第二十一話 背中を預けて
翌朝。
魔物討伐軍の野営地では、兵士たちが出発の準備を進めていた。
今日は野営地から少し離れた街道沿いを巡回する予定だった。
近頃、その周辺で荷馬車が魔物に襲われたという報告が続いているらしい。
セレナは剣の具合を確かめ、腰の袋に必要な道具を詰めていた。
「セレナ、今日は俺たちの班と一緒に来い」
ヒイラギに呼び止められ、彼は顔を上げた。
「街道の巡回ですか?」
「ああ。お前には前方の警戒を任せる。魔物が出たら、いつもどおり対処しろ」
「分かりました」
セレナがうなずくと、ヒイラギは彼の背後に目を向けた。
そこには、弓を背負った仮面の女性が立っていた。
「そっちの弓使いも一緒か?」
「はい。私も同行していいと聞きましたので」
彼女は落ち着いた声で答えた。
「構わんぞ。報酬も出す。だが、討伐軍の指示には従ってもらうぞ」
「承知しています」
「よし。全員、出発だ!」
ヒイラギの号令とともに、兵士たちは野営地を後にした。
セレナは歩き出す前に、隣の彼女へ声をかけた。
「師匠、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。ただし、今日は訓練じゃないわよ」
「分かっています。周囲の警戒も怠りません」
「それならいいわ」
彼女は小さくうなずき、街道の先へ目を向けた。
*
街道は、草原と低い丘の間を縫うように続いていた。
荷馬車が行き交う道だけあって、地面には車輪の跡がいくつも残っている。
道端には、旅人が休憩に使ったらしい焚き火の跡もあった。
セレナは先頭付近を歩きながら、周囲の様子を注意深く観察していた。
剣を使う戦いでは、相手の動きだけを見ていればいいわけではない。
地形や足場、仲間の位置、逃げ道。さまざまなものを見ながら、次に何が起きるかを考える必要がある。
魔法の練習を始めてから、そのことを以前より強く意識するようになっていた。
「セレナ」
背後から声がした。
「どうしたんですか、師匠?」
「あなた、魔物と戦うとき、最初に何を考えている?」
セレナは少し考えた。
「相手の数と大きさ。それから、どこを狙えば倒せるか……でしょうか」
「それも大切ね。でも、もう一つあるわ」
「もう一つ?」
「周りに誰がいるか、よ」
彼女は道の脇を歩く兵士たちに目を向けた。
「自分一人で戦っているなら、自分が勝てばいい。でも、仲間がいるときは違う。自分が攻撃している間に、別の誰かが危険にさらされるかもしれないでしょう?」
「確かに……」
「魔法も同じよ。大きな力を使えばいいというものじゃない。誰を守りたいのか、何をしたいのか。それを考えなければ、味方まで巻き込んでしまうことがあるわ」
セレナは彼女の言葉を胸に刻むように、ゆっくりとうなずいた。
「まだまだ失敗もするけれどね」
彼女は少しだけ笑った。
「師匠でも失敗するんですか?」
「……あなた、私を何だと思っているの?」
「すみません。何でもできると思っていました」
「そんなわけないでしょう」
彼女は呆れたように肩をすくめた。
その様子に、セレナは仮面の下で小さく笑った。
*
昼を少し過ぎた頃。
先頭を歩いていた兵士が、片手を上げて全員を止めた。
「隊長、前方に荷馬車があります!」
街道の先には、一台の荷馬車が横倒しになっていた。
馬は見当たらず、積み荷の木箱が道の脇に散らばっている。
車輪の近くには、何かに引きずられたような跡もあった。
ヒイラギが手を上げ、兵士たちに警戒を促した。
「全員、周囲を確認しろ。まだ魔物が近くにいるかもしれん」
セレナは剣の柄に手をかけ、ゆっくりと荷馬車へ近づいた。
