第一話 小さな村の依頼
西へ続く街道を、一人の少年が歩いていた。
黒い外套を風になびかせ、顔には古びた鉄仮面。
腰には一本の剣を差し、背には旅の荷物を背負っている。
銀色の髪が、仮面の隙間からわずかに覗いていた。
少年の名はセレナ。
旅立ちの際に、自らつけた名だ。
彼は今、魔法の師を探すため、故郷を離れて旅を続けていた。
「……次の町までは、まだ遠いか」
街道脇の道標を見上げ、セレナは小さく息を吐いた。
道標には、いくつかの地名が刻まれている。その中に、目的地であるチャイムの名もあった。
西方の国チャイム。
かつて大きな戦乱があった土地だが、今では人族と魔族が共に暮らす連邦国として知られている。
そこには、変わり者だが優れた魔法の使いがいたらしい。
その人物の居場所を突き止めること。それが、セレナの旅の目的だった。
「せめて、魔法の一つでもまともに使えれば……」
セレナは手のひらを見つめた。
彼は魔法に強い憧れを抱いている。幼い頃、自分にかけられた魔法が忘れられないのだ。
しかし、いくら練習しても、思うような魔法は使えなかった。
母の影響か簡単な治癒魔法なら、どうにか扱える。
それでも、凄い魔法使いのように、火を放ったり、水を操ったりすることはできない。
「……まあ、焦っても仕方ないか」
気を取り直し、再び歩き始める。
旅に必要なのは、魔法だけではない。
食事をするにも、宿に泊まるにも金がいる。
魔獣を倒して得た報酬も、武具の手入れや食料の購入ですぐに減ってしまう。
そろそろ、どこかで仕事を探す必要がありそうだった。
そのとき。
セレナの足が、ぴたりと止まった。
「……?」
仮面の奥で、銀色の瞳が細められる。
街道の先から、かすかな気配が伝わってきた。
人の声。複数の足音。そして、それらに混じる、刺すような感覚。
悪意。
セレナは、周囲の気配を探るように顔を向けた。
「……あっちか」
彼は街道を外れ、木々の間へと足を踏み入れた。
*
木立を抜けた先には、小さな村があった。
木製の柵に囲まれた、農地と民家が並ぶ素朴な村だ。
規模は大きくないが、街道から少し離れているためか、旅人の姿もほとんどない。
村の入口には、数人の男たちが集まっていた。
その中心にいるのは、粗末な革鎧を着た男たち。
腰には剣や短剣を差し、荷車から穀物の袋を運び出している。
盗賊だ。
「おい、これだけか?」
盗賊の一人が、村人の胸ぐらをつかんだ。
「ま、待ってくれ! それ以上持っていかれたら、冬を越す食料が……!」
「知るか。俺たちに逆らったら、どうなるか分かってるだろうな?」
男が村人を突き飛ばす。
倒れた村人のそばで、幼い子供が泣き声を上げた。
「お父さん!」
「おい、ガキがうるせえぞ!」
別の盗賊が子供へ近づく。
村人たちは身をすくませ、誰一人として動こうとしなかった。
その様子を、セレナは木陰から見つめていた。
仮面の奥で、彼の表情がわずかに険しくなる。
胸の奥に、嫌な感覚が広がっていく。
盗賊たちの悪意が、はっきりと伝わってくるのだ。
「……なるほど」
セレナは一度、静かに目を閉じた。
盗賊の数は五人。全員が武器を持っている。
村人たちは怯えきっており、抵抗する気力も残っていないようだった。
正面から戦えば、盗賊たちが村人を人質にする可能性がある。
セレナは木陰から離れ、村の入口へ向かって歩き出した。
「……おい。誰だ、お前?」
最初に気づいた盗賊が、こちらを振り返った。
黒い外套。鉄仮面。腰の剣。
どう見ても、村人ではない。
「旅の者です」
セレナは落ち着いた声で答えた。
「街道を通りかかったら、騒がしい声が聞こえたので」
「だったら、とっとと失せろ。ここは俺たちの取り分を集めてるところだ」
「取り分?」
「そうだ。この村は俺たちに食い物を差し出す。それで見逃してやってるんだよ」
盗賊は鼻で笑った。
「余計なことに首を突っ込むと、痛い目を見るぜ?」
セレナは、倒れた村人と泣いている子供を見た。
それから、盗賊たちへ視線を戻す。
「……それは、ずいぶんと一方的な取り分ですね」
盗賊たちの顔から、笑みが消えた。
「なんだと?」
「抵抗できない人たちを脅し食料を奪う。それを取り分と呼ぶのですか?」
「てめえ……!」
盗賊の一人が剣の柄に手をかけた。
「いい度胸じゃねえか。偉そうな口を利きやがって!」
「最後にもう一度だけ」
セレナは、相手の言葉を遮るように言った。
「奪った食料は、返すつもりは?」
「あるわけねえだろ!」
男が剣を抜いた。
「ぶっ殺してやる!」
*
男が踏み込んだ瞬間、セレナの姿がわずかに揺れた。
「なっ……!」
盗賊の剣は空を切った。
次の瞬間、男の骨が折れた音が響く。
セレナの剣の鞘が、男の手首を打っていた。
剣が地面に落ちる。
「ぐあっ!」
男が手首を押さえてうずくまった。
あまりにも一瞬の出来事に、残りの盗賊たちは動けなかった。
「てめえ、何をしやがった!」
二人目の盗賊が叫び、横から斬りかかる。
セレナは半歩だけ身を引いた。
刃が外套の端をかすめる。
その動きを見切ると、彼は相手の懐へ滑り込み、剣の柄で腹部を打った。
「ぐっ……!」
男は息を詰まらせ、その場に崩れ落ちた。
「こいつ、ただ者じゃねえぞ!」
