第二十七話 最後の足取り
昼下がりの野営地には、穏やかな風が吹いていた。
遠くから聞こえる剣戟の音も、今ではすっかり日常の一部になっていた。
弓使いの彼女は少し離れた場所に腰を下ろし、膝の上に広げた地図を見つめていた。
地図には、これまで彼女が怪物勇者の手掛かりを追って訪れた場所がいくつか記されている。
西の大山脈。
チャイム。
そして、その先にある中央大陸。
指先が、中央大陸の王都サイレンで止まった。
「……ここが最後、か」
小さく呟く。
勇者が魔王と戦った場所。
そして、その戦いの後、姿を消した場所。
それ以降の足取りについては、どれだけ調べても確かな情報が見つからなかった。
彼女は地図を見つめたまま、しばらく考え込んでいた。
「何を見ているんだ?」
声をかけられて顔を上げると、ヒイラギが立っていた。
「地図です。これまである男の足取りを追ってきた場所を確認していました」
「そうか」
ヒイラギはカナデの隣に腰を下ろし、地図を覗き込んだ。
「サイレンか」
「はい。彼が魔王と戦ったのは、サイレンの王城だったんですよね」
「ああ。やはりかそうだったか⋯」
「あの男と反乱軍が最後に魔王と戦った場所だ」
ヒイラギは地図から目を離し、遠くを見た。
「魔王を倒した後、あの男はどうなったんですか?」
「どうなった、というのは?」
「その後のことです。魔王を倒した後の彼の行方が途切れているんです」
「どこへ向かったのか。誰かと一緒にいたのか。何か知っていることはありませんか?」
ヒイラギはしばらく黙っていた。
「魔王を倒した後、あの男は王城で手当を受けていた。俺たちがようやく会う事ができた時も意識はなかった。周りにいた連中は大喜びで、あいつを胴上げしていたな⋯」
「胴上げって……?」
「ああ。魔王を倒した勇者だからな。皆、嬉しくて仕方なかったんだろう」
その時の光景を思い出したのか、ヒイラギの口元がわずかに緩んだ。
「その後はチャイムへ戻った。だが、あいつがその後どこへ行ったのかまでは知らない。俺たちも、それぞれの役目があったからな」
「そうですか……」
カナデは視線を落とした。
やはり、最後の手掛かりはサイレンの王城での魔王戦だった。
あの戦いの後、彼がどこへ行ったのか。
それを知る者がいるとすれば、当時の仲間か、あるいはサイレンにいる者たちだろうと考えていた。
「……もしかして、あの男に会いたいのか?」
ヒイラギの言葉に、カナデは顔を上げた。
「え?」
「以前、お前はセレナの仮面があの男に似ていると言っていたな。随分と気にかけているようだが」
「それは……」
カナデは言葉に詰まった。
彼は、幼い頃の自分を救ってくれた人だ。
もう一度会いたいと思うのは、当然のことだった。
けれど、その理由をそのまま話すことはできない。
「……一度、お礼を言いたいと思っているんです」
「そうか」
ヒイラギは、それ以上詳しく尋ねなかった。
「なら、サイレンへ行けばいい。あの男が最後にいた場所だ。何か知っている者がいるかもしれない」
「サイレン……」
「俺たちが魔王と戦った場所でもある。しかし魔王の魅了のせいで、真実を知る者少ないかもしれないが⋯」
カナデは地図に目を落とした。
チャイムからサイレンへは、海を渡らなければならない。
船を使えば行けない距離ではないが、かなり遠いため、何度もチャイムに戻ることはできない。
「少し、考えてみます」
「そうするといい」
ヒイラギは立ち上がり、野営地の方へ戻っていった。
残されたカナデは、もう一度地図を見つめる。
サイレンの王城。
彼の最後の足取り。
そこへ行けば、何かが分かるかもしれない。
そう思うと、胸の奥に小さな期待が生まれた。
*
「師匠、何をしているんですか?」
夕方、セレナが戻ってくると、カナデはまだ地図を広げていた。
「少し調べものよ」
「地図ですか?」
「ええ。これまで彼の足取りを追ってきたけれど、どうやら最後の手掛かりはサイレンにあるみたい」
「サイレン!……中央大陸ですね」
「そう。勇者が魔王と戦った場所よ」
カナデは地図の一点を指さした。
「それ以降のことは、ヒイラギさんも詳しく知らないみたい。だから、サイレンに行って調べてみようかと思っているの」
「サイレンへ?」
「ええ。船で中央大陸へ渡ることになるわね」
セレナは地図を覗き込んだ。
「師匠は、そこまでしてその男を探したいんですね」
「……そうね」
カナデは少しだけ間を置いて答えた。
「どうしても、確かめたいことがあるの」
セレナはその横顔を見つめた。
彼女が何を思っているのか、すべてを知っているわけではない。
それでも、彼女が長い間ひとつの目的を追い続けてきたことは知っていた。
「それなら、俺も一緒に行きます」
「あなたも?」
「はい。師匠が行くのなら、俺も行きます」
「でも、あなたは魔法の修行が――」
「修行なら、旅をしながらでもできます。それに、師匠にはまだ教えてもらいたいことがたくさんありますから」
セレナは真っすぐにカナデを見た。
カナデは少し困ったように笑った。
「あなたは、一度決めたら頑固よね」
「師匠ほどではありません」
「言うようになったわね」
二人の間に、穏やかな笑いがこぼれた。
カナデは地図を畳み、荷物のそばへ置いた。
まだ、ヒイラギにも正式に話をしたわけではない。
船の手配も、出発の日取りも決まっていない。
けれど、行き先は決まった。
勇者の最後の足取りを追うために。
そして、いつかもう一度会いたいと願っていた人に近づくために。
カナデの旅は海の向こう、故郷の大陸へと向かおうとしていた。




