安息の間
翌朝。
ターケシたちは、再び大図書館にいた。
シフォン。
ロザリア。
ユヅカが机に向かっている。
机の上には、何冊もの本が積み上げられていた。
歴史書。
宗教書。
古い祭祀の記録。
世界樹ヴァエルシアについて記された研究書。
その中には、子供向けの御伽噺まで混じっている。
「……ずいぶん集めてきたな。」
ターケシが言った。
「まだまだあるのよ。」
ユヅカが応える。
「世界樹について書かれた本なんて、ここにはいくらでもあるから。」
一冊の分厚い本のページを捲る。
その向こうでは、シフォンが難しそうな顔で古い本を覗き込んでいる。
「読めますの?」
ロザリアが尋ねた。
「文字は読めます。」
「内容は?」
「全然分かりません。」
シフォンは本を閉じた。
「御伽噺を探してきます。」
「一緒に読めば大丈夫ですわ。」
ターケシが本の山を見据え、椅子の背にもたれかかる。
「的を絞ろう。主題は?」
「地下。」
ユヅカが答えた。
「それと、死者。」
「死者?」
「魂。」
さらに一冊、本を引き寄せる。
「昨日から、リュシアンさんの言葉が引っかかってるの。」
ターケシにも分かった。
――あいつは、死人みたいな顔できっと待ってるぞ。
そして。
――いい部屋なんだから、寛げばいいのにな。
「死人みたいな、か。」
「うん。」
「確かに……何か言いたげだったな……。」
「やっぱりそう思う?」
わざわざ持って回った、核心を避けるような話し方。
笑い方も。話し方も。視線の迷わせ方も。
考えれば考えるほど怪しい。
リュシアンは、フィリアがどこにいるのかを知っていたとしても、直接言えない。近衛隊の小隊長として、守秘義務のようなものがあるのだろう。
それでも、わざわざターケシたちの部屋まで来た。
フィリアに会ってから帰ってほしい。
そう言った。
ならば、あの男は何かを伝えようとしていた。
そう考える意義はある。
「それに。」
ユヅカがページをめくった。
「ヴァエルシアと死者って、関係が深いのよ。」
「世界樹と死者が?」
「そう。」
指先が本の一行をなぞる。
「『死したる者、その魂は揺り籠へと帰る』。」
ターケシが眉を上げた。
「生命の揺り籠と言えば。」
「世界樹ヴァエルシアのことですわね。」
初めてこの国を望んだ峠で、フィリア自身から聞いた言葉だった。
南北に長い盆地に立つ大樹。
世界樹ヴァエルシア。
生命の揺り籠。
「死んだ魂が世界樹に戻ってくる、と。」
「そういう信仰があるみたい。」
ユヅカは別の本を開いた。
「ただ、時代によって解釈が違う。」
しばらくして、シフォンが戻ってきた。
腕いっぱいに本を抱えている。
「ありました!」
どさどさと机に置く。
「いっぱいあります!」
「持ってきすぎですわ。」
「御伽噺なら読めます!」
胸を張る。
ロザリアが一冊を手に取った。
表紙には、大きな木と、その根元に立つ小さな人影が描かれている。
「これは?」
「『ゆきてかえりし旅人』です。」
ユヅカが表紙を見る。
「あ、それ。」
「知ってるのか?」
「読んだことある。」
「どんな話だ?」
ユヅカが少し考えた。
「死んだ旅人が、長い道を歩いて世界樹に帰ってくる話。」
「子供向け?」
「こっちの子供には普通なんじゃない?」
そう言って本を開く。
古い話だった。
長い旅を終えた者は、大きな木へ帰ってくる。
木の根はその者を迎え、地下へ続く道を開く。
旅人は暗い根の間を歩いていく。
やがて水を得て、それを飲む。
疲れた身体を横たえ、長い眠りにつく。
そして目覚めたとき。
旅人は若返っていた。
再び荷物を背負い、新しい旅へ出ていく。
「どこへ行くんだ?」
ターケシが尋ねた。
「書いてないんです。」
シフォンが最後のページを見せた。
大きな木から、一人の旅人が歩き出している。
その先には、何も描かれていなかった。
「変な話ですわね。」
「御伽噺なんてそんなもんだろ。」
