第三十六話 森に響く足音
村を離れた二人は、森の中で夜を明かしていた。
焚き火は小さく、周囲を照らす程度の明るさしかない。
彼女は火のそばに腰を下ろし、弓の手入れをしている。
セレナは少し離れた場所で、村の方角を気にしていた。
あの村で見た光景が、頭から離れない。
壊れた家々。引きずられたような跡。そして、村を覆っていた大量の糸。
「気になる?」
彼女の声に、セレナは振り返った。
「あの村でいったい何があったんでしょう」
「あの糸の様子からすると、何かに襲われた可能性が高いわね」
「やはり、魔物でしょうか」
「その可能性はあるわ。ただ、普通の魔物があれほど大量の糸を残すとは思えない」
彼女は手を止め、火の向こうを見つめた。
「それに、あの村には何かがいた。姿は見えなかったけれど気配は感じたわ」
セレナは、街道で遭遇した魔物を思い出した。
「僕も感じました。あの魔物と同じような……嫌な気配です」
あの時も、魔物は何かに追い立てられるように襲いかかってきた。理性を失ったような動きと、身体から漂う重苦しい気配。
村で感じたものも、それに似ていた。
「何か関係があるのでしょうか」
「今は何とも言えないわね」
彼女は弓を置き、セレナに向き直った。
「明日は村の周辺を少し調べましょう。ただし、危険を感じたらすぐに退くこと。いい?」
「はい、師匠」
「それから、勝手に先へ行かないこと」
「分かっています」
「本当に?」
彼女の疑わしそうな声に、セレナは少しだけ肩をすくめた。
「……気をつけます」
「まったく。あなたは目を離すと何をするか分からないんだから」
そう言いながらも、彼女の声にはどこか柔らかさがあった。
セレナは小さく笑い、再び村の方角へ目を向けた。
その夜、彼はなかなか寝つけなかった。
焚き火の向こうで、彼女が静かに目を閉じている。周囲に異変がないか、気を配りながら休んでいるのだろう。
自分は剣なら振るえる。けれど、魔法はまだ未熟だ。
本当に僕には大切なものを守ることができるのだろうか。
セレナは腰に差した剣に手を添え、静かに目を閉じた。
翌朝。
二人は村へ戻る前に、周辺の森を調べることにした。
村へ続く道から少し外れた場所には、草木が不自然に折れた跡が残っていた。
「これは……」
セレナがしゃがみ込む。
地面には、何か重いものを引きずったような跡が続いていた。ところどころ、土が深くえぐれている。
彼女も隣にしゃがみ、跡を確かめた。
「村から森の奥へ続いているみたいね」
「何かを運んだのでしょうか」
「そうかもしれない。けれど何を運んだのかまでは分からないわ」
二人は跡を追い、慎重に森の奥へ進んだ。
しばらくすると、木々の間に古い荷車が見えてきた。
車輪の片方が壊れ、荷台には木箱が散乱している。
「村の人の荷車でしょうか」
「そうかもしれないわね」
彼女は周囲を警戒しながら、荷車へ近づいた。
荷台には、破れた布や空の袋が残されていた。食料を運んでいたようだが、中身はほとんどなくなっている。
そのとき、セレナの足元で小枝が折れた。
パキッ。
二人は同時に振り返った。
森の奥に、何かが立っていた。
人の形をしている。
しかし、その身体には肉も皮膚もなく、白い骨だけがむき出しになっていた。
「……骸骨?」
セレナが呟く。
それは剣を握っていた。古びた鎧を身につけ、空洞になった眼窩を二人へ向けている。
彼女が弓を構える。
骸骨はしばらく動かなかった。
やがて、ぎこちなく首を傾けると、二人の横を通り過ぎるように歩き始めた。
「襲ってこない……?」
セレナが剣の柄に手をかけたまま、その動きを見守る。
だが、骸骨は二人に目もくれず、森の奥へ向かって歩いていく。
「待って!」
彼女が声をかけた。
骸骨は反応しない。
「何かを探しているのでしょうか」
「分からないわ。でも、放っておくのは危険かもしれない」
彼女は骸骨の進む先を見つめた。
そのとき、森のさらに奥から、別の音が聞こえた。
カタ、カタ、カタ……。
乾いた骨がぶつかり合うような音。
一本の木の陰から、もう一体の骸骨が姿を現した。
続いて、さらに一体。
その後ろにも、また一体。
数は少なくない。
「こんなに……」
セレナは思わず息を呑んだ。
骸骨たちは、まるで何かに導かれるように、同じ方向へ歩いていた。
その進行方向は、南。
サイレンのある方角だった。
「師匠。あれは一体……」
「分からない。でも、あの数が街道へ出たら大変なことになるわ」
彼女は弓を下ろさず、骸骨たちの様子を見つめていた。
骸骨たちは二人に襲いかかる様子もなく、ただ黙々と歩き続けている。
「追い払うべきでしょうか」
「今はやめておきましょう。こちらから手を出す理由がないわ。それに、数が多すぎる」
彼女は少し考えた後、セレナへ視線を向けた。
「まずはどこへ向かっているのか確かめましょう。ただし、見つからない距離を保つこと」
「分かりました」
二人は木々の陰に身を隠し、骸骨たちの後を追い始めた。
その行進は、どこか異様だった。
生き物の気配がない森の中を、無数の骨が歩いていく。
彼らは何を求めているのか。
そして、なぜサイレンへ向かっているのか。
ただその光景は、今までにない異質さが感じられた。




