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奴隷市場から始まる異世界冒険譚―第二部エルフ王国編  作者: たーけし
あの子を探して

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囚われの身

部屋は、広かった。


天井も高い。


十分すぎるほどに。


柔らかな寝台があり、机と椅子、本棚がある。奥には浴室まで備えられていた。食事は一日三度、温かいものが運ばれてくる。衣服も用意され、必要なものがあれば侍女に頼むこともできた。


部屋の一隅には草花が植えられ、一本の木も育っている。その枝からは、木製のブランコまで吊るされていた。


牢獄には見えない。


少なくとも、人間が想像する牢獄とはまるで違った。鉄格子もなければ、鎖もない。粗末な寝床もない。


ただ、窓がなかった。



フィリアは扉の前に立っていた。


分厚い木製の扉に手をかける。


当然、開かない。


外から施錠されている。


「開けてもらえる?」


扉の向こうへ声をかける。


少しして、若い女の声が返ってきた。


「どちらへお出かけになりますか。」


「散歩。」


「確認いたします。」


「誰に?」


返事はなかった。


フィリアは少し待った。


「……リュシアンに会いたい。」


「面会の希望をお伝えいたします。」


「女王陛下には?」


「そちらも、お伝えいたします。」


「ターケシたちには?」


わずかな間があった。


「お伝えいたします。」


何を言っても、返ってくる答えはほとんど同じだった。


確認する。


伝える。


許可があれば知らせる。


誰に確認するのか。誰が許可を出すのか。それは答えない。


フィリアは小さく息を吐いた。


「……分かったわ。」


返事はなかった。



翌日。


あるいは、翌日だと思う時間。


フィリアは部屋を調べ始めた。


壁は厚い。


石を積み重ねて造られている。叩いてみても、鈍い音が返ってくるだけだった。


地上なのか、地下なのか。


正確には分からない。


ただ、自然光は一切入らず、外の音も聞こえない。空気はどこからか絶えず流れ込んでいるが、通気口は人が通れるような大きさではない。


おそらく、地下だ。


問題は、扉だった。


出入口は二重になっている。


居室側の扉の向こうに小さな前室があり、さらにその先にもう一枚の扉があるらしい。


だが、その外側を見ることはできなかった。


二枚の扉は、決して同時には開かない。


食事が運ばれてくる時も同じだった。


まず、向こうで微かな音がする。


しばらくして、居室側の扉が開く。


そこには、食事の載った台が置かれている。


フィリアが台を受け取り、扉を閉める。


施錠される音。


その後しばらくして、さらに向こう側で別の錠が動くような音がする。


外側の扉が開いたのだろう。


つまり、こちらの扉が開いている間、外側の扉は閉じている。


外側が開いている間は、こちらが閉じている。


フィリアから廊下を見ることはできない。


人が入ってくる時も同じだった。


内側の扉が開いた時には、その者はすでに前室にいる。背後の扉は閉じ、施錠されている。


そして退出する時には、その逆を繰り返す。


外に何人いるのか。


衛兵がどこに立っているのか。


廊下が右へ続いているのか、左へ続いているのか。


階段までどれほどあるのか。


何一つ分からない。


フィリアは扉の前にしゃがみ込み、しばらく考えた。


無理だ。


扉が開いた瞬間に侍女を制圧したところで、前室から先へ進めない。外扉を開ける手段もない。魔法で扉を破壊すれば、その時点で脱走は発覚する。


仮に突破できたとしても、その先の構造を知らない。


通路、階段、警備、出口。


何も見えない。


何も知らされない。


脱出する者に、観察する機会そのものを与えないように作られている。


「……よくできてるわね。」


フィリアは、誰に言うでもなく呟いた。



手紙も書いた。


女王へ。


リュシアンへ。


そして、ターケシたちへ。


部屋へ入ってきた侍女に渡した。


「必ず届けて。」


「承知いたしました。」


だが、返事は来なかった。


届いていないのかもしれない。


届いたうえで、返事を止められているのかもしれない。


そもそも、読まれる前に処分されている可能性もある。


分からない。


もう一度書いた。


やはり、返事は来なかった。


伝言も頼んだ。


それにも返事はなかった。


そのうち、フィリアは書くのをやめた。



時間が分からなくなっていった。


窓がない。


朝日も、夕暮れもない。


食事だけが、おおよその時間を教えてくれる。


眠って起きる。食べる。湯に入る。また眠る。


それを繰り返しているうちに、一日がどこから始まり、どこで終わるのかさえ、少しずつ曖昧になっていった。


今がいつなのか分からない。


外で何が起きているのかも分からない。


フィリアは室内の木から下がるブランコに腰掛け、ゆっくりと身体を揺らした。


前へ。


後ろへ。


ぎい、と小さな音がする。


ここには何でもある。


食べ物も、水も、清潔な衣服も、本もある。身体を洗うこともできる。草花は手入れされ、寝台は七年間の潜伏生活で使ったどんな寝床よりも柔らかい。


それでも。


これは、罰なのだろう。


どこにも行けない。


身の回りを世話する者以外、誰とも会えない。


今がいつなのかも分からない。


外で何が起きているのかも分からない。


長老会の意に逆らったから?


女王と親しいから?


旅の仲間を庇ったから?


冷徹な密偵に徹しきれなかったから?


七年間、言われた通りに働いた。


人間の社会へ潜り、奴隷になり、売られ、主人に従いながら情報を集めた。必要なら嘘をつき、必要なら人を利用し、水面下で自分の任務を進めた。


それでも、奴隷は奴隷だった。


行きたい場所へ自由に行けるわけではない。主人に命じられれば従わなければならない。売られれば、次の主人のもとへ行く。


その中で、できることをしていた。


十分以上に、任務を果たした。


「……何が、間違ってたのかしら。」


ブランコが揺れる。


長老会への反発?


自由への憧れ?


女王の信頼?


祖国への裏切り?


「……何だろう。」


フィリアは遠くを見つめた。


見飽きた壁の向こう側にあるはずの大空を。


もはや、果てしなく遠いそれを。



ブランコを揺らしながら、フィリアはこの数か月を思い出した。


焚き火。


シフォンの声。


ロザリアの困った顔。


ターケシの呆れたような言葉。


危険な旅だった。


何度も死にかけた。


朽ちた教会。


肉食大ミミズ。


巨大な毒蜘蛛。


巨人の骸骨。


凶悪なオーガ。


不法な武力集団。


とんでもない冒険だった。


それなのに。


思い出の中のあの数か月は、妙に明るかった。


七年間の潜伏生活では。


いや。


これまでの長い密偵生活の中でも、ほとんど感じたことがないほどに。


そして。


ようやく気づいた。


ターケシと出会ってからの数か月だけが、例外だったのだ。


奴隷でありながら、誰も自分に奴隷として振る舞うことを求めなかった。


行きたいところへ行った。


言いたいことを言った。


シフォンをからかった。


ロザリアを困らせた。


必要なら一人で出かけた。


帰ってくれば、誰かがいた。


そんな生活が。


いつの間にか。


当たり前になっていた。


そして、故郷へ帰った。


帰れば、もっと自由になると思っていた。


フィリアは、ゆっくりと目を開けた。


柔らかな寝台。


温かな食事。


風呂。


本。


草花。


ブランコ。


何でもある。


ただ。


外へ出られない。


フィリアは、しばらく何も言わなかった。


ブランコが前へ揺れる。


戻ってくる。


また、前へ。


やがて。


ぽつりと呟いた。


「……また、囚われたんだ。」


ぎい、と。


ブランコの軋む音だけが、部屋に響いた。

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