第五話 小さな魔法
町を出てから二日目。
セレナは、街道沿いにある小さな集落へとたどり着いた。
大きな町ではない。
街道から少し離れた場所に家々が集まり、畑と牧草地が広がっている。
旅人が立ち寄るための小さな宿と、食料品を扱う店が一軒ずつあるだけだった。
日が暮れる前に、次の町へ向かうか。
それとも、この集落で一晩休むか。
少年が考えながら歩いていると、道の先から子供の泣き声が聞こえてきた。
「お母さん……!」
見ると、家の前で小さな男の子が泣いていた。
そのそばでは、女性が膝をつき、困ったように辺りを見回している。
「どうした?」
セレナが声をかけると、女性は仮面を見て一瞬身構えた。
だが、少年の声が思いのほか穏やかだったためか、すぐに表情を緩めた。
「すみません。息子が熱を出してしまって……」
「熱?」
「朝からずっと具合が悪くて。水を飲ませても戻してしまうんです」
少年は男の子の様子を見た。
顔が赤く、呼吸も少し荒い。
ただの疲れではなさそうだった。
「医者は?」
「この辺りにはいません。隣町まで行けば薬師がいるのですが、息子を連れて歩かせるわけにもいかなくて……」
女性の声には、焦りがにじんでいた。
セレナは少し考えてから、荷物を下ろした。
「俺にもできることがあるかもしれない」
「あなたが?」
「治療の魔法を少しだけ使えるんだ」
そう言いながら、彼は男の子の前に膝をついた。
実際には、彼の治癒魔法はごく初歩的なものだった。
傷を塞いだり、疲労を和らげたりする程度。
熱病を治せるほどの力はない。
それでも、何もしないよりはいい。
セレナは少年の額に手を当て、静かに魔力を流した。
淡い光が指先に灯る。
しかし、すぐに消えてしまった。
「……駄目か」
思わず呟く。
男の子の熱は下がらない。
「すまない。俺の力では少し体力を回復する程度しか……」
「いえ、そんな……。ありがとうございます」
女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
セレナは立ち上がり、周囲を見回した。
そのとき、家の脇に積まれた薪のそばで、小さな水桶が倒れているのに気づいた。
「水を飲めないと言っていたな」
「はい。でも、少しずつなら……」
「無理に飲ませない方がいい。口を湿らせる程度にして、できるだけ涼しい場所で休ませるんだ」
彼は水桶を起こし、女性が用意した布を水で濡らした。
それから、男の子の額にそっと載せる。
できることは、それくらいだった。
*
「お兄ちゃんは魔法使い?」
少し落ち着いた男の子が、かすれた声で尋ねた。
「いや。少し使えるだけなんだ」
「でも、光ってたよ」
「……ああ」
セレナは言葉に詰まった。
彼にとって魔法は憧れだった。
だからこそ、魔法を使えると言うだけで、誰かの役に立てるような気がしていた。
だが、目の前の子供を治すことすらできない。
それが、悔しかった。
「お兄ちゃんは、すごい魔法を使えるようになりたい?」
男の子は、仮面の奥を覗き込むように尋ねた。
「……そうだね」
「きっとなれるよ」
あまりにも無邪気な言葉だった。
セレナは、思わず顔を上げた。
「どうして、そう思うんだい?」
「だって、ぼくを助けようとしてくれたから」
少年は小さく笑った。
「魔法が使える人って偉くて優しい人なんでしょ?」
セレナは何も言えなかった。
魔法を使える者が、必ずしも優しいわけではない。
それは、彼にも分かっていた。
それでも、目の前の子供が信じている魔法使いの姿を、否定したくはなかった。
「……そうだね」
彼は静かに答えた。
「その言葉、忘れないよ」
*
日が傾き始めた頃、集落の外から荷車がやってきた。
隣町へ薬を買いに行っていた男が、ようやく戻ってきたのだという。
女性は何度も礼を言いながら薬を受け取っていた。
セレナは何も言わずその場を離れた。
今夜のうちにもう少し先まで進んでおこうと決めた。
集落を出てしばらく歩いたところで、セレナは足を止めた。
空には夕焼けが広がっている。
遠くの森が、赤い光に染まっていた。
彼は荷物から、昨日もらった魔力石の欠片を取り出した。
小さな石は、夕日を受けて淡く輝いている。
魔力を蓄える石。
これを使えば、自分の魔力を補えるのだろうか。
それとも、魔法を使うための補助になるのだろうか。
分からないことばかりだった。
「……もっと勉強しないとな」
石を袋に戻し、荷物を背負い直す。
自分には、剣がある。
人を守るために使える剣が。
だが、魔法にはまだ知らないことが山ほどある。
いつか、誰かを助けられるだけの魔法を身につけたい。
その思いは、旅に出る前よりも強くなっていた。
セレナは再び歩き始めた。
西の空には、最初の星が輝いていた。




