第九話 西の国、チャイム
翌日の昼過ぎ。
セレナは、街道の先に広がる景色を眺めていた。
遠くには山々が連なり、その前には広い土地が広がっている。
街道は緩やかな下り坂になり、やがて大きな河川に沿って西へ伸びていた。
行き交う人々の数も増えている。
荷車の列。
商人たち。
武装した旅人。
そして、人族とは異なる姿の魔族たち。
誰もが、それぞれの目的地へ向かって歩いていた。
「……あれが、チャイムか」
街道の先に、町並みが見えてきた。
かつて魔王の国と呼ばれた土地。
今では、人族と魔族が共に暮らす国。
セレナが魔法の師匠を探すために目指してきた場所だった。
*
町の入口には、門と詰め所が設けられていた。
人族の兵士と魔族の兵士が並んで立ち、入ってくる旅人を確認している。
セレナが近づくと、兵士の一人が声をかけた。
「旅人か。どこから来た?」
「東の国からです。魔法について学びたくて、ここまで来ました」
「魔法か」
兵士は一瞬だけ仮面を見たが、特に問い詰めることはなかった。
「町の中では、争いを起こすな。人族も魔族も関係ない。問題を起こせば、相応の処罰を受けることになる」
「分かりました」
「それと、魔獣の素材を売るなら市場の北側へ行け。魔法道具の店なら、中央広場の周辺にいくつかある」
「ありがとうございます」
セレナは頭を下げ、門をくぐった。
町の中は活気に満ちていた。
石造りの建物が並び、通りには多くの店が軒を連ねている。
人族の商人が魔族の客に品物を売り、魔族の職人が人族の弟子に道具の使い方を教えていた。
酒場の前では、異なる種族の男たちが一緒に笑っている。
もちろん、すべての人々が互いを信頼しているわけではないだろう。
それでも、ここでは種族が違うというだけで、すぐに争いが起こるわけではないらしい。
セレナは、しばらくその光景を眺めていた。
「……面白いところだな」
仮面の下で呟き、歩き始めた。
*
まずは宿を確保することにした。
門の兵士から教えてもらった宿は、中央広場から少し離れた通りにあった。
一階は食堂になっており、二階に客室がある。
宿の主人は、人族の中年女性だった。
「一人かい?」
「はい。何泊するかは、まだ決めていません」
「なら、一泊ずつの支払いでいいよ。部屋は空いているからね」
セレナは料金を払い、部屋に向かった。
部屋は簡素だったが、清潔に保たれていた。
窓からは、通りを行き交う人々が見える。
「さて……」
セレナは荷物を整理し、剣の位置を確かめた。
ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかった。
だが、本当の目的はこれからだ。
まずは情報を集めなければならない。
*
宿を出たセレナは、中央広場へ向かった。
広場には大きな噴水があり、その周囲に多くの店が並んでいる。
魔法道具の店も、いくつか見つかった。
水晶を並べた店。
魔法の杖を扱う店。
古い書物や巻物を売る店。
どれも興味深かったが、今の彼には、品物を買い集める余裕はない。
ひとまず、店の主人たちに話を聞いて回ることにした。
しかし、返ってくる答えは芳しくなかった。
「魔法使い? そういう連中なら、森に住んでいることもあるがな」
「賢者を探しているなら、まずは神殿へ行ってみたらどうだ?」
「年寄りの魔法使いか~、昔はいたらしいが……今も生きているかは知らん」
どれも、決定的な手がかりにはならなかった。
セレナは広場の端に腰を下ろし、考え込んだ。
ここまで来れば、何か分かると思っていた。
だが、簡単にはいかないらしい。
「……焦るな。まだ来たばかりだ」
自分に言い聞かせ、立ち上がる。
そのとき、広場の向こうから、数人の子供たちが走ってきた。
「魔法使いのお兄ちゃん!」
その声に、セレナは足を止めた。
「……俺のことか?」
子供たちは、仮面と黒い外套を見上げていた。
「ねえ、魔法を見せてよ!」
「魔法使いなの?」
「いや、俺は……」
否定しようとしたところで、子供の一人が言った。
「さっき、宿のおばさんが言ってたよ。魔法を習いに来たって!」
セレナは少し困った。
自分は、魔法使いと呼ばれるほどの腕前ではない。
けれど、子供たちの目は期待に輝いていた。
「……大したことはできないぞ」
「いいよ!」
「じゃあ、何か見せて!」
セレナは周囲を見回し、噴水のそばに落ちていた小枝を拾った。
「それじゃあ、これでいいか」
彼は小枝を手のひらに載せ、集中した。
魔力を流す。
すると、小枝の表面に淡い光が灯った。
ほんの一瞬だけ。
それでも、子供たちは歓声を上げた。
「光った!」
「すごい!」
「もう一回!」
「いや、今のは……」
セレナは言いかけて、口を閉じた。
子供たちは、彼がどれほど強い魔法を使えるかなど気にしていない。
ただ、目の前で不思議なことが起こったのが嬉しいのだ。
その様子を見ているうちに、セレナの胸にも小さな温かさが広がった。
魔法を学びたい。
その気持ちは変わらない。
けれど、魔法自体を楽しんでいた、幼い頃の自分を思い出した。
「……もう一回だけだぞ」
今度は小枝を指先で回しながら、わずかな光を灯してみせた。
子供たちは再び歓声を上げた。
*
日が暮れる頃、セレナは宿へ戻った。
結局、今日も確かな情報は得られなかった。
それでも、焦る必要はない。
この国には、まだ知らない場所がたくさんある。
森もある。
魔法使いもいる。
いつか、探している人物にたどり着けるかもしれない。
夕食を終え、部屋に戻る。
セレナは窓を開け、夜の町を眺めた。
遠くから、人々の話し声が聞こえてくる。
人族と魔族が共に暮らす国。
かつて争った者たちが、少しずつ新しい生活を築いている場所。
ここで、自分は何を学ぶのだろう。
どんな人に出会うのだろう。
そして、探している魔法使いは、本当に見つかるのだろうか。
答えはまだ分からない。
けれど、ここまで来た以上、簡単に諦めるつもりはなかった。
セレナは窓を閉め、仮面を外した。
「……明日から、本格的に探そう」
そう呟いて、寝台に横になる。
長い旅の先に、何が待っているのか。
少年はまだ知らない。
ただ一つ確かなのは、ここから新しい段階へ進もうとしていることだった。




