第二十二話 旅人の残した話
数日後。
魔物討伐軍の野営地では、朝から慌ただしく兵士たちが動き回っていた。
街道の巡回を終えた班が戻り、次の任務に備えて装備を整えている。
セレナも剣の手入れを終えると、腰の袋に魔法の練習で使う小石をいくつか入れた。
最近は、魔法の練習を続けることが日課になっていた。
小さな光を灯すこと。
その光を少しだけ動かすこと。
そして、集めた魔力を必要な場所へ向けること。
どれも簡単ではなかったが、少しずつできることが増えている。
「セレナ、ちょっといい?」
声をかけられ、振り返る。
仮面の弓使いが、野営地の入口に立っていた。
「師匠、どうしました?」
「この前話した町へ行こうと思うの。旅人から話を集めている人がいる場所よ」
「今日行くんですか?」
「ええ。いつまでも噂を聞いているだけでは、何も分からないから」
彼女は背負った弓の位置を直した。
「あなたも来てくれる?」
セレナは少し考えたあと、うなずいた。
「はい。魔法について何か知っている人がいれば話を聞きたいです」
「そう。じゃあ、ヒイラギ隊長に許可をもらいましょう」
*
ヒイラギは二人の話を聞くと考え込んだ。
「町へ行くのは構わん。だが、今は討伐軍で依頼したいこともある。戻る時間は守ってもらうぞ」
「分かっています」
セレナが答えると、ヒイラギは彼女にも目を向けた。
「そっちの弓使いもだ。討伐軍としてはお前もあてにしている。道中気をつけるんだぞ」
「分かりました」
「それとセレナ、腕はもう大丈夫なのか?」
前回の巡回で魔物の爪を受け止めた腕は、すでに痛みもなくなっていた。
「問題ありません」
「本当だな?」
「はい」
ヒイラギはじっと彼を見たあと、ため息をついた。
「……まあいい。無理をするなよ」
「ありがとうございます」
二人は必要な荷物を整え、野営地を出発した。
*
町へ向かう道は、なだらかな丘と畑の間を通っていた。
空は晴れ、風も穏やかだった。
街道には荷馬車や旅人の姿があり、遠くから商人の呼び声も聞こえてくる。
彼女は周囲に気を配りながら、セレナと並んで歩いていた。
「師匠は今回、どのような情報を知りたいのですか?」
セレナが尋ねると、彼女は少しだけ歩く速度を落とした。
「昔の出来事をもっと詳しく知れたらと思って」
「昔の出来事……」
「ええ。たくさん情報を集めてると、思いがけない場所で思いがけない話を聞くことがあるの。ある人にとっては何でもない出来事でも、別の人にとっては大切な手がかりになることもあるでしょう?」
セレナはうなずいた。
自分も、この大陸へ来てから何度もそうした経験をしていた。
魔法に詳しい人を探して町を訪ねても、得られるのは曖昧な噂ばかりだった。
それでも、その一つ一つが次の場所へ向かうきっかけになっていた。
「俺も、いろいろな人に話を聞いてきましたが、結局、年老いた変わり者の魔法使いの方には、まだたどり着けていません」
「焦らないことよ。旅の情報は、必ずしもすぐ役に立つとは限らないわ」
「はい」
「それに……」
彼女は少し間を置いた。
「誰かの話を聞くときは、その人が何を話したかだけじゃなく、何を話さなかったのかも考えるといいわ」
「話さなかったこと、ですか?」
「そう。人は、自分が見たものしか話さないことも多いから。話を聞いたときは、その人がどこにいて、何を見ていたのかが大切なの」
ただ情報を集めるだけでは足りない。
話をした相手が、どんな状況で情報を得たのか、どこまでが真実で何を見逃したかを考える必要があるのだ。
「……勉強になります」
「ふふ。たいしたことは教えていないわ」
彼女は照れたように顔をそらした。
*
昼前、二人は目的の町へ到着した。
町は街道沿いの宿場として栄えており、広場には露店が並んでいた。
食料品や旅道具を売る店のほか、各地から運ばれてきた珍しい品を扱う商人もいる。
二人はまず、旅人が集まりそうな酒場を訪ねた。
昼間から店内には数人の客がおり、商人らしい男たちが荷物を脇に置いて食事をしていた。
