女王の答え
翌朝。
ターケシたちは、女王への面会を願い出た。
理由は、帰国の挨拶。
一週間にわたってヴァエルシアに滞在し、街を見て回った。そろそろエルドラシア王国へ戻る。
正式な使節として訪れた以上、帰国前に女王へ暇乞いをするのは何も不自然ではない。
むしろ、挨拶もなく帰る方が不自然だった。
面会は、その日の午後に許可された。
◇
案内されたのは、以前にも女王と懇談した部屋だった。
大きな窓から、世界樹の枝葉を通して柔らかな光が差し込んでいる。
以前と同じ卓。
同じ椅子。
だが。
今日は、少し雰囲気が違った。
女王の後ろには侍女たち。
壁際には衛兵が二人。
そして卓から少し離れたところには、一人のエルフの男が座っている。
紙と筆を手元に置いていた。
書記官だろう。
公式な帰国の挨拶なのだ。
当然と言えば、当然だった。
だからこそ。
フィリアのことを直接聞くわけにはいかない。
「エルドラシア王国使節、ターケシ様御一行でございます。」
侍女の声に合わせ、ターケシ、シフォン、ロザリアが礼を取る。
女王が三人を迎えた。
「お掛けください。」
「ありがとうございます。」
三人が席につく。
「本日は、帰国のご挨拶に参りました。」
「まあ。」
女王が少し目を見開いた。
「もう、お帰りになるのですか。」
「ええ。随分と長居をさせていただきました。」
「そのようなことはありません。ヴァエルシアでの滞在は楽しんでいただけましたか?」
「もちろんです。街も見ましたし、史跡も回りました。いろいろと勉強させてもらいました。」
「それは何よりです。」
穏やかな会話だった。
外国使節と女王との、帰国前の懇談。
書記官の筆が動く。
さらさらと、紙を擦る音がする。
ターケシは、それを聞きながら話していた。
余計なことは言えない。
◇
「それと。」
ターケシは懐へ手を入れた。
衛兵の視線が動く。
「実は、アルフォンス王子から陛下へ、帰国前に渡すよう言われていたものがあります。」
小さく折り畳んだ布切れを取り出す。
もちろん。
アルフォンスから預かったものではない。
侍女が進み出て、それを受け取る。
女王へ渡した。
女王が布を開く。
そこには。
三行だけ書かれていた。
――はいなら右。
――いいえなら左。
――分からなければ下。
女王の目が止まった。
ほんの一瞬だった。
それから布を畳む。
「確かに受け取りました。」
「ありがとうございます。」
ターケシは頭を下げた。
書記官は何も言わない。
衛兵も動かない。
まずは。
通った。
だが。
女王が本当に意図を理解したか。
確認する必要がある。
◇
「こちらへ来てから、ずっと天気に恵まれました。」
ターケシは何気ない調子で話を続けた。
「ええ。今年は穏やかな季節です。」
「昨日も晴れていましたね。」
女王は微笑んだ。
そして。
ほんの少しだけ。
右へ顔を向けた。
ターケシは表情を変えなかった。
シフォンの耳だけが、ぴくりと動く。
ロザリアも気づいたはずだ。
通じた。
「市場の食べ物も美味しかったです。シフォンなんか、昨日は菓子を十個くらい食べてました。」
「食べてません!」
シフォンが思わず声を上げる。
「九個だったか?」
「そんなに食べてません!」
女王が小さく笑った。
そして。
わずかに左へ顔を向けた。
――いいえ。
ターケシは表情を変えなかった。
右。
左。
女王は理解している。
これ以上、試す必要はない。
書記官の筆は、変わらず紙の上を走っていた。
◇
それからしばらくは、本当に帰国の挨拶をした。
道中のこと。
ヴァエルシアで見たもの。
市場の食べ物。
史跡。
エルフたちから聞いた神話。
どれも、記録に残されても困らない話だった。
そして。
ターケシは、少しずつ本題へ近づいた。
「俺たちは冒険者です。」
女王がターケシを見る。
「王都へ帰っても、たぶん長くはじっとしていないでしょう。」
「そうなのですか?」
「ええ。」
ターケシは笑った。
「古い友人を探す旅も続けるつもりです。」
女王の表情は変わらない。
「きっと今も、どこかを旅しているでしょう。」
女王の顔が。
ほんのわずかに左を向いた。
――いいえ。
ターケシは何も言わなかった。
ロザリアも。
シフォンも。
だが。
三人とも分かった。
フィリアは。
旅に出ていない。
「旅を続けていれば、いつかどこかで会えるかもしれません。」
女王は穏やかに微笑んでいる。
「もっとも、案外この街の中にいたりして。帰る前に市場でばったり出会ったら、笑い話なんですが。」
女王の視線が。
また左へ動いた。
――いいえ。
街にはいない。
ターケシの頭の中に、一週間かけて描いた地図が浮かんだ。
市場。
広場。
路地。
史跡。
城壁。
歩けるところは歩いた。
違う。
では。
どこだ。
「もしかしたら。」
シフォンが口を開いた。
ターケシが横を見る。
嫌な予感がした。
「意外と近くにいたりするかも!」
おい。
ロザリアも一瞬、シフォンを見る。
少し危ない。
