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奴隷市場から始まる異世界冒険譚―第二部エルフ王国編  作者: たーけし
世界樹の国

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大樹の地下

はじめに、天と地があった。


けれど、そこに命はなかった。


天より神が降り立った。


神はその身を一粒の種とし、大地へと身を沈めた。


種は根を張った。


地上へ伸びた半身は、天を支える大樹となった。


地下へ伸びた半身は、大地を抱く根となった。


地の底より水を汲み上げ、幹を通して地上へ運び、枝葉から天へ返した。


天へ昇った水は雨となり、再び大地へ降り注いだ。


その巡りの中から、草木が芽吹いた。


獣が生まれた。


そして、エルフが生まれた。


やがて命ある者が死ぬと、その魂は大地へ還った。


世界樹の根は魂を受け入れ、地の底から幹へ、幹から枝葉へと導いた。


魂は世界樹を巡り、やがて新たな命となって、再び地上へ還る。


水を巡らせるもの。


命を巡らせるもの。


魂を巡らせるもの。


その樹の名を――ヴァエルシアという。


世界樹は、唯一である。


世界樹は、始まりより存在し、終わりまで存在する。


世界樹なくして、命の巡りはない。


少なくとも。


エルフ王国では、そう教えられている。



ターケシたちに世界樹と王都を案内した翌日の朝。


フィリアは、リュシアンとともに階段を下りていた。


昨日、ターケシたちを連れて上った階段とは、反対だった。


昨日は、上へ。


今日は、下へ。


王宮のある階層を過ぎる。


侍女や文官の姿が消える。


近衛兵の数も減っていく。


石造りの壁が増え、その間から、世界樹の太い根が姿を現し始めた。


根は、建物を突き破っているようにも見える。


逆に、人々が根を避け、その隙間へ石を積み、通路を作ったようにも見える。


どちらが先なのか、フィリアには分からない。


知らない。


知らされていないから。


さらに下る。


地上の光は、もう届かない。


壁に据えられた魔法具が、青白い光を放っている。


リュシアンは何も言わない。


フィリアも何も言わない。


昨日。


ターケシたちと街を歩いていた時には、よく笑った。


シフォンの食べ歩きをからかった。


ロザリアを装飾品の店で困らせた。


ターケシの女性への対応を揶揄した。


今。


その顔には、何の表情もなかった。


やがて、階段の先に、大きな扉が現れた。


黒い木。


金属の飾りは少ない。


古い。


見るからに重々しい。


それだけで、長い年月を感じさせる扉だった。


リュシアンが足を止める。


「ここまでだ。」


「ええ。」


フィリアも止まった。


「フィリア。」


「何?」


リュシアンは少しだけ迷った。


だが。


「……いや。」


それ以上は何も言わない。


フィリアは小さく息を吐いた。


「行ってくるわ。」


扉に手をかけようとしたフィリアを、リュシアンが制する。


「この扉は重い。」


「今さらね。よく知っているわ。」


「……無理をしてほしくない。これくらいはさせてくれ。」


フィリアは少し驚いた顔をした後、微笑んだ。


「ありがとう。死刑宣告を受けに行くわけじゃないんだから、大丈夫よ。」


結局、扉は二人で押し開けた。



部屋は、十分に広かった。


だが。


女王と懇談した部屋とは、まるで違う。


窓はない。


壁を這う世界樹の根。


必要最低限の灯り。


机。


椅子。


それだけ。


暗い。


重い。


空気そのものが、地上とは違うように感じられる。


奥に人影があった。


三人。


四人。


五人。


六人。


それ以上か。


よく分からない。


灯りは暗く、長老たちは部屋の奥へ半ば溶け込んでいる。


全員が揃っているのか。


そもそも長老会が何人で構成されているのか。


フィリアには分かっているのかもしれない。


だが、少なくとも、何も知らずにこの部屋へ入った者に、それを分からせようという意思は感じられなかった。


「来い。」


声がした。


誰のものかは分からない。


フィリアは奥へ進む。


そして、深く頭を下げた。


「フィリア。ただいま帰還いたしました。」


名前だけ。


肩書はない。


ここでは、それで十分だった。


しばしの沈黙。


「七年か。」


「はい。」


「長かったか?」


「任務としては。」


「そうか。」


別の声。


「報告を。」


フィリアは顔を上げた。


「承知いたしました。」



最初に報告したのは、主任務についてだった。


赤牙、黒蛇、その他、国境を越えて活動する犯罪組織。


フィリアは、淡々と報告していく。


「赤牙は、単独の盗賊団ではありません。」


暗い部屋に、彼女の声だけが響く。


「奴隷商人、地下闘技場、密輸業者、一部の商人、貴族家の使用人、地方の協力者。それらを通じて、エルドラシア王国各地へ情報網と取引網を広げています。」


「王都にもか。」


「はい。」


「北部だけではないのだな。」


「違います。」


フィリアは続ける。


「王都では、合法の奴隷市場と非合法の人身売買が接続しています。奴隷商人が正規の商人として活動する一方、裏では誘拐された者や身元不明者の流通にも関与しています。」


「貴族との関係は。」


「直接証明できる事例は限られます。ただし、間接的な協力者は複数確認しました。」


「軍事力は。」


「私が北部で直接確認しただけでも、二百に及ぶ武装要員を一時的に集中させています。」


わずかな沈黙。


「なるほど。ただの犯罪組織ではないな。」


「私も、そう判断しております。」


フィリアは淡々と続ける。


赤牙がどこで人を攫うのか。どこで売るのか。どこへ流すのか。どのように情報を集めるのか。どのように裏切り者を脅すのか。