「そうでしょうか。」
シフォンはもう一度、最後の絵を眺める。
「私は好きですよ。」
「そうか。」
ターケシも絵を見る。
どこへ行くのかは分からない。
それでも旅人は歩いている。
「似た話は他にもありますわ。」
ロザリアが別の本を示す。
「死者は大樹の根元へ帰り、そこで眠る。」
ユヅカが顔を上げた。
「見せてください。」
本を受け取る。
しばらく読む。
さらに別の本を開く。
それから、紙に何かを書き始めた。
死者と世界樹。
大樹の根と地下。
水と眠り。
休息と新たな旅立ち。
「元は同じ話なんだろうか。」
「分からない。」
ユヅカは首を振った。
「書かれた時代も違うし、地域も違う。元になった話が同じだった可能性もあるし、後から影響し合ったのかもしれないわ。」
「伝説や御伽噺って、そんなもんかもな。」
それからしばらく、四人は手分けして図書館の中を歩き回る。
古い宗教儀礼の記録。
葬送についての研究。
王家の祭祀。
世界樹の維持に関する記録。
建築。
水路。
補修。
用途の分からない古い部屋について書かれたものまで探した。
昼を過ぎる頃には、机の上にまた本と紙の山ができていた。
「これを見てください。」
ロザリアが一冊の記録を示した。
ユヅカが読む。
古い葬送儀礼について記されたものだった。
死者を送り出す際、水を供える。
寝台を整える。
常緑の植物を置く。
死者が長い旅の疲れを癒やし、安らかに眠れるように。
「水か。」
ターケシが言った。
「ベッドも。」
シフォンが紙を指した。
「植物もありますわ。」
ロザリアが続ける。
「まるで、御伽噺の旅人の部屋のようですわね。」
御伽噺と儀式が、少しだけ重なった。
「どちらが先かは分からないけれど、御伽噺と実際の儀式に同じものが出てくる。」
ユヅカが、一冊の古い記録を見せる。
「……これは。」
ターケシが覗き込む。
「何だ?」
「世界樹の補修記録。」
「いつのだ?」
「何百年……もっと前かも。かなり古いわ。」
羊皮紙は古びて、インクも滲んでいる。
ところどころ読めなくなっていた。
そこには世界樹内部の水路や倉庫、祭具の保管場所について書かれている。
古い見取り図も添えられていた。
そして。
「『安息の間』。」
ユヅカが読み上げる。
さらに読み進める。
巨大な根の間の空間を利用し、あるいは根そのものを利用して作られた部屋。
水を引くための設備を備え、植物も配置されている。
王家や祭司が古い儀式に使用したと思われる空間だった。
「地下で死者を……魂の帰還を迎える場所。」
ユヅカが呟いた。
「地下に水を引き、植物を養い、これだけの部屋を維持するのは大変なはずだわ。」
「政治的な、あるいは宗教的な意味があったということか。」
ターケシは腕を組んだ。
「どちらにせよ、生きている人間でも寛げる『いい部屋』だな。」
リュシアンは、この部屋のことを言っていたのではないか。
「ちょっと待って。」
ユヅカが釘を刺す。
「昔の施設が本当に今も残ってるとは限らないわ。」
「そうだな。」
「もう埋められているかもしれないし、壊されているかもしれない。」
それから、もう一度資料へ目を落とした。
「でも。」
指先で、いくつかの記述をなぞる。
「私も、調べる価値はあると思う。」
ターケシも机を見る。
何百年、あるいはそれ以上の時間をかけて形を変えてきた物語。
その一方で、実際に世界樹の地下には「安息の間」と呼ばれる施設があったらしい。
ターケシは少し考えた。
「トロイア伝説とその遺跡みたいなものか。」
ユヅカが顔を上げた。
「お父さん、意外と学があるわね。」
「意外と、とは何だ。」
ユヅカがいたずら気な笑みを浮かべた。
ターケシは三人を見渡す。
「探索目標は、この『安息の間』にしようか。リュシアンがどこかを暗に示していたとしたら、現状ではここ以外に候補地はないだろう。」
三人がそれぞれ頷いた。
異論はないようだ。




