第七話 街道の異変
翌朝、セレナは宿を出た。
街道を西へ進めば、チャイムまではあと二日ほど。
道中にある町で一泊すれば、明日の夕方には到着できるはずだった。
旅立ってから、ずいぶん時間が経った気がする。
それでも、目的の魔法使いにはまだ出会えていない。
「……焦っても仕方ないか」
独り言をこぼし、少年は歩き続けた。
空は晴れ、風も穏やかだった。
街道には荷車を引く商人や、町から町へ移動する旅人の姿がある。
ときおり兵士らしき一団ともすれ違った。
以前よりも、人の往来が増えている。
チャイムに近づいている証拠なのだろう。
しばらく歩いたところで、セレナは前方に立つ人々に気づいた。
街道の脇に、数台の荷車が止まっている。
その周囲には商人や護衛らしき男たちが集まり、何かを相談していた。
「どうしたんだ?」
セレナが近づくと、荷車のそばにいた中年の男が振り向いた。
「魔獣だよ。街道の先に出たらしい」
「魔獣?」
「ああ。先行した荷車が襲われたんだ。幸い、乗っていた連中は逃げられたらしいが、道を塞がれてしまってな」
男は困ったように頭をかいた。
「護衛が様子を見に行ったが、まだ戻ってこない。迂回路もあるにはあるが、かなり遠回りになる」
セレナは街道の先を見た。
距離はあるが、かすかに嫌な気配が伝わってくる。
魔獣のものだ。
「俺が見てこよう」
「おい、待ちな。あんた一人でどうにかなる相手か分からんぞ」
「様子を見るだけだ。危なければ戻ってくる」
そう答え、セレナは街道を進んだ。
男は何か言いたげだったが、結局、止めなかった。
*
街道をしばらく進むと、道の先に荷車が見えてきた。
車輪の一つが壊れ、荷台が傾いている。
その近くでは、二人の男が木の陰に身を隠していた。
「……おい、そこの仮面!」
一人がセレナに気づき、小声で呼びかけた。
「近づくな。あれを見ろ」
男が指さした先にいたのは、巨大な甲虫のような魔獣だった。
黒光りする硬い甲殻。
人の胴ほどもある大きな体。
頭部から伸びる二本の角が、荷車の木枠を何度も突き破っている。
甲虫型の魔獣は、荷台に積まれていた木箱をひっくり返し、中身を漁っていた。
「こいつは、どういう魔獣なんだ?」
セレナが尋ねると、男の一人が答えた。
「角虫だ。普段は森の中にいるらしいが、腹を空かせると街道まで出てくることがある。甲殻が硬くて、普通の剣じゃなかなか傷がつかん」
「弱点は?」
「腹側だ。だが、あの角で突かれたら終わりだぞ」
セレナは魔獣の動きを観察した。
甲殻は確かに硬そうだった。
頭部を覆う殻には傷一つない。
しかし、脚の付け根や腹部には、甲殻の隙間がある。
あそこなら剣が通るかもしれない。
「二人は、もう少し下がっていてくれ」
「おい、本気か?」
「大丈夫だ」
セレナは剣の柄に手をかけた。
角虫がこちらに気づく。
大きな顎が開き、低い音が響いた。
次の瞬間、角虫は地面を蹴り、一直線に突進してきた。
セレナは横へ跳んだ。
角が外套の端をかすめ、背後の木に突き刺さる。
角虫が角を抜こうともがく。
その一瞬を逃さず、セレナは駆け寄った。
剣を逆手に持ち替え、脚の付け根へ深く突き立てる。
甲虫が激しく体を揺らした。
少年はすぐに剣を引き抜き、間合いを取る。
「硬いな……」
一撃では倒せない。
魔獣は怒り狂ったように向き直り、今度は右前脚を振り上げた。
セレナは低く身をかがめ、振り下ろされる右前脚の下をすり抜けた。
同時に腹部の甲殻が重なる部分へ剣を差し込む。
刃は思いのほか深く食い込んだ。
剣を引き抜きすぐさま後ろに身を引く。
魔獣は数歩よろめき、やがて地面に倒れた。
*
セレナが振り返ると、二人の男は驚いた顔でこちらを見た。
「倒したのか……?」
「ああ。もう動かない」
「すごいな。あんな魔獣を一人で倒すなんて」
男たちは荷車の方へ駆け寄り、壊れた荷台や散らばった荷物を確認した。
幸い、積み荷の大半は無事だった。
「助かったよ。これで荷物を運べる」
「俺は先に、ほかの人たちへ知らせてくる」
一人が仲間のもとへ走っていった。
残った男は、倒れた角虫を見ながら言った。
「素材を売るつもりなら町の解体屋に持っていくといい。甲殻は道具の材料になるし、角なら高額で売れるはずだ」
「そうなのか」
「ただ、解体には手間がかかる。自分で運べるなら、だけどな」
セレナは魔獣を見下ろした。
町に着くまでの食費を考えれば、素材を売れるのはありがたい。
「少し、手伝ってもらえないだろうか?」
「もちろんだ。助けてもらった礼くらいはさせてくれ」
二人は協力して、魔獣から角と甲殻の一部を切り取った。
その間に、後続の荷車も到着した。
商人たちは壊れた荷車を修理し、荷物を積み直す。
一連の作業が終わる頃には、太陽も少し傾いていた。
「本当にありがとう。町に着いたら、解体屋の場所を教えてやるよ」
「助かります」
セレナは礼を言い、再び西へ向かう荷車の一団と歩き始めた。
街道の先には、まだ見知らぬ土地が広がっている。
そこにどんな魔法があり、どんな人々がいるのか。
考えるだけで、胸の奥が少し弾んだ。




