父の仲間たち
ターケシとユヅカは、書架の向こうへ戻った。
最初に気づいたのはシフォンだった。
灰色の耳がぴんと立つ。
「ご主人様!」
ロザリアも二人を見る。
「お話は、終わりましたの?」
「ああ。まあな。」
ターケシが答えると、ユヅカが一歩前へ出た。
シフォンとロザリア。
そして、その隣に立つ片眼鏡のエルフ、セレディオンを順番に見る。
「今は、いったん、この人が私の父親だと信じることにします。」
ユヅカは「今は」を強調して言った。
「でも、信じてあげるかわりに、私の勉強と調べものを手伝ってください。」
「俺が?」
「元の世界に戻る手がかりを探しているんです。」
ユヅカはターケシを上目遣いで見上げる。
「お父さんなら当然手伝いますよね?」
「……まあ、俺も帰りたいからな。」
「では、決まりです。」
その時だった。
「はい!」
シフォンが元気よく手を挙げた。
全員の視線が集まる。
「じゃあじゃあ、ユヅカさんも探すのを手伝ってほしいです!」
「探す? 何を?」
「はい! フィリアさんがどこにいるか――」
「むぐっ!?」
ターケシの手が、シフォンの口を塞いだ。
ほぼ同時に、ロザリアも反対側からシフォンを押さえる。
「シフォン……!」
「それは今ここで言うことではありません!」
「むぐぐ……!」
ユヅカが目を瞬いた。
「……フィリア?」
シフォンの耳がぴくりと動く。
ターケシとロザリアの動きが止まった。
ユヅカは三人を見る。
「……。」
その口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
先ほどターケシが見たばかりの、いたずら気な笑みだった。
「フィリアさんが誰なのかは知りませんけど。」
「ユヅカ。」
「面白そうね!」
ユヅカは両手を腰に当て、楽しそうに笑いながら言った。
「今は協力してあげましょう!」
ターケシは額に手を当てた。
シフォンの灰色の耳が、嬉しそうにぴんと立つ。
セレディオンは、少し離れて一連のやり取りを微笑んで見ていた。
◇
「それでは先生、今日はここまでにします。」
大図書館の出口で、ユヅカがセレディオンへ振り返った。
「今は大丈夫です。明日また!」
「ああ。また明日。」
セレディオンは穏やかに答えた。
「先生、ありがとうございました!」
シフォンが頭を下げる。
「ごきげんよう。」
ロザリアも会釈した。
ターケシも軽く頭を下げる。
ユヅカが手を振る。
「ああ。」
セレディオンも小さく手を振った。
四人は、そのまま大図書館を出ていった。
静寂が戻ってくる。
セレディオンは、しばらくその後ろ姿を見送っていた。
やがて四人の姿が完全に見えなくなる。
それから、ゆっくりと誰もいない空間へ振り返った。
「あなたは、彼らと行かなくていいのですか?」
返事の代わりに、書架の陰から一人の男が姿を現した。
リュシアンだった。
「……気づいていたのですか。」
「随分前から。」
「相変わらずですね。」
リュシアンは苦笑した。
そして、ターケシたちが消えた扉を見る。
しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「俺は……行くわけにはいきません。」
セレディオンは黙って聞いている。
「女王を……エリスを、一人にするわけにはいきません。」
セレディオンは微笑んだままだった。
「そうですか。」
「はい。」
リュシアンは、それ以上何も言わなかった。
セレディオンはそんな彼を見つめる。
「でも、もう一人の友人の助けにもなりたい。」
リュシアンがセレディオンを見る。
「そうですね?」
セレディオンは微笑んだ。
リュシアンは答えなかった。
ただ、もう一度扉へ視線を向けた。
◇
ターケシはユヅカを自分たちの部屋へ招いた。
「入れ。」
「お邪魔します。」
ユヅカは部屋の中を見回す。
寝台。
小さな机。
椅子。
旅の荷物。
壁際には、ターケシの大盾や大刀が置かれている。
豪華ではない。
訪問者が長く滞在するための、ごく普通の部屋だった。
「そこに座ってくれ。」
「はい。」
ユヅカが椅子へ腰を下ろす。
ターケシは扉を閉め、鍵をかけた。
「シフォン。」
「はい!」
シフォンが寝台へ駆け寄る。
「ロザリアさん、こっち持ってください。」
「はいはい。」
二人が寝台から何かを引っ張り出す。
「何してるの?」
「見れば分かります!」
シフォンとロザリアが、それぞれ端を持つ。
ばさり。
大きな布が床に広げられた。
「……シーツ?」
ユヅカが目を丸くする。
「シーツです!」
「ここの?」
「そうです!」