彼女は店主に近づき、落ち着いた声で尋ねた。
「旅人から話を集めている方がいると聞いたのですが、ご存じありませんか?」
店主は彼女の仮面を一瞥し、それからセレナへ目を移した。
「旅人の話ねえ……。それなら、広場の奥にある古道具屋の主人が詳しいかもしれないな」
「古道具屋ですか?」
「ああ。本人も昔は旅をしていたらしい。今でも旅人が持ち込む品物を買い取ったり、珍しい話を聞いたりしているよ」
「ありがとうございます」
彼女は礼を言い、少しのチップを置いてセレナとともに店を出た。
「まずはそこへ行ってみましょう」
「はい」
*
古道具屋は、広場の奥まった場所にあった。
看板には、古びた剣と鍵の絵が描かれている。
店先には壊れた道具や古い装飾品が並び、入口の脇には、見たことのない形をした金属製の部品が積まれていた。
扉を開けると、鈴の音が鳴った。
「いらっしゃい。何をお探しかな?」
奥から現れたのは、白髪交じりの髭を生やした年配の男だった。
「少し、お話を伺いたいのですが」
彼女がそう切り出すと、店主は二人を交互に見た。
「話か。品物を買いに来たわけじゃないんだな」
「はい。昔の戦いや、遠い土地を旅した方のお話をお聞きしたくって」
店主は顎に手を当てた。
「ずいぶん大きな話だな。何について知りたいんだ?」
彼女は一瞬、言葉を選んだ。
「昔、人々を救ったという人物についてです。恐ろしい顔をしていたと聞いています」
店主の表情が、わずかに変わった。
「……恐ろしい顔?」
「はい。顔を見た者が、魔物と見間違えるほどだったと」
店主はしばらく黙り込んでいたが、やがて店の奥にある椅子を指さした。
「少し待っていな。昔、似たような話を聞いたことがある」
どうやら店主は話好きのようだ。
二人は椅子に腰を下ろして待つことにした。
店主は棚の奥から、小さな木箱を取り出した。中には古い硬貨や、欠けた指輪、色あせた紙片などが入っている。
「あったあった、昔ここへ来た旅人たちが残していった品だ。大した価値はないが、話のきっかけになることがある」
彼は箱の中を探りながら、ゆっくりと語り始めた。
「ずいぶん前のことだ。中央大陸から来たという旅人がいてな。そいつは、王都の近くで起きた大きな戦いについて話していた」
セレナは顔を上げた。
「王都の近くで?」
「ああ。詳しいことまでは知らなかったようだが、獣の姿をした男が戦場に現れ、多くの人間を救ったという話だった」
彼女は黙って耳を傾けていた。
「その男は、襲いかかる魔物達を次々倒し人々を救った。だが、戦いが終わったあと、人々が礼を言おうとしても、長くその場にとどまることはなかったそうだ」
「その人は、どこへ行ったんですか?」
セレナが尋ねると、店主は首を横に振った。
「そこまでは分からん。旅人も、直接その男を見たわけではなかったらしいからな」
「では、誰かから聞いた話なんですね」
「そういうことだ。何人もの人間を通して伝わった話というのは、途中で内容が変わることもある。だから、これだけで本当だとは言い切れんよ」
彼女はうなずいた。
「ありがとうございます。大切な手がかりです」
店主は箱を閉じた。
「役に立ったなら何よりだ。だが、もう一つだけ覚えておくといい」
「何でしょう?」
「人々を救った英雄の話は、どこの土地にもある。だが、同じような話があったからといって、すべてが同じ人物とは限らんよ」
彼は二人を見た。
「自分が信じたい話ほど、慎重に確かめることだ」
彼女は静かにうなずいた。
「……分かりました」
*
古道具屋を出ると、午後の日差しが町を照らしていた。
セレナは歩きながら、先ほどの話を考えていた。
獣の姿をした男。
人々を救い、戦いのあとには姿を消したという。
ヒイラギが語っていた男の話と、どこか似ている。
けれど、それが同じ人物なのかどうかは分からなかった。
「師匠は、今の話をどう思いますか?」
彼女はすぐには答えなかった。
