第三十八話 糸を断つ
「来るわよ!」
彼女の声と同時に、蜘蛛の尾端から白い糸が放たれた。
「師匠、避けて!」
セレナは彼女の肩を押し、横へ飛び退いた。
糸は二人の間を通り抜け、背後の家の壁に突き刺さる。
次の瞬間、壁の一部が砕け散った。
「なんて威力だ……!」
セレナは剣を構え直した。
あの糸は、先ほど彼女の腕に絡みついたものと同じだろう。
普通の剣では切れないほど硬く、壁を砕くほどの強度がある。
蜘蛛は家の壁に張りついたまま、複数の目で二人を見つめていた。
「あの糸には気をつけて。硬いものだけじゃなく、動きを封じる粘着性の糸も使うはずよ」
「分かりました」
「まずは、あいつを地面に下ろすわ」
彼女が弓を引き絞った。
矢尻に魔法の式が刻まれ、炎が灯る。
放たれた矢は蜘蛛の脚を狙って飛んだ。
蜘蛛は脚を動かして矢を避けようとしたが、炎の矢は一本の脚に命中した。
「ギィィッ!」
耳障りな鳴き声が響く。
蜘蛛は壁から離れ、地面へと飛び降りた。
着地した巨体が、土煙を巻き上げる。
「来ます!」
蜘蛛は八本の脚を素早く動かし、二人へと迫った。
セレナは剣を構えて迎え撃つ。
しかし、蜘蛛は正面からぶつかってくることはなかった。
前脚を大きく振り上げ、左右からセレナを挟み込むように攻撃してくる。
「くっ!」
セレナは後ろへ跳び、攻撃をかわした。
その直後、蜘蛛の尾端から白い糸が放たれる。
今度は粘着性の糸だった。
地面に広がった糸が草や土を巻き込み、べったりと張りつく。
「足を取られないようにして!」
「はい!」
セレナは足元を確かめながら距離を取った。
蜘蛛は二人を追い立てるように、次々と糸を放ってくる。硬い糸は家の壁や地面に突き刺さり、粘着性の糸は逃げ道を塞ぐように広がっていった。
「このままでは動ける場所がなくなってしまうわ……」
彼女は蜘蛛の動きを観察しながら、弓を構え直した。
「セレナ! 私が炎の矢で動きを鈍らせる。その隙に攻撃して!」
「分かりました!」
彼女が矢を放つ。
炎の矢は蜘蛛の脚に次々と命中し、黒い外殻を焼いた。
蜘蛛は身体をよじり、脚を振り回す。
さらに彼女は間を置かずに矢を放った。
今度は胴体へ。
炎が広がり、蜘蛛の動きが目に見えて鈍くなる。
セレナは地面を蹴った。
蜘蛛の前脚が迫る。
それを横へかわし、懐へと踏み込む。
剣を振り下ろすが、蜘蛛は別の脚を差し出して刃を受け止めた。
キンッ!
硬い音が響き、剣が弾かれる。
「やっぱり、正面からでは……!」
セレナは一度距離を取った。
蜘蛛の脚は硬い。力任せに斬りつけても、簡単には通らない。
ならば、狙う場所と斬り方を変えるしかない。
蜘蛛が再び脚を振り上げた。
セレナはその動きを見極め、攻撃をぎりぎりでかわす。
そして、相手の脚が地面につく瞬間を狙って踏み込んだ。
「はあっ!」
身体をひねり、剣を横薙ぎに振るう。
回転の勢いを乗せた刃が、蜘蛛の脚を斬り裂いた。
「ギィッ!」
蜘蛛が悲鳴のような音を上げる。
セレナは止まらなかった。
そのまま身体を回転させ、続けざまに剣を振るう。
一本、また一本と蜘蛛の脚を斬りつけ、蜘蛛の動きを封じていく。
「師匠!」
「任せて!」
彼女の炎の矢が蜘蛛の胴体へと突き刺さった。
炎に包まれた蜘蛛は、激しく身体をよじる。
それでもなお、尾端から糸を放とうとした。
「させません!」
セレナは最後の力を込めて踏み込んだ。
回転の勢いを乗せた一閃が、蜘蛛の身体を斬り裂く。
巨体が大きく傾き、地面へと倒れ込んだ。
八本の脚がしばらく不規則に動いていたが、やがてその動きも止まった。
「……倒せた、んでしょうか」
セレナは剣を構えたまま、蜘蛛の様子をうかがった。
彼女も弓を下ろさず、しばらく警戒を続ける。
「ええ。もう動かないわ」
その言葉を聞いて、セレナはようやく息を吐いた。
「助かりました、師匠」
「あなたの剣がなければ、倒せなかったわ。よくやったわね」
彼女は蜘蛛の死骸から視線を外し、家の方を見た。
「それより、さっきの繭よ。中にいた人を助けましょう」
「はい!」
二人は周囲を警戒しながら、先ほどの家へと戻った。
部屋の奥には、白い繭が残されていた。
先ほど蜘蛛が現れた際に糸が飛び散ったのか、表面の一部が裂けている。
その隙間から、人の腕が覗いていた。
「まだ生きているはずです」
セレナが近づこうとすると、彼女が手で制した。
「待って。糸に触れるのは危険よ。私が焼き切るわ」
彼女は弓を構え、繭の端へ小さな炎の矢を放った。
糸が燃え、少しずつ隙間が広がっていく。
セレナも剣の先で慎重に糸を取り除き、二人で繭を開いていった。
中から現れたのは、一人の村人だった。
身体は衰弱し、顔色も悪い。だが、胸はかすかに上下している。
「よかった……。まだ息があります!」
「急いで安全な場所へ運びましょう」
セレナは村人を抱き上げ、糸の少ない場所へと運んだ。
彼女はその様子を確認すると、周囲を見回した。
「ほかにも繭があるかもしれないわ。村の中を探しましょう」
二人は家々を調べて回った。
軒下や部屋の奥、天井から垂れ下がる糸の中にも、白い繭がいくつも見つかった。
その中には、まだ息のある村人もいた。
しかし、すでに命を落としている者も少なくなかった。
どの遺体もひどく衰弱していた。外に置かれていた村人たちと同じように、生気を失った姿だった。
セレナは助け出した村人たちを見つめた。
蜘蛛に捕らえられ、生きたまま繭に包まれていた人々。
そして、命を奪われたあと、旅人を誘い込むために巣へと配置された人々。
この村で起きたことを思うと、胸の奥が重くなる。
「助けられる人は、まだいるかもしれません」
「ええ。最後まで探しましょう」
二人は村の中に残された繭を、一つずつ確かめていった。
蜘蛛の巣に覆われた村は、静まり返っていた。
先ほどまで二人を襲っていた巨大蜘蛛も、今はもう動かない。
それでも、そこに囚われていた人々の姿は、この場所で起きた惨劇を静かに物語っていた。