「それ、いいの?」
「……。」
シフォンが黙った。
ロザリアが咳払いする。
「必要経費ですわ。」
だが、すぐにシーツへ視線を戻した。
そこには無数の線と文字が書き込まれていた。
通路。
階段。
広間。
扉。
警備の位置。
人の出入り。
時間帯。
いくつもの印。
そして、ところどころに書き込まれた注意書き。
ユヅカが椅子から立ち上がった。
「これは……。」
「世界樹の地図だ。」
ターケシが答える。
ユヅカは床へしゃがみ込んだ。
「これ、自分たちで描いたの?」
「ああ。」
ターケシもシーツの横へ腰を下ろした。
「当たり前だが、正式な見取り図は手に入らない。だから歩けるところを歩いて、見たものを書き込んだ。」
ターケシの指が、一本の線をなぞる。
「ここが世界樹の正面側。人の出入りが一番多い。」
次の線。
「こっちは王宮につながっている。」
さらに、その奥。
「ここから先は警備が厳しい。」
ユヅカが地図を覗き込む。
「この丸は?」
「衛兵の配置ですわ。」
ロザリアが答えた。
「昼と夜で配置が変わります。こちらには交代の時間も書いてあります。」
「この印は?」
「行き止まりです!」
シフォンが指を差す。
「でも、ここと、ここと……ここは、向こうから風の匂いがします。」
「風の匂い?」
「はい。壁の向こうに何かあると思います。」
ユヅカはシーツをじっと見つめた。
「……すごい。」
「何がだ?」
「何だか、スパイアニメみたい!」
その目が輝いている。
明らかに楽しそうだった。
「それで、これは……。」
ユヅカが顔を上げる。
「フィリアさんを探すために?」
「そうです!」
「フィリアさんって、どんな人なの?」
「俺たちの仲間だ。」
「仲間。」
「ああ。」
「エルフなの?」
「そうだ。」
ターケシは事情を説明する。
エルドラシア王国から一緒にエルフ王国まで来たこと。
ヴァエルシアに到着した後、フィリアとしばらく観光…見学をさせてくれたが、ある日突然姿を見せなくなったこと。
そして、今はどこにいるのか分からないこと。
「行方不明?」
「少し違う。」
ターケシは腕を組んだ。
「エルフ王国の誰かが、どこかに置いている。」
「それって……。」
ユヅカの表情から、先ほどまでの楽しそうな色が少し消える。
「監禁されてるってこと?」
「分からん。」
ターケシは首を傾げた。
「だから調べてる。」
ユヅカは黙った。
ターケシは、シーツの下側を指す。
そこには、上側とは対照的にほとんど何も描かれていない。
わずかな階段。
確認できた地下施設。
その先には、大きな空白が広がっていた。
「問題はここだ。」
「地下?」
「ああ。」
ユヅカが身を乗り出す。
「おそらく、世界樹の地下にフィリアはいる。女王の仕草がそう示した。」
「でも、地下がどうなっているかも、地下のどこにいるかもわからない。」
ユヅカは、しばらく何も言わなかった。
シーツの空白を見つめている。
やがて指先を、その空白へ置いた。
「……世界樹の地下。」
「何か知ってるのか?」
「まだ分からない。」
ユヅカは考えながら答える。
「でも、地下について書かれたものなら、読んだことがあるわ。」
「地図か?」
「地図じゃない。」
ユヅカは首を振った。
「古い本。世界樹の構造について書かれたものとか、地下にまつわる伝説とか。」
そして少し考える。
「神話にもあるわ。」
「神話?」
「世界樹の根の下に何があるのか、とか。魂がどこへ行くのか、とか。」
ターケシとロザリアが顔を見合わせる。
シフォンも首を傾げた。
「今までは、建物の構造として読んだことはなかった。」
ユヅカはシーツへ視線を戻す。
「宗教とか神話の資料だと思っていたから。」
指先が、何も描かれていない地下部分をゆっくりとなぞる。
「でも、この地図と一緒に見たら……。」
ユヅカの目が、再び輝き始める。
「何か分かるかもしれない。」
ターケシは娘を見る。
先ほどとは違う。
今度は好奇心だけではない。
何かを調べ、考え、答えを見つけようとする目だった。
その時だった。
コン、コン。
部屋の扉が鳴った。
四人の動きが止まる。
「……!」
シフォンとロザリアが同時にシーツへ飛びついた。
「早く!」
「隠さなきゃ!」
ばさばさと地図を折り畳み、寝台の下へ押し込む。
ユヅカも反射的に立ち上がった。
ターケシだけは動かなかった。
もう一度。
コン、コン。
ターケシはゆっくりと立ち上がった。
三人を見る。
声を出すな。
目だけで伝える。
そして扉へ近づく。
取っ手には触れない。
扉の向こうの気配を探りながら、低い声で尋ねた。
「誰だ?」




