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奴隷市場から始まる異世界冒険譚―第二部エルフ王国編  作者: たーけし
あの子を探して

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大図書館

翌朝。


ターケシたちは、女王から渡された紹介状を持って図書室を訪れた。


女王は、「図書室」と言っていた。


だからターケシも、それほど大きなものは想像していなかった。


せいぜい。


元の世界の学校にあった体育館くらいの広さだろう。


そう思っていた。


「……図書室?」


思わず、呟いた。


天井が高い。


見上げるほどの高さまで、巨大な書架がそびえ立っている。


梯子を使わなければ届かない場所にも本が並び、その間をいくつもの回廊が走っていた。


そして何より。


広い。


世界樹の巨大なうろを、そのまま活かして作られたような大きな部屋。


それだけでも十分に図書館と呼べる規模なのに。


奥に扉がある。


その向こうにも。


また同じような部屋があった。


さらにその奥の扉の向こうも、同じように続いているのだろうか。


階段を上れば、上にも。


下りれば、下にも。


書架が続いている。


「……ご主人様。」


シフォンが呆然と見上げていた。


「何だ。」


「これ、全部、本ですか?」


「たぶんな。」


「全部読むんですか?」


「無理だ。」


即答した。


紙の匂い。革の匂い。古い木の匂い。


そして、本を虫や黴から守るためだろう。薬草を混ぜたような独特の匂いが、あちこちから漂っている。


数千年。


エルフたちが積み重ねてきた記録。


王国ができるより前のものさえ、このどこかに眠っているのだろう。


とてつもない蔵書だった。


ターケシは、遥か上まで続く書架を見上げた。


元の世界にも、これほどの図書館はあったのだろうか。


少なくとも、自分は見たことがない。


「これは……。」


隣でロザリアも圧倒されていた。


「女王陛下も、何冊あるか分からないと仰るわけですわね。」


「ああ。」


一週間かけて街を歩き回っても、何も見つけられなかった。


この中に手がかりは、本当にあるのか。


ターケシは頭に手を当てた。


「……先が長そうだな。」



受付で、女王から預かった紹介状を差し出した。


司書のエルフは王家の印を確認すると、姿勢を正した。


「女王陛下から伺っております。どのような資料をお探しでしょうか。」


ターケシが答える。


「ヴァエルシアの歴史や、古い伝承についてだ。」


「歴史と伝承でございますか。」


「ああ。ここ一週間、街の史跡を見て回ってたんだ。年配の人たちから昔の話もいろいろ聞いた。」


嘘ではない。


本当だ。


「せっかくここまで来たんだ。もう少し詳しく勉強してから帰りなさいと、陛下にお勧めいただいた。」


司書は納得したように頷いた。


「それでしたら、古代史、地誌、宗教史などをご覧になるのがよろしいでしょう。世界樹に関する神話や伝承を集めた書物も、その中にございます。」


「助かる。」


「古い資料には現在使われていない文字で記されたものもございます。そのような本も必要でしたら、お申し付けください。」


「分かった。」


司書に案内されながら、ターケシはロザリアとシフォンを振り返った。


「手分けするぞ。」


「はい。」


「分かりましたわ。」


こうして。


三人の図書館での調査が始まった。



ターケシは地誌と建築関係。


ロザリアは歴史書や王国の古い記録。


そして。


「……私、何しましょう。」


シフォンが困っていた。


目の前には、文字で埋め尽くされた本が並んでいる。


シフォンは、読み書きができないわけではない。


奴隷として長く暮らしてきた後、ターケシたちと生活するようになってから少しずつ覚えている。


簡単な文章なら読める。


自分の名前も書ける。


看板も読めるようになってきた。


だが。


歴史書。


神学書。


古い地誌。


まして、エルフの学者が書いた専門書となれば話は別だった。


「絵でもいい。」


ターケシが言った。


「絵?」


「地図。建物の図。世界樹の絵。それっぽい本を探してくれ。」


「あ。それならできます。」


シフォンの耳が立った。


「絵本でもいいぞ。」


「子供じゃありません。」


「意外と世界樹の地下の伝承とかありそうだろ。」


「ふむぅ……。」


少し不満そうだったが。


しばらくすると、楽しそうに本を探し始めた。



「ご主人様。」


「何だ。」


「世界地図です。」


「そこ置いとけ。」


「ロザリアさん。」


「何ですの?」


「昔の服がいっぱい描いてあります。」


「こちらへお願いしますわ。」


「ご主人様。」


「今度は何だ。」


「これ、何でしょう。」


ターケシが見る。


世界樹の断面図のようなものが描かれている。


「……それは使えそうだ。こっち。」


「はい!」


役に立っている。


それが嬉しいらしい。


文字の多い本は飛ばし、図や挿絵が多い本を一冊ずつ抜き出していく。


地図。


建築図。


植物図鑑。


昔の街を描いた本。


子供向けの神話集。


絵物語。


それらを机へ運ぶ。


そのうち。


シフォンは一冊の大きな本を棚から引き抜いた。


北部地方の地図が載っていたからだった。


「……あ。」


手が止まった。


地図の端。


山と森に囲まれた地域。


そこに。


見覚えのある名前があった。


シフォンは顔を近づけた。


指で文字を追う。


一文字ずつ。


ゆっくりと読む。


「グ……ラ……エ……。」


途中で。


読めた。


「……グラエヴァル。」


誰にも聞こえないほどの声だった。



シフォンは、その本を抱えて机へ戻った。


「ロザリアさん。」


「はい?」


「これ……読んでもらっていいですか。」


ロザリアが顔を上げた。


シフォンが開いたページを見る。


「北部諸族地誌……ですわね。」


「ここ。」


指を差す。