残った三人が一斉に武器を構えた。
一人が正面から斬りかかり、もう一人が横へ回り込む。残る一人は、村人たちの方へと走り出した。
「動くな! こいつらを――」
言葉の途中で、男の足が止まった。
いつの間にか、セレナがその目の前に立っていたからだ。
「村人には、手を出させません」
少年の声は静かだった。
しかし、その声には有無を言わせない響きがあった。
男が慌てて短剣を振り回す。
セレナはその腕をかわし、足を払った。
男の身体が地面に転がる。
すかさず剣の鞘を、短剣を持った手に打ち付ける。
残る二人も、剣を振り下ろす前に武器を弾き飛ばされ、次々と地面へ倒された。
わずかな時間だった。
五人の盗賊は、誰一人として立っていられなくなっていた。
セレナは剣の鞘を収め、周囲を見渡す。
「怪我をした方はいますか?」
村人たちは、すぐには答えられなかった。
目の前で何が起きたのか、理解が追いついていないのだろう。
やがて、胸ぐらをつかまれていた男が、おそるおそる立ち上がった。
「た、助けてくれたのか……?」
「ええ。ですが、盗賊はこれで全員でしょうか?」
セレナの問いに、村人たちは顔を見合わせた。
「いや……こいつらは、いつも違う五人組で来る。だから他にも仲間がいるかもしれん」
「そうですか」
セレナは倒れた盗賊たちを見下ろした。
気絶している者もいれば、痛みにうめいている者もいる。
殺す必要はない。
彼らを縛り上げ、村の者たちが対処できるようにすればいいだろう。
「縄を借りられますか? 逃げられないようにしておきましょう」
「あ、ああ。すぐに持ってこよう!」
村人の一人が、慌てて家へ走っていった。
その間に、セレナは倒れた村人へ近づいた。
「大丈夫ですか?」
「お、おかげさまで……。だが、あんたは一体……」
「ただの旅人です」
セレナは、それ以上を語ろうとしなかった。
仮面の下の表情は、誰にも見えない。
*
盗賊たちを縛り終えると、村の人々はセレナを村長の家へと案内した。
村長は年老いた男性だった。話を聞くと、盗賊たちは数か月前からこの村を脅していたらしい。
最初は食料を少し要求するだけだった。
しかし、村人たちが逆らわないと分かると、要求は次第に増えていった。
冬に備えて蓄えていた穀物を奪い、家畜を持ち去り、逆らう者には暴力を振るう。
村には、盗賊に抵抗できるほどの戦力がなかった。
「何度か町へ助けを求めようとしたのですが……」
村長は悔しそうにうつむいた。
「道中で襲われることを恐れ、誰も行こうとしませんでした。
兵士を雇うにも、そんな金はありません。私たちは、ただ耐えるしかなかったのです」
「……そうでしたか」
セレナは静かにうなずいた。
村人たちが盗賊に怯えていた理由は分かった。
だが、一つ気になることがある。
「盗賊たちは、どこから来ているのですか?」
「村の北にある森の方からです。森の奥に狩人たちが使う古い見張り小屋があると聞いています。
今は誰も近づきませんので、あの辺りかも知れません」
セレナは、仮面の奥で目を細めた。
村の入口で感じた悪意。
あのとき感じた気配は、目の前にいた五人のものだけではなかった。
森の奥にも、まだ何かがある。
「村長。もしよければ、その見張り小屋までの道を教えていただけますか?」
「ま、まさか……あそこへ行くおつもりですか?」
「ええ。盗賊たちに、まだ仲間がいるかもしれませんから」
セレナは、穏やかな声で答えた。
「この村で仕事を探そうと思っていたところです。盗賊退治も、立派な仕事でしょう?」
村長は驚いたように顔を上げた。
「仕事……ですか?」
「食事と、できれば今夜泊まる場所を用意していただければ助かります。報酬は、無理のない範囲で構いません」
その言葉に、村長はしばらく黙り込んだ。
やがて、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます……! あなたが来てくださらなければ、私たちはどうなっていたことか……」
「まだ終わったとは限りません」
セレナは、窓の向こうに広がる森を見つめた。
木々の間には、夕暮れの影が差し始めていた。
「残党がいないか確かめてきます。皆さんは戸締まりをして待っていてください」
「どうか、お気をつけて……」
村長の声を背に、セレナは立ち上がった。
*
村を出る頃には、空はすっかり赤く染まっていた。
セレナは北の森へ続く道を歩きながら、意識を周囲へと向ける。
風に揺れる木々の音。遠くで鳴く鳥の声。草むらを走り抜ける小動物の気配。
その奥に、かすかな悪意があった。
「……やっぱり、いる」
仮面の奥で、瞳が鋭くなる。
先ほど村で感じたものよりも、濃い気配だった。
盗賊たちの仲間か。
セレナは剣の柄に手を添え、森の中へ足を踏み入れた。
魔法の師を探す旅は、思い描いていたものとは少し違っていた。
いつか自分も立派な魔法使いになりたい。
それが、彼の願いだった。
だが、目の前で苦しむ人々を見過ごすこともできない。
「……早く片づけて、夕食にしよう」
小さくつぶやくと、少年は歩みを速めた。
黒い外套が、夕闇の中へと溶け込んでいく。
その顔を覆う古びた鉄仮面だけが、木々の隙間から差し込む最後の光を受けて、鈍く輝いていた。




