第二十話 古い戦友
魔物討伐軍の野営地に、朝の鐘が響いた。
兵士たちが起き出し、天幕を片づけ、朝食の準備を始める。
いつもと変わらない朝だった。
セレナは食事を済ませると、昨日と同じように野営地の外れへ向かった。
そこには、すでに仮面の弓使いが待っていた。
「おはようございます、師匠!」
「……おはよう。今日も元気ね」
彼女は少しだけ笑い、木の枝を拾い上げた。
「それじゃあ、昨日の続きから」
「動かす、ですよね」
「そう、光を移すの。最初はほんの少しでいいわ」
セレナは小石を地面に置き、両手をかざした。
魔力を集める。
光を思い浮かべる。
そして、その光が小石から離れた場所へ移るように意識する。
だが、淡い光は一瞬だけ揺らいだあと、すぐに消えてしまった。
「うーん……やはり難しいですね」
「今のは惜しかったわ。光を動かそうとした瞬間、魔力を引っ張りすぎ」
「引っ張りすぎ……」
「魔力を無理に動かすんじゃなくて、行き先を示してあげるの。ほら、もう一度」
セレナはうなずき、再び集中した。
何度か失敗を繰り返したあと、光は小石から指一本分ほど離れた場所へ移った。
ほんのわずかな距離だった。
それでも、セレナは思わず顔をほころばせた。
「できた……!」
「ええ。今の感覚を忘れないで」
「ありがとうございます!」
彼女は照れくさそうに顔をそらした。
「じゃあ、次はもう少し先まで動かしてみましょうか」
「はい!」
彼女の声も、いつの間にか少し柔らかくなっていた。
*
昼過ぎ。
訓練を終えたセレナが野営地へ戻ると、天幕の前でヒイラギが兵士たちと話していた。
「おう、セレナ。ちょうどいいところに来たな」
「何かありましたか?」
「いや、大した話じゃない。昔の戦場の話をしていたところだ」
ヒイラギは少し遠くを見るような目をした。
「魔王統治時代は、魔王に魅了された厄介な魔物が多かった。対人間との争いもあったしな。どこへ行っても落ち着かない時代だった」
「ヒイラギ隊長も、いろいろな場所で戦ってきたんですね」
「まあな。中央大陸の王都にも行ったことがある」
セレナは顔を上げた。
「王都に?」
「ああ。あそこは見た目は安全な場所だが……なんと言うか、すべてが異様だった」
ヒイラギは苦笑した。
そばにいた古参の兵士が、懐かしそうに笑った。
「頭領、あの時は本当に大変でしたね。まさかあの男に全てを託すことになるとは」
「ああ。俺らだけでは難しかっただろうな」
ヒイラギはあっさりとうなずいた。
「あいつはホントに人間なのかどうかさえ怪しいぞ」
セレナは思わず質問した。
「……そんなに強い方だったんですか?」
「強いという言葉だけじゃ足りないかもしれん」
ヒイラギは少し考えてから、言葉を続けた。
「ただ、あの男は誰よりも前に出て魔物を薙ぎ払い、俺たちの誰かが危なくなれば何も言わず助けに来る。そういう男だった」
古参の兵士も、静かにうなずいた。
「戦い方も独特でした。まるで自分が傷つくことなんて、最初から考えていないような……」
「そうだったな」
ヒイラギの表情から、ほんの一瞬だけ笑みが消えた。
「あの男がいなければ、今の俺たちは無かったかもしれん」
「その人は、今も王都にいるんですか?」
セレナが尋ねると、ヒイラギは少しだけ間を置いた。
「さてな。俺も、その後のことは詳しくないんだ」
やがてヒイラギは、いつもの調子に戻った。
「まあ、昔話はここまでだ。セレナ、お前も剣の稽古を怠るなよ。魔法の練習に夢中になりすぎて、腕が鈍ったら困るからな」
「分かっています。剣の稽古も続けていますよ」
「ならいい。お前の剣は、なかなか見どころがあるからな」
「ありがとうございます」
セレナは一礼し、その場を離れた。
その背中を見送りながら、ヒイラギは小さく息を吐いた。
「……まったく。似ている奴もいるもんだ」
「隊長、何か言いましたか?」
「いや、何でもない」
ヒイラギはそれ以上、何も語らなかった。
*
夕方。
セレナは野営地の外れで、再び剣を振っていた。
魔法の練習を始めてからも、剣の稽古を休んだことはない。
自分にとって剣が大切な武器であることは、今も変わらなかった。
だが、今日聞いた話が、頭の片隅に残っていた。
ヒイラギ隊長が王城で共に戦ったという男。
近衛騎士団長の事だろうか?
どんな人物だったのだろう。
セレナは自分の鉄仮面に触れた。
この仮面をつけていれば、少なくとも人から顔を見られることはない。
けれど、仮面の下にある自分まで変わるわけではなかった。
自分も、いつか誰かにそんなふうに語られる日が来るのだろうか。
「……いや」
セレナは小さく首を振った。
そんな先のことを考えるより、今はできることを増やすほうが先だ。
彼は剣を構え直し、もう一度振り下ろした。
*
夜。
野営地の焚き火を囲みながら、セレナは師匠に今日聞いた話を伝えた。
「昔、ヒイラギ隊長達と共に戦った人がいたそうです。とても強くて、仮面を付けていたとか」
彼女は手にしていた木の枝を止めた。
「……そう」
「師匠の、探していられる方とは違いますか?」
彼女はすぐには答えなかった。
焚き火の向こうで、炎が小さくはぜる。
「昔は、今では考えられないような戦いがあったそうよ」
「そうなんですね」
セレナはそれ以上、尋ねなかった。
彼女もまた、詳しいことを話そうとはしなかった。
「でも、セレナ」
「はい?」
「強さがどうであれ……誰かを助ける気持ちは、その人自身の意思よ」
彼女は炎を見つめたまま、静かに言った。
「それを忘れないでね」
セレナは、しばらくその言葉を考えていた。
やがて、真っすぐに彼女を見た。
「はい。忘れません、師匠」
彼女は小さくうなずいた。
焚き火の炎が二人の仮面を照らす。
それぞれが追いかけるものは、まだ違っていた。
けれど、こうして同じ火を囲む時間は、少しずつ二人の距離を縮めていた。
そして、かつて王都でともに戦った男の記憶はまだ謎のまま。
静かに過去の中に戻っていった。