「こちらは俺が確認します。師匠は周囲を見ていてください」
「分かったわ。でも、一人で奥まで入りすぎないこと」
「はい」
セレナは荷馬車の陰をのぞき込んだ。
その瞬間、頭上から風を切る音が響いた。
「上だ!」
誰かが叫んだ。
セレナが顔を上げると、大きな翼を広げた魔物が空から急降下してきていた。
鳥に似た姿をしているが、頭部には鋭い角があり、両足の爪は獲物をつかみ取るためか、異様に長い。
魔物はセレナではなく、後方にいた兵士へと狙いを変えた。
「危ない!」
セレナは地面を蹴った。
兵士の前に飛び込み、剣を振るう。刃が魔物の爪を弾き、その軌道をわずかにそらした。
だが、魔物はすぐさま翼を打ち、上空へ舞い上がった。
「くそっ、速いな!」
兵士たちが弓を構えるが、魔物は高く飛び、矢の届きにくい位置を旋回している。
そのとき、彼女が一歩前へ出た。
「セレナ、少しだけ時間を稼いで!」
「分かりました!」
彼女は矢をつがえ、矢尻に貼りつけた紙片へ指を添えた。
淡い光が走る。
セレナは彼女の動きを横目で確かめながら、魔物の着地点を予測した。
翼を広げて旋回する魔物は、やがて街道の脇にある岩場へ向かって高度を下げ始めた。
「今だ!」
セレナは駆け出した。
魔物が再び急降下してくる。
彼は剣を構え、正面から迎え撃つように見せかけた。
だが、魔物が爪を伸ばした瞬間、横へ身をひねる。
魔物の爪が空を切った。
その一瞬を狙い、彼女の矢が放たれた。
矢は魔物の翼の付け根付近へ命中した。
青白い光が弾ける。
魔物の翼が一瞬こわばり、飛行の姿勢が崩れた。
「落ちるぞ!」
セレナは魔物の動きを見極め、地面へ落ちてくる瞬間に剣を振るった。
刃が魔物の胴を深く切り裂く。
魔物は短い悲鳴を上げ、街道の脇へ転がった。
しばらく翼をばたつかせていたが、やがて動かなくなった。
「……終わったか」
セレナは剣を構えたまま、周囲を確認した。
ほかに魔物の姿はない。
彼女も弓を下ろし、静かに息を吐いた。
「よかった。間に合ったわね」
「師匠の矢がなければ、逃がしていたかもしれません」
「あなたが注意を引きつけてくれたから、狙いやすかったのよ」
セレナは倒れた魔物を見た。
「俺が正面から斬りかかっていたら、きっと避けられていました」
「そうね。空を飛ぶ相手に、地上から剣だけで勝つのは難しいわ」
彼女は矢を回収しながら続けた。
「でも、相手が空を飛べるなら、飛べなくすればいい。動きを止める方法を考えるのも、戦い方の一つよ」
「動きを止める……」
セレナは、先ほどの青白い光を思い返した。
魔法は、必ずしも敵を直接倒すためだけのものではない。
敵の動きを鈍らせる。
仲間が攻撃できる隙を作る。
危険な相手を味方から遠ざける。
そうした使い方なら、自分にもできることがあるかもしれない。
「師匠」
「何?」
「俺も、ああいう魔法を使えるようになりたいです」
彼女は少し首を傾げた。
「動きを止める魔法?」
「はい。剣が届かない相手でも、仲間が戦いやすくなるようにしたいです」
彼女はしばらくセレナを見つめ、それからうなずいた。
「いい目標ね。けれど、まずは今の練習を続けましょう。基礎ができていなければ、応用もできないから」
「分かっています。焦らずにやります」
「そう。その調子よ」
*
荷馬車の周囲を調べた兵士たちは、近くの茂みで御者を発見した。
幸い、命に別状はなかったが、魔物に襲われた際に足を痛めたらしい。
「助けていただき、ありがとうございます……」
御者は、兵士たちに支えられながら何度も頭を下げた。
「礼なら、無事に街へ戻ってからでいい。まずは手当てを受けろ」
