは、目の前が暗くなるような感覚を覚えた。


 その次に命を落としたとき。


 もう一度、生き返ることはできない。


 当たり前のことを言われただけなのかもしれない。


 人間は、いつか死ぬ。


 それは、誰もが知っている。


 けれど、レンは違った。


 少なくとも、ユイはそう思っていた。


 何度でも生き返る。


 だから、彼は特別なのだと。


 自分たちとは違う、何かを持っているのだと。


 その能力があれば、危険な場所でも、誰かを助けられるかもしれない。


 そう考えていた。


 しかし、違ったのだ。


 彼も、いつかは死ぬ。


 当たり前のことなのに。


 その当たり前が、こんなにも怖いとは思わなかった。


「……どうして、そんなことが分かるんですか?」


 ユイは、リゼを見つめた。


「あなたは、何を知っているんですか?」


 リゼは、少しだけ目を伏せた。


「……記録を読んだからよ」


「どこで?」


「それは、今は話せない」


 ユイの胸の奥で、何かが強く揺れた。


 この少女は、何かを知っている。


 レンの出生についても。


 回生核についても。


 自分たちが知らないことを、いくつも知っている。


 それなのに、肝心なところになると、話せないと言う。


 信じていいのだろうか。


 疑うべきなのだろうか。


 ユイには、判断できなかった。


 しかし、一つだけ確かなことがあった。


 レンの命には、限りがある。


 あと三回。


 その回数を使い切れば、次はない。


 その事実だけは、どうしても頭から離れなかった。


     ◇


 リゼが去ったあと、ユイとレンは部屋に残っていた。


 金属板は、机の上に置かれたままだった。


 そこに描かれた五つの区画のうち、二つには黒い線が引かれている。


 残された三つ。


 それが、レンに残された命の回数なのだという。


 ユイは、その図から目を離せなかった。


 数字にしてしまえば、簡単なことなのかもしれない。


 五回のうち、二回を使った。


 残りは三回。


 ただ、それだけの話だ。


 けれど、その数字の先には、何があるのだろう。


 一回。


 二回。


 三回。


 それが終わったとき、レンはどうなるのだろう。


 彼が、もう二度と目を覚まさなくなったら。


 自分は、どうすればいいのだろう。


「……ユイ」


 レンが、静かに呼んだ。


「……うん?」


「大丈夫?」


 その言葉を聞いて、ユイは思わず笑いそうになった。


 どうして。


 どうして、こんなときまで。


 自分のことを心配してくれるのだろう。


 自分の命が、あと三回しかないと告げられたのは、彼のほうなのに。


「……大丈夫じゃないよ」


 ユイは、正直に答えた。


「……全然、大丈夫じゃない」


 レンは、何も言わなかった。


「……怖いよ」


 ユイは、俯いた。


「あなたが、いなくなっちゃうかもしれないんでしょ。もう、二度と生き返らないかもしれないんでしょ……」


 言葉にすればするほど、胸が苦しくなった。


「……そんなの、嫌だよ」


 彼女の目から、涙がこぼれた。


 止めようとしても、止まらなかった。


「……私、あなたに死んでほしくない」


 レンは、彼女を見つめた。


 その表情には、驚きと戸惑いが浮かんでいた。


 ユイは、もう一度、彼の腕を握った。


「……お願いだから、無理をしないで」


 声が震えた。


「危険な場所へ行かないで。自分の命を、軽く考えないで。……お願いだから」


 レンは、彼女の手を見つめていた。


 しばらくして、そっと、その手を握り返した。


「……ユイ」


「……なに?」


「僕は……まだ、どうすればいいのか、分からない」


 彼は、正直に言った。


「誰かが助けを求めていると、やっぱり、助けたいと思うんだ。でも、君が悲しむことも、分かった」


 レンは、少しだけ目を伏せた。


「……僕は、君に悲しんでほしくない」


 ユイは、彼を見つめた。


「……それなら」


 思わず、言葉が出た。


「それなら、もう危険な場所へ行かないでよ……!」


 レンは、何も言わなかった。


 ユイは、自分がどれほど身勝手なことを言っているのか、分かっていた。


 彼は、誰かを助けたいと思っている。


 それは、彼の大切な気持ちだ。


 その気持ちを、自分の恐怖だけで奪っていいわけではない。


 分かっている。


 頭では、分かっているのだ。


 それでも、今は。


 今だけは、彼を失うことが怖くて、どうしても譲れなかった。


「……お願い」


 ユイは、彼の手を強く握った。


「……レン、お願いだから……」


 レンは、彼女の手を握り返したまま、何も言えなかった。


 彼もまた、どうすればいいのか分からなかった。


 自分の命が、あと三回しかない。


 その事実は、確かに怖かった。


 しかし、助けを求める人を見捨てて生きることが、自分にできるのかも分からなかった。


 そして、自分のために泣いているユイを、どうすれば安心させられるのかも、分からなかった。


 彼女を悲しませたくない。


 その気持ちは、確かにある。


 けれど、誰かを助けたいという気持ちも、消えてはくれなかった。


 二つの思いが、胸の中でぶつかり合っていた。


 どちらかを選べば、もう一方を傷つけてしまうような気がした。


 レンは、初めて、自分の中に答えの出ない問題があることを知った。


     ◇