だが。
もう止められない。
女王はシフォンを見た。
ほんの少し微笑んだ。
そして。
右を向いた。
――はい。
ターケシは黙っていた。
近い。
ここから。
かなり近い。
旅には出ていない。
街にもいない。
そして。
近くにいる。
今、自分たちがいる場所。
世界樹。
◇
それ以上は聞けなかった。
どこにいる。
地下なのか。
拘束されているのか。
誰が命じた。
聞きたいことはいくらでもある。
だが。
質問が具体的になればなるほど、周囲の者にも意味が伝わる。
何より。
書記官の筆が動いている。
この会話は記録されている。
女王も、それを分かっているはずだった。
少しの沈黙の後。
女王が口を開いた。
「神話に興味を持たれたそうですね。」
突然、話題が変わった。
「え?」
シフォンが瞬きをする。
ターケシはすぐに答えた。
「ええ。街の年配の方々から、いろいろ教えていただきました。」
「そうですか。」
女王は微笑んだ。
「では、この国に伝わる古い話を一つ、お聞かせしましょう。」
書記官の筆が動く。
女王が外国使節へ自国の伝説を語る。
それだけなら。
何も不自然ではない。
「古い時代。」
女王は静かに語り始めた。
「まだ王国もなく、エルフという名さえ今とは違っていた頃。人々は、大切なものを地上へ置いてはならないと考えていたそうです。」
ターケシは黙って聞く。
「地上にあるものは、風雨にさらされ、火に焼かれ、時とともに失われます。」
女王の視線が、ゆっくりと床へ落ちた。
「だから。」
少し間を置く。
「本当に大切なものは、地面の下へ。」
シフォンの耳が立った。
ロザリアの表情は変わらない。
ターケシも動かなかった。
「世界樹も同じです。」
女王は続ける。
「私たちが目にしている大樹は、その半身に過ぎません。もう半分は、地の下にあります。」
ターケシの頭の中で、一週間かけて描いた地図が広がった。
最後まで埋まらなかった。
巨大な空白。
地下。
「古い話です。」
女王は微笑んだ。
「どこまで本当なのかは、私にも分かりません。」
それ以上、女王は何も言わなかった。
だが。
十分だった。
◇
「そういえば。」
女王が、今度はまったく違う話を始めた。
「皆様は、ヴァエルシアの図書館へ行かれたことはありますか?」
「図書館?」
シフォンが首を傾げる。
「いえ。」
ターケシが答えた。
「まだです。」
「それは、もったいないですね。」
女王は少し楽しそうに言った。
「ヴァエルシアは、世界の中心とも呼ばれてきた場所です。エルフだけでなく、人間や獣人、今では失われた国々の記録まで集められています。」
「そんなにあるんですか?」
シフォンが尋ねる。
「ええ。」
女王は少し考えるようにして。
「いったい何冊あるのか……私にも分かりません。」
シフォンの目が丸くなる。
「そんなに?」
「何千年もありますから。」
女王は微笑んだ。
「皆様は、我が国の歴史や神話にも興味を持たれたのでしょう?」
「ええ。」
「でしたら。」
女王は侍女を見る。
「紙と筆を。」
侍女が用意する。
女王はその場で、短い文章を書いた。
最後に、王家の印を押す。
「紹介状です。」
侍女を介して、ターケシへ渡された。
「これを見せれば、通常は閲覧できない資料の一部も見ることができるでしょう。」
ターケシは紹介状を見る。
そして。
女王を見る。
「……よろしいんですか。」
「もちろん。」
女王は穏やかに答えた。
「せっかく遠い国からいらしたのです。」
そして。
わずかに微笑んだ。
「少し調べてから、旅立たれてはいかがですか?」
帰国を延期する理由。
それを。
女王の方から与えた。
「ありがとうございます。」
ターケシは深く頭を下げた。
「では、お言葉に甘えます。」
「ええ。」
女王は頷いた。
「調べ物が終わりましたら、またいらしてください。」
ターケシが顔を上げる。
女王と目が合った。
次の面会。
そこまで用意してくれた。
「承知しました。」
◇
部屋を退出する。
扉が閉じた。
侍女に案内されている間、三人は何も言わなかった。
やがて自分たちの滞在区画へ戻り。
部屋へ入る。
扉を閉める。
ターケシが鍵をかけた。
三人は顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは。
やはりシフォンだった。
「……いますよね。」
「ああ。」
「フィリアさん。」
「ああ。」
ターケシは答えた。
「少なくとも、旅には出ていない。」
ロザリアが続ける。
「街にもいない。」
「そして。」
ターケシは床を指差した。
「俺たちの近くにいる。」
シフォンも床を見る。
「地下……。」
「ああ。」
一週間。
埋まらなかった地図の空白。
そこに。
初めて意味が生まれた。
ターケシは女王から受け取った紹介状を卓の上へ置いた。
「次は、図書館だ。」
フィリアは。
世界樹の地下にいる可能性が高い。
さらなる手がかりは、この世界樹の図書館にある。




