第三十七話 糸に囚われた村
森の奥へと進んでいく骸たちを、セレナと彼女は木々の陰から見送っていた。
カタ、カタ、カタ……。
乾いた音が遠ざかっていく。
骸骨たちは一度も振り返ることなく、南へ向かって歩き続けていた。
「サイレンへ向かっているように見えますね」
「ええ。でも特に敵意は感じないし、今は追わなくてもよさそうね」
彼女は弓を下ろした。
「それより先に、村のことを調べましょう。あそこに生存者はいないか確かめておきたいわ」
「分かりました」
二人は荷車のあった場所を離れ、来た道を戻り始めた。
村の入り口に近づくにつれ、周囲の景色はますます異様になっていった。
木の枝から白い糸が垂れ下がり、道端の草むらにも細い糸が絡みついている。
風に揺れるそれらは、まるで村全体が巨大な何かに包み込まれているようだった。
「……ずいぶん広い範囲に巣を張っているんですね」
「ええ。普通の蜘蛛の巣とは違うわ。これほど大きな巣を作る魔物なら、相当な大きさよ」
彼女は指先で糸に触れた。
「気をつけて。触れたところから絡みつくような糸もあるかもしれない」
「はい」
村の入り口を越えると、二人は足を止めた。
昨日は気づかなかったが、道の両側にある家々の窓や扉にも、白い糸がびっしりと張りついている。
その奥に人影が見えた。
道の脇に立つ、一人の村人。
両腕を前に伸ばし、指を広げている。
まるで、こちらへおいでと手招きしているようだった。
「人だ……」
セレナは一歩踏み出しかけた。
「待って」
彼女が腕を伸ばし、セレナを制した。
「様子がおかしいわ」
二人は慎重に近づいた。
村人は動かない。
顔は青白く、目は虚ろに開いたまま。
口元には乾いた汚れがこびりついている。
衣服はところどころ裂け、露出した肌は水分を失ったように干からびていた。
そして、その身体を支えるように、背後の蜘蛛の糸が幾重にも張り巡らされていた。
「……亡くなっているんですか」
「おそらくね」
彼女は村人の首元を確かめようとしたが、すぐに手を引いた。
「傷らしい傷がない……。それなのに、こんなに生気を失っているなんて」
セレナは村人の顔を見つめた。
生きているように見えるほど自然な姿勢なのに、その目には何の光もない。
まるで、誰かを迎えるためだけに置かれた人形のようだった。
「どうして、こんなことを……」
答える者はいない。
二人は周囲を警戒しながら、村の中央へと進んだ。
そこにも、同じような人影があった。
家の前に立つ者。
道の端で膝をつく者。
両手を広げ、何かを差し出すような格好をした者。
どれも、旅人を招き入れるような姿勢をしている。
しかし、その全員が死んでいた。
「これは……罠でしょうか」
「そう考えた方がいいわね。村に入ってきた者を誘い込むために、わざとこうしているのかもしれない」
彼女の声は、いつになく硬かった。
「つまり、僕たちも……」
「ええ。ここにいる何かに見られていると思って行動して」
セレナは剣の柄を握った。
そのときだった。
家の奥から、かすかな音が聞こえた。
コツ……コツ……。
何かが壁を叩くような音。
二人は顔を見合わせる。
「今の音……」
「慎重に確認しましょう」
彼女が先に立ち、音のした家へ近づく。
扉は半分ほど開いていた。隙間から中を覗くと、天井から垂れ下がる蜘蛛の糸が、部屋の奥まで続いている。
その糸の塊が、わずかに揺れていた。
「あれは……」
「静かに」
彼女は弓を構えたまま、ゆっくりと室内へ入った。
セレナも剣を抜き、後に続く。
部屋の奥には、人の身体ほどの大きさをした白い繭があった。
幾重にも糸が巻きつき、表面は濡れたように光っている。
蜘蛛の幼虫かとも考えたが様子がおかしい。
内側から、また音がした。
コツ……コツ……。
「誰かいるんですか?」
セレナが声をかける。
返事はない。
ただ、繭が小さく揺れて反応した。
彼女は近くの糸を慎重に避けながら、繭へ近づいた。
「生きている人かもしれない……」
腰の道具袋から小さな刃物を取り出し、繭の表面に触れようとする。
その瞬間。
彼女の手首に、細い糸が絡みついた。
「っ!」
糸は一瞬で彼女の腕に巻きつき、家の奥へ引っ張った。
「師匠!」
セレナはすぐに彼女の腕を掴んだ。
だが、糸は強く引き続ける。
「離して! あなたまで引き込まれるわ!」
「そんなことできません!」
セレナは剣を振り上げ、彼女の腕に絡む糸を斬ろうとした。
しかし、刃が触れた瞬間、硬い感触が伝わった。
キンッ!
剣が弾かれる。
「硬い……!」
「普通の刃では切れない糸もあるみたいね!」
彼女は空いた手で矢を取り出し、矢尻に魔法の式を刻んだ。
「セレナ、少し離れて!」
「はい!」
彼女が矢を放つ。
小さな炎が走り、腕に絡みついていた糸を焼き切った。
二人はすぐに繭から距離を取った。
その直後、天井から何かが落ちてきた。
ドサッ。
床に落ちたのは、白い糸の塊だった。
その表面が、ゆっくりと裂ける。
中から現れたのは、人間の腕だった。
指先がわずかに動く。
「まだ、生きている……!」
セレナが駆け寄ろうとする。
「待って!」
彼女の声が響いた。
繭の表面に、細かな亀裂が走っていた。
次の瞬間、内部から糸が噴き出すように伸び、部屋の壁や床へ広がった。
「下がって!」
二人は家の外へ飛び出した。
背後で、繭が大きく裂ける音がした。
そして、天井の奥から、何かが這い回る音が聞こえてきた。
カサ、カサ、カサ……。
セレナは剣を構え、家の屋根を見上げる。
白い糸の隙間に、黒い影が動いた。
大きな脚が一本、屋根の端から姿を現す。
続いて、もう一本。
家の壁に張りつくように、巨大な蜘蛛がゆっくりと降りてきた。
その身体は横にした樽ほどの胴体を持ち、八本の脚を広げると、家の壁を覆い隠すほどだった。
「……あれが、村を襲った魔物」
彼女が弓を構える。
蜘蛛の複数の目が、二人を捉えた。
そして、その尾端から白い糸が垂れ落ちる。
セレナは剣を握り直した。
蜘蛛は、二人を見定めるようにしばらく動かなかった。
やがて、前脚をゆっくりと持ち上げる。
その動きに合わせ、周囲の巣が一斉に揺れた。
「来るわよ!」
彼女の声と同時に、蜘蛛の尾端から白い糸が放たれた。