 その日の夕方、ユイは一人で救護所の外に出た。


 空は、薄い灰色に染まっていた。


 雨は上がっていたが、地面にはまだ水たまりが残っている。


 ユイは、軒下に立って、遠くの空を見つめた。


 あと三回。


 その数字が、頭の中から離れなかった。


 レンが、あと三回しか生き返れない。


 もし、その三回を使い切ったら。


 その次に、彼が命を落としたら。


 もう、戻ってこない。


 これまで、ユイは何度も彼が生き返るのを見てきた。


 彼がいなくなり、悲しみ、涙を流したあとで、再び目を開けてくれる。


 それが、彼の能力だった。


 けれど、これからは違う。


 彼が倒れたとき、残された回数を考えなければならない。


 あと何回、生き返れるのか。


 次に何かが起きたら、どうなるのか。


 その不安が、これからずっと、自分の中に残るのだろう。


 ユイは、胸元を押さえた。


 苦しかった。


 レンが何者なのか分からないことよりも、彼の過去が分からないことよりも。


 彼が、いつか本当にいなくなってしまうかもしれないということが、何よりも怖かった。


 どうして、こんなに怖いのだろう。


 自分は、彼と出会って、まだほんの少ししか経っていない。


 彼のことを、何も知らない。


 それなのに、彼がいなくなることを考えると、こんなにも胸が苦しくなる。


 ユイは、ゆっくりと目を閉じた。


 もう、分かっていた。


 自分は、彼を失いたくないのだ。


 ただ、それだけではない。


 彼が生きていてほしい。


 笑っていてほしい。


 明日も、その先も、一緒に過ごしていたい。


 そう願っている。


 それが、どんな感情なのか。


 名前をつけるには、まだ怖かった。


 けれど、もう、ただの同情や恩返しだとは思えなかった。


「……レン」


 小さく名前を呼ぶ。


 返事はない。


 それでも、ユイは、その名前を心の中で何度も繰り返した。


 どうか。


 どうか、彼が無事でありますように。


 どうか、彼が自分の命を大切にできますように。


 そして、いつか。


 自分が彼の隣で、何の心配もせずに笑える日が来ますように。


 その願いは、今の彼女には、あまりにも遠いものに思えた。


 けれど、それでも。


 願わずにはいられなかった。


     ◇


 夜。


 レンは、机の上に置かれた金属板の図を思い出していた。


 五つの区画。


 二つは、すでに失われている。


 残りは三つ。


 それが、自分に残された回生の回数なのだという。


 数字にすれば、簡単だった。


 しかし、その数字の意味を、彼はまだ理解できていなかった。


 あと三回。


 それは、あと三回までなら死んでもいいという意味なのだろうか。


 それとも、あと三回しか、死ぬことを許されていないという意味なのだろうか。


 同じようでいて、まるで違う。


 自分の命を使い切る。


 そんな言い方が、頭に浮かんだ。


 まるで、自分の命が、どこかに蓄えられた道具のようだった。


 誰かを助けるために使い、使い切れば、もう終わり。


 それが、自分の存在理由なのだろうか。


 レンは、胸元へ手を当てた。


 衣服の下には、何かがある。


 それは、自分の命を守っているものなのかもしれない。


 あるいは、自分の命を縛っているものなのかもしれない。


 今は、まだ分からない。


 けれど、確かなことが一つあった。


 自分は、もう以前と同じではいられない。


 あと三回。


 その先には、何があるのだろう。


 レンは、隣の寝台へ目を向けた。


 ユイは、眠っていた。


 今日、彼女は泣いていた。


 自分がいなくなることを考え、怖いと言っていた。


 自分に死んでほしくないと、何度も願っていた。


 その言葉を思い出すと、胸の奥が締めつけられた。


 自分は、誰かを助けたいと思っている。


 それは、今も変わらない。


 けれど、ユイが悲しむことも、嫌だった。


 彼女が泣くことも。


 彼女が、自分を失うことを恐れることも。


 できることなら、そんな思いをさせたくなかった。


 でも、助けを求める人を見捨てることも、できそうになかった。


 レンは、目を閉じた。


 何が正しいのか、分からない。


 何を選べばいいのかも、分からない。


 それでも、いつかは選ばなければならないのだろう。


 自分の命を、どう使うのか。


 自分が何のために生きるのか。


 そして、誰と一緒に生きていきたいのか。


 レンは、ゆっくりと息を吐いた。


 隣の寝台から、ユイの穏やかな寝息が聞こえる。


 その音を聞きながら、彼は初めて、こんなことを思った。


 ――明日も、彼女の隣にいたい。


 それは、誰かを助けるためでも、何かの役割を果たすためでもない。


 ただ、彼女と一緒にいたい。


 そう思った。


 その願いが、やがて自分の生き方を変えていくことになるのを、彼はまだ知らなかった。


 そして、ユイもまた、知らなかった。


 あと三回という数字が、二人の未来に、どれほど大きな影を落としていくのかを。


 その数字を知ったことで、二人の関係が、少しずつ変わり始めていることも。


 今はただ、同じ場所で、同じ夜を過ごしていた。


 その静かな時間が、いつか失われるかもしれないと、まだ受け入れられないまま。


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