第十八話 初めての魔法修行
翌朝、セレナはいつもより早く目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗く、街の通りにも人影はほとんどない。
普段なら、討伐隊の任務が始まるまで、もう少し眠っている時間だった。
しかし、今日ばかりはそうもいかなかった。
「……よし」
セレナは寝台から起き上がると、身支度を整えた。
昨日、彼女は約束してくれた。
自分にできる範囲で、魔法を教えてくれると。
それを思い出すだけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
幼いころから、魔法には憧れていた。
けれど、いくら練習しても、思うようには使えなかった。
簡単な回復魔法なら、どうにか扱える。
それでも、傷を塞ぐ程度のことしかできず、複雑な術を使おうとすると、魔力が乱れてしまう。
自分には魔法の才能がないのかもしれない。
そんな思いを抱きながらも、諦めることはできなかった。
だからこそ、彼女の魔法を見たとき、セレナは強く惹かれたのだ。
派手な術ではなくても、魔力を思いどおりに動かし、必要な場所へ必要なだけ届ける。
自分が知りたかったのは、そういう魔法だった。
セレナは剣を腰に差し、外套を羽織った。
そして、顔に古びた仮面をつける。
「行ってきます」
誰もいない部屋に小さく告げると、彼は宿を出た。
*
討伐隊の陣地へ向かう途中、セレナは街の広場で足を止めた。
露店の準備をする商人たちの姿が見える。
人間も魔族も、朝の仕事に追われていた。
その中に、見覚えのある外套を見つけた。
背には弓。
腰には矢筒。
仮面をつけた彼女が、露店の主人と何か話している。
「おはようございます!」
思わず声を掛けると、彼女は振り返った。
「おはようございます、セレナさん」
「昨日の約束ですが……」
「魔法の練習ですね。覚えていますよ」
彼女は小さく笑った。
「そんなに急がなくても、約束を忘れたりしません」
「す、すみません。どうしても気になってしまって」
「ふふ。では、少し早いですが、始めましょうか」
彼女は露店の主人に礼を言ってから、セレナを街の外へ誘った。
「まずは、魔法を使うところを見せてもらえますか?」
「分かりました」
セレナは頷いた。
昨日、彼女は自分が普段使っている魔法を見たいと言っていた。
どこまで使えるのかを確かめてから、教える内容を決めるのだろう。
そう考えながら、セレナは彼女の後について歩いた。
*
街から少し離れた場所に、小さな草地があった。
周囲には木々が生えているものの、見通しはよく、魔法の練習をするには都合がよさそうだった。
彼女は草地の中央で足を止めた。
「では、ここでお願いします」
「はい」
セレナは右手を前に出した。
まずは、いつも使っている回復魔法を試すことにした。
手のひらに意識を集中させる。
身体の内側にある魔力を感じ取り、それを指先へと導いていく。
淡い光が生まれた。
しかし、その光は安定せず、揺らめきながら消えてしまった。
「……すみません。もう一度やります」
「ええ。焦らずに」
セレナは再び手を伸ばした。
今度は、先ほどよりもゆっくりと魔力を集める。
指先に小さな光が灯ったものの、しばらくすると、やはり消えてしまった。
三度目も同じだった。
セレナは手を下ろした。
「……いつも、こうなんです」
「なるほど」
彼女は腕を組み、少し考え込んだ。
「魔力を集めること自体は、できているようですね」
「そうでしょうか?」
「ええ。ただ、集めた魔力をどう動かすのか、そこがうまくいっていないように見えます」
彼女はセレナの手元を指さした。
「魔法を使おうとするとき、何を考えていますか?」
「えっと……魔力を集めて、光を出すことを考えています」
「光を出すことだけですか?」
「はい」
「では、どんな光を出したいのかは?」
セレナは言葉に詰まった。
どんな光を出したいのか。
そう聞かれると、考えたことがなかった。
魔法を使うには、魔力を集めて、術を発動させればいい。
ずっと、そう考えていた。
「……あまり、考えていませんでした」
「そうですか」
彼女は責めることなく頷いた。
「なら、そこから始めましょう」
彼女は足元に落ちていた小石を拾い、少し離れた地面に置いた。
「この石の上に、小さな光を灯してみてください」
「石の上に、ですか?」
「はい。手元ではなく、そこに」
セレナは小石を見つめた。
これまでの練習では、自分の手から光を出すことばかり考えていた。
光をどこに生み出すのか。
そのことを意識したことはなかった。
セレナはゆっくりと息を吸った。
小石の上に、小さな光を灯す。
その光景を頭の中に思い浮かべた。
魔力を集める。
そして、指先から放つのではなく、石の上へと導く。
しかし、魔力を動かそうとした瞬間、意識が乱れた。
集めていた魔力が散り、何も起こらなかった。
「……駄目でした」
「今のは、惜しかったと思いますよ」
「えっ?」
「途中までは、魔力を動かせていました。最後に、急いでしまったのでしょう」
彼女は小石のそばにしゃがみ込んだ。
「魔法は、思い描いたとおりに動かそうとすることも大切です。でも、思い描くことに気を取られすぎても、うまくいきません」
「気を取られすぎる……」
「まずは、魔力が自分の中にあることを感じてください。それから、少しずつ動かしてみるんです」
彼女は立ち上がった。
「一度でできるとは思わなくていいですよ。何度でも試してみましょう」
セレナは彼女を見つめた。
仮面のため、表情は分からない。
けれど、その声には焦りも、失望もなかった。
「……はい!」