ロザリアの目が止まった。


「……グラエヴァル。」


「はい。」


シフォンは椅子を引いた。


ロザリアの隣に座る。


ターケシも本から顔を上げた。


「シフォンの生まれた村だな。」


「……はい。」


ロザリアがページをめくった。


かなり古い地誌だった。


現在の国境が定まるより前。


北部に暮らしていた人間や獣人の集落、氏族、交易路などを調べたものらしい。


グラエヴァル。


灰狼族の集落。


森と丘陵の境にあり、狩猟と小規模な農耕を営む。


「……本当に載ってます。」


シフォンが呟いた。


村があった。


その事実だけなら、当然知っている。


自分がそこで生まれたのだから。


それでも。


本に書かれている。


地図に名前がある。


それが妙に嬉しかった。


「次見たいです。」


シフォンが言った。


ロザリアがページをめくる。


そこには、灰狼族の衣装を描いた挿絵があった。


耳を出せるように作られた頭巾。


冬用の厚い外套。


腰には、動物の骨で作られた小さな飾り。


シフォンが指を差した。


「これ……。」


「知っていますの?」


「たぶん。」


少し考える。


「お母さんが、こんなの持ってました。」


ページをめくる。


食事。


木の実を練り込んだ固いパン。


獣肉と根菜を煮込んだ料理。


干した肉。


森で採れる茸。


「これ、食べたことあります。」


シフォンが笑った。


「この煮込み。」


「覚えていますの?」


「ちょっとだけ。」


指で絵をなぞる。


「冬に食べるんです。たぶん。」


「美味しかった?」


ターケシが聞いた。


「はい。熱いのが苦手で、おばあちゃんが特別に冷ましてくれました。」


シフォンは笑った。


その笑顔を見て。


ターケシも、ほんの少しだけ笑った。



さらに別の本を探した。


今度は北部の祭礼を記録したものだった。


そこにも。


グラエヴァルの名があった。


春。


村の若者たちが森へ入り、花を持ち帰って飾りを作る。


夏。


川辺で火を焚き、魚や肉を焼く。


秋。


狩りの獲物と収穫物を持ち寄る。


冬。


鹿や猪を模した雪像を作り、狩りの成功を祈る。


「……これは知らない。」


シフォンが呟いた。


ロザリアが横を見る。


「覚えていませんの?」


シフォンは首を傾げる。


「私、この祭り……やったことないです。」


そこには、成人前の灰狼族の子供が身につける飾り。


狩りを覚える年齢。


森の歩き方を教わる年齢。


初めて一人で獲物を追う年齢。


家族から受け継ぐ歌。


料理。


昔話。


シフォンの指が止まった。


知らない。


知らないことばかりだった。


村を焼かれ、連れ去られた時。


まだ幼かった。


母親から。


父親から。


村の大人たちや、年上の子供たちから。


本来なら、自分が受け継ぐはずだったもの。


「……こんなの、あったんですね。」


声が少し震えた。


ターケシは何も言わなかった。


ロザリアも。


ただ。


ページをめくった。



そして。


ある年を境に。


記録が途切れた。


次の地誌には、グラエヴァルの名前がなかった。


別の地図にも。


ない。


交易路の記録にも。


ない。


シフォンは何冊か探した。


一冊。


もう一冊。


「……ない。」


さらに一冊。


「ここにあったはずなのに。」


古い地図を開く。


ある。


グラエヴァル。


新しい地図を開く。


ない。


その間に、何が起きたのか。


シフォンは知っている。


赤牙。


村が襲われた。


多くの人が殺され、あるいは連れ去られた。


だから、記録から村が消えた。


「……。」


シフォンは古い地図を見た。


そこには。


まだ村がある。


人が暮らしている。


祭りがある。


料理がある。


子供たちがいる。


自分が。


そこで育っていくはずだった。


シフォンは目元を擦った。


「シフォン?」


ロザリアが声をかける。


「大丈夫です。」


すぐに答えた。


もう一度。


目元を擦る。


「ちょっと……。」


立ち上がる。


「トイレ行ってきます。」


「場所分かるか?」


ターケシが尋ねた。


「分かります。」


答えるのが少し早かった。


「さっき通りましたから。」


「そうか。」


「はい。」


シフォンは顔を伏せたまま、足早に歩き出した。


「走るなよ。」


返事はなかった。


棚の向こうへ。


灰色の尻尾が消えていった。



ターケシは、しばらくその方向を見ていた。


「……大丈夫でしょうか。」


ロザリアが小さく言う。


「一人にしとこう。」


「ええ。」


ターケシは机の上の本を見る。


開かれたままの地図。


そこには、小さな文字で。


グラエヴァル。


そう書かれていた。


何百年も前から、そこに人が暮らしていた。


食べて。


働いて。


祭りをして。


子供を育てていた。


そして。


ある時を境に。


記録から消えた。


ターケシは静かに本を閉じた。


「……赤牙。」


呟く。


それから。


別の本へ手を伸ばした。


まだ。


調べものの途中だ。



その頃。


シフォンは。


「……あれ?」


立ち止まっていた。


涙を拭きながら歩いていたせいで。


何度曲がったのか。


覚えていない。


右を見る。


本棚。


左を見る。


本棚。


後ろを見る。


やっぱり本棚。


鼻を動かす。


紙。


革。


古い木。


防虫の薬草。


黴を防ぐ薬。


あまりにも多くの匂いが混じっている。


自慢の鼻でも。


ここでは、追いたい匂いを拾えない。


「……ご主人様?」


返事はない。


シフォンの耳が、ゆっくりと伏せられた。


「……迷いました。」


少し間があった。


「……どうしよう。」


その時。


本棚の向こうから。


誰かが歩いてくる音がした。

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