そして、北部で放棄された前線拠点について。


「気になることがありました。」


暗闇の向こうから声が返る。


「何だ。」


「赤牙の前線拠点に、貴エルフ語による血文字が残されておりました。」


空気が変わった。


ほんのわずかだが。


フィリアには分かった。


「内容は。」


「『裏切り者は連れて行く。我らを追うな。お前たちが一歩進むたび、この者が代わりに血を流す。』追跡に対する警告を示すものと考えられます。」


「見間違いではないな。」


「ございません。」


「読めたのは、お前だけか。」


その質問に、フィリアは一瞬だけ間を置いた。


「リュシアンも確認しております。」


「他には。」


「その場にいた人間たちは、私から内容を聞いております。」


「何人だ。」


「数名。」


「名は。」


一拍おいて、フィリアは答えた。


答えざるを得なかった。


ターケシ、シフォン、ロザリア、ローズ、クラウス。


ただし、余計な説明はしない。


「そうか。」


反応は、それだけだった。



次に、フィリアは少し間を置いた。


「鎮魂の書について報告いたします。」


暗闇が、より深くなったように感じた。


誰も動いていない。


それでも、その名だけで空気が変わった。


「エルドラシア王国において、鎮魂の書の技術が、本来とは異なる目的で使用されている可能性を確認しました。」


「可能性だと?」


「はい。断定できる段階ではありません。」


「具体的には。」


「死者を循環へ還すためではなく、現世へ留めおき、スケルトンの使役などに転用されているのではないかと。」


沈黙。


世界樹ヴァエルシア。


その根は、死者の魂を受け入れる。


魂は世界樹を巡り、新たな命となって地上へ還る。


それが、正しい世界の在り方。


鎮魂の書は、その循環を助けるために記されたもの。


少なくとも、エルフの正統な教えでは、そうされている。


死者を現世へ縛りつけることは、ただの禁呪ではない。


世界樹の巡りを妨げる行為だった。


「何のためか。」


「目的は不明です。白聖王家の霊廟において、大量のスケルトンが発生しました。」


「白聖王家か。」


「古王国時代の王家です。」


「知っている。巨人の末裔だの、帝国だのと嘯き、我らと世界樹に害をなした忌々しい名よ。」


フィリアは続ける。


「スケルトンは、通常の人型のみではありませんでした。巨人種と思われる、極めて巨大な個体も確認しました。」


「動いていたのか。」


「はい。」


「討伐は。」


「されました。」


「誰に?」


フィリアは答えようとして、一瞬止まる。


「……先ほど申し上げた、ターケシたちです。」


暗闇から、反応はない。


「鎮魂の書との直接的な関連は。」


「確認できておりません。」


「では、推測か。」


「はい。」


フィリアは素直に認める。


「ただし、死者を大量に動かす現象と、鎮魂の書の悪用が同時期に確認されています。無関係と判断する根拠もございません。」


「よい。」


別の声。


「続けよ。」



「次に、オーガの特異体について。」


フィリアは報告を続けた。


通常個体を遥かに超える巨体、異常な生命力、常識的な個体差では説明しにくい特徴。


「死霊術との関係は。」


「確認できておりません。」


「鎮魂の書との関係も。」


「不明です。」


「では、なぜ報告する。」


「紫色の光――鎮魂の書の使用時に発生する特徴的な徴が、活動前に確認されたためです。」


暗闇の向こうから、嘲笑うような声。


「慎重だな。」


「我らに害をなす可能性のある事項は、お耳に入れておくべきかと。」


「よい。」


フィリアは続けた。


フウのことは。


生き残った子オーガのことは。


言わなかった。



「ドワーフについて。」


また、空気が変わる。


今度は、先ほどとは種類が違った。


「王都近郊の地下に、大規模なドワーフの街が存在していました。」


「地下に。」


「はい。」


「規模は。」


フィリアは確認した範囲を報告した。


坑道、鍛冶場、居住区、交易、人間との接点。王都の地下近くでありながら、独自の生活圏を維持していること。


「地を荒らす害獣どもが。」


低い声。


誰のものか分からない。


「帝国にかなり数を減らされたと聞いていたが、いまだにそこまで。」


フィリアは何も言わない。


正統派のエルフにとって、地下はただの空間ではない。


世界樹の根が広がる場所であり、魂が大地へ還る場所であり、神聖な領域だ。


そこを掘り、削り、石と鉱物を取り出し、炉を焚き、街を作る者たち。


ドワーフ。


長老たちが彼らを好まない理由を、フィリアはよく知っていた。


「人間との関係は。」


「敵対してはいませんが、わずかな者が時折行き来する以上の繋がりはありません。」


「そうか。」


それ以上は問われなかった。



最後に、フィリアはエルドラシア王国の政治状況を報告した。


第二王子アルフォンス、奴隷制度改革を進めようとする者たち、それに反対する既存勢力、ハリントン家の復興。王国内で進みつつある、小さな変化。


「人間の国内事情だ。」


暗闇から声がした。


「現時点では。」


フィリアが答える。


「赤牙への対応、奴隷制度、我が国との外交。そのいずれも、王国の政情と無関係ではございません。」


沈黙。


「第二王子とやらが、改革派の中心人物か。」


「どんな男だ。」


「頭が切れ、比較的まともな人物ですが、王宮内での影響力はまだ限定的です。」


「お前の判断か。」


「はい。」


「七年で、人間を見る目に自信がついたか。」


皮肉か。


ただの質問か。


暗くて表情は見えない。


フィリアは答える。


「多少は。」

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