第十話 魔法の街を歩く
翌朝、セレナは宿屋の薄い寝台から身を起こした。
窓の外からは、荷車の車輪が石畳を叩く音や、店を開ける者たちの掛け声が聞こえてくる。
チャイムの朝は早い。
人族の商人が荷を運び、その隣では魔族の男が店先に商品を並べている。
通りを歩く者たちの姿もさまざまで、角の生えた者もいれば、耳の尖った者もいる。
それでも、昨日の広場と同じように、誰もが当たり前の顔で朝の仕事を始めていた。
セレナは黒い外套を羽織り、鉄の仮面を確かめる。
腰には鋼の剣。
旅に必要なものは、それだけだった。
「さて……」
部屋を出る前に、彼は小さな革袋を手に取った。
昨日、魔獣の素材を売って得た金は、宿代と食事代を差し引いても、しばらくは持ちそうだった。
しかし、いつまでも余裕があるわけではない。
旅の資金も、これから先のことも、考えるべきことは多かった。
「まずは、情報収集だな」
セレナはそう呟き、宿屋を出た。
*
最初に向かったのは、昨日訪れた魔法道具の店だった。
扉を開くと、鈴の音が鳴る。
店内には、小さな瓶や水晶、刻印の入った金属板などが並んでいた。
壁際には杖が立てかけられ、天井からは淡く光る石がいくつも吊るされている。
セレナは、思わず足を止めた。
「おや。昨日の仮面の坊やか」
カウンターの向こうにいた店主が顔を上げた。
「また何か見たいものでもあるのかい?」
「はい。……いえ、品物も気になるのですが、今日は少しお聞きしたいことがありまして」
「ほう。何だね?」
「この街に、魔法を教えている方はいませんか? できれば、私のような者にも教えてくださる方を探しているのですが」
店主はセレナの仮面をしばらく見つめた。
「魔法使いを探しているのか。それも、弟子入りできる相手を」
「はい」
「なら、教会の治療師や、街の魔法道具職人では望み薄だろうな。あの人たちは自分の仕事で手いっぱいだ」
「そうですか……」
「それに、魔法を使える者が、必ずしも人に教えるのが得意とは限らない」
店主は棚から小さな金属片を取り出し、カウンターに置いた。
「これを見てみな」
金属片には、細かな線が刻まれていた。
「魔力を流すと、少しだけ熱を持つ。単純な仕掛けだが、火を起こすときには役立つ」
「これも魔法なのですか?」
「魔法そのものというより、魔力を利用する道具だな。使う者に魔法の才能がなくても動かせる」
セレナは身を乗り出した。
「では、魔法を使えない者でも、魔法を扱えるようになる方法があるのでしょうか?」
「扱える、というだけならな。だが、道具を使うことと、自分の力で魔法を生み出すことは違う」
店主は金属片をしまった。
「君はどちらを望んでいる?」
セレナはすぐには答えなかった。
魔法道具を使えるようになりたいのか。
それとも、自分自身の力で魔法を使えるようになりたいのか。
彼が憧れているのは、幼い頃に目にした、あの不思議な力だった。
「……自分の力で、魔法を使えるようになりたいです」
「なら、道具の仕組みを学ぶのも無駄じゃない。魔法の原理を理解する助けにはなる」
店主は少し考え込んでから、思い出したように言った。
「そういえば、ずいぶん昔に、この店へ妙な客が来たことがある」
「妙な客、ですか?」
「エルフだった。森に住んでいるらしいが、街に来るたびに珍妙なものを買っていく。魔法の道具を見ては、使い道を考えるどころか、どうしてこんな仕組みになっているのかと、作り手を質問攻めにするような人物だった」
「エルフ……」
セレナはその言葉を繰り返した。
エルフといえば、魔法に秀でた種族だ。
「その方は、今もこの街に?」
「さあな。最後に見たのは何年も前だ。森の奥に住んでいるという話だったが、詳しい場所までは知らない」
「森というのは、どちらの森でしょうか?」
「中央大陸の北にある永遠の森だろう。永遠の森の奥にはエルフの国があるとも言われている。
もっとも、森の奥へ入るのは勧めないぞ。あそこは人が気軽に踏み込む場所じゃない」
店主はそこで言葉を切り、セレナを見た。
「それに、そのエルフが君の望む師匠になってくれる保証もない。人にものを教えるより、自分の研究を優先するような変わり者だったらしいからな」
「それでも、魔法に詳しい方なら、お話を聞いてみたいです」
「そう言うと思ったよ」
店主は呆れたように笑った。
「ただし、どんな森へ行く前でも情報を集めることだ。道を知っている者もいるだろうし、森について詳しい人間もいる。焦って迷い込んだら、魔法を学ぶどころじゃなくなるからな」
「ありがとうございます。参考になりました」
セレナは頭を下げ、店を出た。
中央大陸の永遠の森。
エルフ。
そして、魔法を研究する変わり者。
まだ何も確かなことはない。
それでも、昨日までより一歩だけ、目的に近づいた気がした。
*
次にセレナが向かったのは、街の中央広場だった。
露店が並び、焼きたてのパンの香りが漂っている。
人々の往来は多く、商人たちの声があちこちから聞こえた。
セレナは食事を済ませるため、広場の端にある屋台で固いパンと温かいスープを買った。
代金を払おうとすると、店主の女性が彼の仮面をちらりと見た。
「旅の人かい?」
「はい」
「この街には、魔法を習いに来たの?」
セレナは驚いた。
「どうしてそれを?」
「昨日、広場で子供たちに魔法を見せていたって聞いたよ。小さな光を出したんだって?」
「あれは……大したものではありません」
「それでも、子供たちは喜んでいたんだろう?」
女性は笑いながら、スープを器に注いだ。
「この街には、人族も魔族もいる。昔は一緒に食事をすることすら難しかったって、年寄りたちはよく話しているよ。今じゃ、隣の店の親父と向かいの店の親父が、毎朝どっちのパンがうまいかで喧嘩しているくらいさ」
女性が指さした先では、人族のパン屋と魔族の八百屋が、何やら言い合っていた。
しかし、その表情に険悪なものはない。
最後には二人とも笑い、パン屋が八百屋にパンを一つ投げ渡した。
セレナは、その光景を静かに眺めた。
「……いい街ですね」
「そう思うかい?」
「はい」
「なら、ゆっくりしていくといい。旅人が長く滞在するのも、悪いことじゃないからね」
セレナは礼を言い、パンをちぎって口に運んだ。
魔法を探すために訪れたこの街にも、知らなかったことがたくさんある。
人々の暮らしを知ることも、旅の一部なのかもしれない。
そう考えながら、彼は次の情報を求めて広場を歩き始めた。




