夜凪紬は遠くない②
「よ、夜凪さんっ」
夕月が紬に声を掛けたのは放課後。帰り支度を始めた時だった。急激に増殖した俄かファンとは違い、正真正銘の《Lighters》である彼女は朝比奈の言いつけを守っていたがそれも限界のようだ。
「ア、アタシ……そ、その《Lighters》なんですっ」
「そ、そうなんだ。ありがとう」
「ず、ずっと夜凪さんを推してましたっ」
普段は彼氏といちゃつくので忙しい夕月が頬を紅くして想いを伝えている。
その姿は健気と言うか恋する乙女と言うか、とにかく頑張れと背中を押したくなる純情さを感じる。浩一もそんな彼女を少し離れたところから見守り、茶々を入れる素振りは見せない。むしろ面白いものが見れると好奇な視線を向けている。
一方で紬はなんというか、少し戸惑っているように見えた。
「インディーズの頃からずっと夜凪さんを推してますっ」
「そうなの?」
「はいっ」
「そっか。珍しいね。たしか《Lighters》って箱推しする子が多いんでしょ。あとは灯里推しが多いよね」
「そんなことない! 夜凪さんの歌声は綺麗だし、聞いてるだけで落ち着くって言うか……とにかく好きなのっ」
語彙力のなさを勢いで乗り切ろうと夕月は顔を真っ赤にして紬愛をアピールする。というか夕月が紬推しだったのは知っていたが、まさかここまで熱心だったとは。
「卒業するって聞いたすごく悲しかったです。でも夜凪さんが進む道を決めれるのは夜凪さんしかいないし。だから――」
「――柊さん」
「は、はいっ」
「ありがと」
素っ気ない態度を取ったつもりだろうが紬の口許は緩み、頬はほんのり紅く染まっていた。その様子から本当に紬個人のファンは少なかったのだろう。
「今日、一緒に帰っちゃダメ?」
控えめに尋ねたのは紬。相手は夕月だ。
「……え?」
当然ながら誘われた当人は思いもよらぬ申し出に文字通り固まっている。かくいう俺も予想外の展開に驚きを隠せずに紬を凝視した。
「ごめんなさい。嫌なら別に――」
「嫌じゃない! すごく嬉しい!」
「よかった。柊さんとは仲良くなりたいなって」
その言葉はきっと本心なのだろう。自分のファンだから特別扱いする訳じゃない。ムギではなく夜凪さんと呼んだことで夕月に対する警戒心が薄れたのだろう。つまるところ他の奴らと違い「大人の対応」をした夕月に安心したということだ。
「私はもう【Re:Light】の夜凪紬じゃない。それでも良いなら友達になりたいって思ってる」
「ア、アタシでの良いの?」
「柊さんだから友達になりたい」
なんか青春マンガの一コマを見ているよう気分だ。
笑顔を向ける紬に戸惑う夕月。見ているこっちまで心が温かくなるような二人の空気感を壊す訳にはいくまい。変わらず俺たちから離れた場所で様子を覗っている浩一に視線を送ればその意図をちゃんと汲み取り、俺にだけわかるように小さく頷き返す。
「それじゃ、俺たちは帰るわ。夕月、あんまり夜凪を困らせるなよ」
「わ、わかってるから!」
「それじゃ。夜凪もまた明日な」
荷物を手に立ち上がり紬たちに声を掛け、そのまま浩一のところへ向かう。別に紬の保護者になったつもりはない。夕月も分別は付けているようだし、朝比奈が懸念しているようなことは起きないだろう。
「いいのか。夜凪さんと一緒にいなくて」
「別に俺はあいつの保護者じゃない。おまえこそ良いのか。夕月のやつ浮気してるぞ」
「アレを浮気と言うほど心は狭くねぇよ。というか、おまえ夜凪さんと距離近くないか?」
「そりゃ隣の席だからな」
「そう言うんじゃなくてくさ。なんつーか、夜凪さんがおまえにだけ妙に親しげっていうか」
どんな観察力してんだ。こいつはこういう察しの良さがあるから困る。下手に誤魔化せば墓穴を掘りかねないがいまはまだ話せない。
「ま、別に良いけど。帰り、何処か寄るか? ユーは夜凪さんと一緒だし」
「いつもとこ行くか。もちろんおまえの奢りな」
「なんでだよっ」
「なんとなく」
察しの良い奴への罰だとは言えず、それとなく理由を濁せば当然ながら文句を言われるがこれもいつものことだ。もちろん理由なく奢ってもらうつもりはなく軽口の言い合い。俺たちなりの戯れ合いなのだが背後から羨望を含んだ視線が向けられていることにその時は気付かなかった。