ヒイラギがそう告げると、兵士たちは荷馬車を起こし、散らばった積み荷を集め始めた。
セレナも手伝おうとしたが、彼女に呼び止められた。
「セレナ、腕を見せて」
「腕?」
「さっき、魔物の爪を受け止めたでしょう。傷がないか確認します」
「少しぶつかっただけですが……」
「いいから」
有無を言わせない口調だった。
セレナは素直に腕を差し出した。
彼女は袖を少しめくり、手首から肘までを確かめる。
幸い、目立った傷はなかったが、打ちつけた部分が赤くなっていた。
「少し腫れているわね。無理に動かさないで」
「これくらいなら平気です」
「そう言って悪化させる人を、私は何人も見てきたの」
彼女は小さく息を吐いた。
「あなたは、自分が傷つくことを軽く考えすぎているわ」
セレナは返事に困った。
自分では、無茶をしているつもりはなかった。
目の前で誰かが危険にさらされれば、助けたいと思う。それだけだった。
「……気をつけます」
「本当に?」
「はい、師匠」
彼女は納得したような、していないような顔をした。
「なら、今日は帰ったら腕を休めること。剣の稽古も、無理はしないでね」
「分かりました」
そう答えたものの、セレナは内心、夜には少しだけ剣を振れるだろうかと考えていた。
彼女はそれを見透かしたように、念を押した。
「少しだけ、も駄目よ」
「……はい」
*
夕刻。
一行は荷馬車を護衛しながら、街道沿いの集落へ戻った。
御者を医師のもとへ送り届けたあと、兵士たちは野営地へ帰る準備を始めた。
セレナは荷物を運ぶ兵士たちを手伝いながら、ふと彼女の姿を探した。
彼女は集落の入口に立ち、街道の先を見つめていた。
「師匠?」
声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。
「どうしたの?」
「何か気になるものでもありましたか?」
彼女はすぐには答えなかった。
やがて、街道の向こうを指さした。
「この先に、小さな町があるでしょう?」
「ええ。前に一度、通ったことがあります」
「あの町に、旅人から話をよく集めている人がいるらしいの」
「旅人の話、ですか?」
「ええ。遠くの国から来た人や、昔の戦いを知っている人が立ち寄ることもあるそうよ」
彼女はそこで言葉を切った。
「……何か、気になることでも?」
セレナが尋ねると、彼女は仮面の奥から彼を見た。
「探している人の、わずかな手がかりでも聞ければ」
「そうですか」
自分は師匠に出会えて、当面の目標もできた。
しかし、彼女が探している仮面の男の情報はほとんど入ってこない。
「もし、俺に手伝えることがあれば何でも言ってください」
彼女は少し驚いたように顔を上げた。
「あなたは、自分のことだけでも忙しいでしょう?」
「それでもです」
「……そうね」
彼女は小さく笑った。
「ありがとう。必要になったら、お願いするわ」
二人はしばらく、夕暮れの街道を眺めていた。
遠くから、兵士たちが帰還を促す声が聞こえてくる。
「そろそろ戻りましょう、師匠」
「ええ。帰ったら、今日の反省を忘れないこと」
「はい」
「それから、腕を休めること」
「……はい」
彼女は満足そうにうなずき、歩き出した。
セレナはその隣を歩きながら、今日の戦いを思い返していた。
剣だけでは届かない相手がいる。
けれど、魔法があれば、その届かない距離を埋められるかもしれない。
それもまた、旅の中で学ぶべきことなのだろう。
彼は隣を歩く師匠の姿を見て、静かに思った。
いつか、自分も彼女の背中を守れるようになりたい。
その願いはまだ小さく、言葉にもならなかった。
けれど、二人の歩幅は、昨日よりも少しだけそろっていた。