「似ているところはあるわ。でも、まだ断定はできない」
「そうですね」
「手がかりが一つ見つかったからといって、それだけを追いかけるのは危険よ。
ほかの話とも照らし合わせて、少しずつ確かめてみます」
自分も、魔法の師匠を探すために、これまで何度も噂を頼りに町を訪ねてきた。
期待した情報が得られず、落胆したこともある。
それでも、旅を続けることをやめようとは思わなかった。
「……師匠も、長い間探しているんですね」
彼女は少しだけ視線を落とした。
「ええ。すぐに見つかるとは思っていないわ」
「それでも、探し続けるんですか?」
「もちろん」
彼女は迷いなく答えた。
「自分で確かめたいことがあるから」
その言葉には、簡単には揺らがない決意があった。
セレナは、それ以上尋ねなかった。
それが彼女にとって大切なことなのだというのは分かったから。
「いつか、見つかるといいですね」
彼女は少し驚いたように顔を上げ、それから柔らかくうなずいた。
「ありがとう、セレナ」
*
帰り道。
二人は町で買った乾パンと水を分け合いながら、街道を歩いていた。
しばらくすると、彼女がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、あなたも魔法の師匠を探していたのよね」
「はい。ずっと昔に、魔法に憧れる切っ掛けになった魔法使いがいるんです」
「その人は、どんな人物なの?」
「詳しいことは分かりません。ただ、変わった老人だと聞きました。魔法だけでなく、いろいろな知識を持っているらしいです」
彼女は少し考え込んだ。
「変わった老人……。それだけでは……少し絞りにくいわね」
「そうですよね」
「でも、魔法に詳しい人を探しているなら、魔法道具の商人達からも話を聞いてみるといいかもしれないわ。そういう人たちは、普通じゃない魔法使いの情報を持っていることがあるから」
「なるほど……。確かに、今までは特に考えず、いろいろな人に聞いていました」
「探し方を変えるのも大切よ。道が一つしかないと思い込むと、目の前に別の道があっても気づかないことがあるから」
「ありがとうございます、覚えておきます」
彼女は満足そうにうなずいた。
「よろしい」
その言い方が少しだけ得意げだったので、セレナは思わず笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
「いえ。師匠らしくなったと思いまして」
「……どういう意味よ、それ」
「褒めています」
「本当に?」
「本当です」
彼女は疑わしそうにセレナを見ていたが、やがて小さく笑った。
夕暮れの街道に、二人の足音が並んで響いていた。
*
野営地へ戻ると、ヒイラギが入口で二人を待っていた。
「戻ったか。予定の時間どおりだな」
「はい。町で話を聞くことができました」
彼女が答えると、ヒイラギは二人の様子を見てうなずいた。
「何か収穫はあったか?」
「昔、王都の近くで人々を救った、獣の姿をした男の話を聞きました。ただ、伝聞なので、本人を見た人の話ではありません」
ヒイラギの目が、わずかに細くなった。
「……そうか」
それだけ言うと、彼はしばらく黙っていた。
やがて、いつもの落ち着いた声で告げた。
「情報は、焦って追いかけるもんじゃない。確かなことと、ただの噂を分けて考えろ。それを忘れるな」
「はい」
彼女はうなずいた。
セレナはヒイラギの横顔を見た。
以前、彼が語った昔の話。
そして今日、古道具屋で聞いた恐ろしい獣の姿をした男の話。
二つの話が、頭の中で少しずつ重なり始めていた。
だが、まだ何も確かではない。
今はただ、目の前にある自分の旅を続けることに集中しようと思う。
魔法を学ぶこと。
剣を磨くこと。
そして、隣を歩く師匠の力になること。
その一つ一つが、いつか遠い場所へとつながっていくのかもしれない。
夜の帳が降り始めた野営地で、二人はそれぞれの荷物を片づけた。
明日もまた、旅は続いていく。




