十年間
「それで。」
ユヅカが尋ねる。
「お父さんは、どうやってこの世界に来たんですか?」
「俺か。」
「はい。」
「気づいたら森の中だった。」
ユヅカが目を瞬く。
「……私もです。」
ターケシがユヅカを見る。
「お前も?」
「はい。二年前の二学期でした。」
ユヅカは記憶をたどるように話し始めた。
「学校へ行く途中で、突然、ものすごく強い光を感じて。次に気がついたら、森の中にいました。」
「一人でか。」
「一人です。」
「……そうか。」
「最初は、どこにいるのか全然分かりませんでした。携帯もつながらないし、人もいないし。」
ユヅカは自分の手を見る。
「お腹も空くし、喉も乾くし。それで、とにかく人がいるところを探そうと思って、歩き回りました。」
ターケシは黙って聞いている。
「途中で、変なのにも追いかけられました。」
「何に?」
「ゴブリン……って、あとで名前を知りましたけど。」
ターケシの眉が動く。
「それで?」
「竹刀を持ってたので。」
ユヅカは自分の両手を見る。
「追いつかれそうになって……無我夢中で、突き刺しました。それで逃げました。」
ターケシは何も言わなかった。
十三歳。
一人。
見知らぬ森。
ゴブリン。
竹刀一本。
よく生き残った。
「そのあと、やっと村を見つけたんです。」
ユヅカが続ける。
「教会があったので、そこに逃げ込みました。」
「教会……。」
「はい。学校で神様の教えを学んでいましたから……教会なら、助けてもらえるかもしれないと思ったんです。」
言葉も通じない。
文字も読めない。
どこにいるのかも分からない。
その中で、教会だけが自分の知っているものに近かった。
「中に入って、祈りました。」
「何を?」
「覚えてません。」
ユヅカは少し笑った。
「助けてください、とか。家に帰してください、とか。たぶん、そんなことです。」
その笑みが消える。
「それで、そのまま気を失いました。」
「次に気づいたら?」
「ベッドの上でした。」
ユヅカは静かに続ける。
「教会の神父さまとシスターが見つけてくださって、助けるように言ってくださったそうです。」
「そうか。」
「はい。」
「……そうか。その神父様たちには、お礼を言わなきゃな。」
ターケシは、それ以上聞かなかった。
「お父さんは?」
「俺も最初は森だった。」
「同じなんですね。」
「ああ。森は何とかなった。」
「何とかなったんですか?」
「水を探して、食えるものを探して、何日か歩いた。町にもたどり着いた。」
ユヅカの表情が少し明るくなる。
「じゃあ、そこで助けてもらったんですか?」
「いや。」
ターケシは首を振った。
「売られた。」
「……え?」
「腕試しだとか何とか言われてな。地下闘技場に連れていかれた。気づいた時には檻の中だ。」
ユヅカは言葉を失った。
「そのまま奴隷になった。地下闘技場の賞金を貯めて、自分で自分を買い戻すまで五年かかった。」
「……五年。」
「ああ。」
ターケシは淡々と続ける。
「それから五年、冒険者として働いた。あの三人と……獣人のシフォンと、貴族のロザリアと、それと、もう一人いるんだが……まあ、いろいろあって仲間になった。」
「もう一人?」
「今は、ちょっといない。」
「……そうですか。」
「あいつらのおかげで、最近は金回りも運もいい。俺もようやくCランク冒険者になった。」
「Cランク……かなり経験を積んだ冒険者ですよね。」
「まあな。」
ユヅカは少し考える。
「それで、どうしてエルフ王国に?」
「本物の王子様から仕事を頼まれた。」
「王子様?」
「ああ。エルドラシア王国の第二王子だ。」
「……お父さん、王子様と知り合いなの?」
「仕事を頼まれるくらいにはな。」
ユヅカの顔に、少しだけ好奇心が浮かんだ。
こういうところは、年頃の娘なのだろう。
「危険な本があってな。その調査に協力してもらうために、エルフ王国まで来た。」
「危険な本?」
「『鎮魂の書』……死霊術の本とも言う。」
ユヅカはしばらく、目の前の男を見ていた。
森に放り出された。
町まで生き延びた。
そこで騙され、奴隷になった。
地下闘技場で五年間戦った。
自分で自分を買い戻した。
それから冒険者として五年間生きてきた。
獣人の少女と、貴族の女性と、もう一人を仲間にした。
今では王子から仕事を頼まれ、エルフ王国にいる。
「……十年って、長いですね。」
「長かったな。」
ターケシは、それだけ答えた。
ユヅカは書架の向こうへ視線を向けた。
そこには、先ほど助けた灰色の耳の少女がいる。
ご主人様。
シフォンは確かにそう呼んでいた。
聞きたいことは、まだある。
ターケシにもあるだろう。
それでも、今ここですべてを聞く必要はなかった。
十年間。
互いの知らない時間が、そこにはあった。




