夜凪紬は遠くない①
新学期二日目の教室は何処となく浮かれた空気が漂っていた。
「夜凪さんって【Re:Light】の“ムギ”だったんだよねっ」
「う、うん」
「誰か会ったことある?」
「え、えっと……」
朝比奈の忠告は何処に行ったのか。
休み時間のたびに紬の周りには人だかりができていた。それもそのはず。昨夜のネットニュースで紬の引退が写真付きで取り上げられていたのだ。昨日はまだ信じ切れていなかった連中も転校生がホンモノだと知れば騒がしくはなる。その度に紬は困ったような顔を見せながらも丁寧に応えている。これがプロというものなのか。
「あんまりしつこかったら適当に無視して良いからな」
授業中。教師の隙を見て紬へ声を掛けると彼女は「大丈夫」と短く答えた。休み時間を俄かファンに囲まれても嫌な顔せず、1人ひとり丁寧に対応している姿はまさにプロだが隣人としてどうしても気に掛けてしまう。
「取材と思えば大丈夫」
「そうか」
「騒がしいよね。ごめん」
「別に気にしてねぇよ。ただ迷惑してんじゃないかなって」
「大丈夫だから気にしないで」
素っ気ない。そう言ってしまえばそれまでだがノートを取りながら答える紬からは冷たい空気を感じた。
(やっぱり昨日のアレか)
おそらく踏み入れられたくない部分に触れてしまった。いまさらだが昨夜のやり取りを反省する。
「学業に専念とかありきたりでしょ」
シャープペンシルを走らせる手を止めず呟く紬は、よくあることだから気にしてない。気になる気持ちは理解できると俺の心を先読みしたフォローをする。そして、少し間を空けて「歌いたくないの」と教えてくれた。
「ただ歌いたくないだけ。それだけ」
深くは言いたくないらしく紬は黒板の文字を追いかけ、俺もこれ以上踏み込むことはやめようと決めた。