彼はもう一度、小石へと向き直った。
*
それから、しばらく練習を続けた。
魔力を集める。
小石を見つめる。
魔力を動かす。
何度も繰り返したが、光はなかなか現れなかった。
途中で魔力が散ってしまうこともあれば、手のひらに集まったまま動かなくなることもあった。
それでも、セレナは諦めなかった。
彼女も急かすことなく、失敗するたびに、どこで魔力の流れが途切れたのかを一緒に考えてくれた。
やがて、セレナの額に汗が浮かび始めた。
「少し休みましょうか」
「いえ、まだ大丈夫です!」
「セレナさん」
彼女の声が、少しだけ厳しくなった。
「魔法の練習は、根性だけでするものではありませんよ」
「疲れて集中できなくなれば、魔力の流れも乱れます。そこでムリをすれば魔力に変な癖がつくこともあるのです。休むことも、練習のうちですよ」
セレナは肩を落とした。
せっかく教えてもらえるのだから、一刻も早く上達したかった。
しかし、彼女の言うことも分かる。
「分かりました。少し休みます」
二人は草地の端にある木陰へ移動した。
セレナが水袋を取り出すと、彼女も自分の水袋を手に取った。
「あなたは、どうしてそこまで魔法を学びたいのですか?」
不意に尋ねられ、セレナは水袋を持つ手を止めた。
「どうして、ですか?」
「ええ。昨日から見ていて、ずいぶん熱心だと思ったので」
彼女は木の幹に背を預けた。
「魔法が使えるようになれば便利ですし、身を守ることにも役立ちます。でも、あなたはそれだけではないように見えます」
セレナはしばらく黙っていた。
魔法を学びたい理由。
それは、ずっと心の中にあった。
「……誰かの役に立ちたいんです」
やがて、彼は静かに答えた。
「剣があれば、魔物を倒すことはできます。でも、剣だけでは助けられない人もいます」
以前、熱を出した子どもを助けようとしたときのことを思い出す。
自分は回復魔法を使おうとした。
けれど、思うように扱えず、結局できたのは、濡らした布を額に当てることくらいだった。
それでも、あの子は笑ってくれた。
だからこそ、もっと多くのことができるようになりたかった。
「魔法が使えれば、今まで助けられなかった人も助けられるかもしれません。だから、学びたいんです」
彼女は何も言わず、彼の話を聞いていた。
やがて、小さく頷いた。
「そういう理由なら、私も教えがいがありますね」
「本当ですか?」
「ええ。ただし、魔法を学べば何でもできるようになるわけではありません。できることと、できないことを知るのも大切です」
「はい」
セレナは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
彼女は少し照れたように視線を逸らした。
「まだ、何も教えられていませんけどね」
*
その日の午後、セレナは討伐隊の任務に戻った。
魔法の練習で成果を出すことはできなかったが、彼の気持ちは少しも沈んでいなかった。
むしろ、今まで漠然としていた魔法の仕組みが、ほんの少しだけ見えてきた気がした。
魔力を集めるだけでは足りない。
何をしたいのかを考え、魔力をどこへ流すのかを意識する。
それが、彼女から教わった最初のことだった。
任務を終えて陣地へ戻ると、ヒイラギがセレナを見つけて声を掛けた。
「おう、セレナ。今日はずいぶん機嫌がよさそうだな」
「そうですか?」
「朝から魔法の練習をしていたんだろう?」
「はい。まだ全然うまくいきませんけど、いろいろと勉強になりました」
「そうか。焦らずに頑張れよ」
ヒイラギは笑いながら、セレナの肩を軽く叩いた。
「剣の腕だけでも十分に頼りになるが、魔法まで使えるようになったら、もっと強くなれるかもしれんな」
「そうなれるように、頑張ります」
セレナは力強く答えた。
その後、夕食を終えた彼は、ひとりで部屋に戻った。
机の上に小さな石を置き、昼間の練習を思い返す。
魔力を集める。
石の上に光を灯す。
セレナは右手を伸ばした。
しかし、しばらく試しても、光は現れなかった。
「……今日は、ここまでかな」
彼は手を下ろした。
悔しさはあった。
けれど、不思議と諦める気持ちにはならなかった。
明日も練習すればいい。
明後日も、その次の日も。
いつか、自分の思い描いたとおりに魔法を使えるようになるまで。
セレナは小石を机の端へ置き、窓の外を見つめた。
遠くには、チャイムの街の灯りが見える。
この街には、まだ知らないことがたくさんある。
彼女が探している勇者についても、自分が探していた魔法の師匠についても、手がかりは十分ではない。
それでも、今日という一日で、旅は少しだけ前に進んだ気がした。
セレナは仮面に手を触れた。
その下にある素顔も、本当の名前も、まだ誰にも明かすつもりはない。
今はただ、学べることを学び、自分にできることを増やしていこう。
そう心に決めて、彼は明日に備えて眠りについた。
*
そのころ、街の別の宿では、彼女が机に地図を広げていた。
チャイム周辺の道や集落、魔物が現れた場所などが書き込まれている。
これまで集めた情報を見直しても、探している勇者へ直接つながる手がかりは、まだ見つからなかった。
彼女は小さく息を吐き、地図を畳んだ。
焦っても仕方がない。
ここで得られる情報を集めながら、セレナとの約束も果たしていこう。
彼が魔法を学びたいと願う気持ちは、よく分かった。
自分もまた、強くなりたいと思って魔法を学んできたのだから。
彼女は弓を手に取り、矢筒の中身を確かめた。
明日もまた、手がかりを探しに行こう。
そう決めて、彼女は灯りを消した。
二人の目的は、まだ違っている。
けれど、同じ街で過ごす日々の中で、少しずつ互いを知り始めていた。




