ヴァエルシア
翌朝。
「今日は、私が案内するわ。」
朝食を終えたターケシたちの前で、フィリアが言った。
「女王陛下から仰せつかったでしょう? 世界樹と、この街を案内するようにって。」
「待ってました!」
シフォンの灰色の耳がぴんと立つ。
昨日の疲れなど、すっかり消えているらしい。
「どこに行くんですか?」
「世界樹。」
「ここが世界樹ですよ?」
「上。」
「……上?」
シフォンが天井を見た。
ターケシもつられて見上げる。
今いる王城そのものが、すでに世界樹ヴァエルシアの内部にある。
「そういえば、この街の名前を、まだ教えていなかったわね。」
「そうでしたっけ?」
「ヴァエルシアよ。」
シフォンが首を傾げる。
「世界樹と同じ?」
「ええ。」
フィリアが微笑む。
「世界樹も、この街も、ヴァエルシア。」
◇
世界樹の内部から外へ出ると、巨大な幹に沿って上へ伸びる階段があった。
階段。
そう呼ぶしかない。
だが、人間の建物にあるそれとは、あまりにも規模が違う。
巨大な幹に沿うように石と木で組まれた階段が、遥か頭上まで続いている。
途中には広い踊り場があり、そこから別の階段や回廊が枝分かれしていた。
太い枝へ渡された橋。
幹の内部へ続く扉。
巨大な根元へ下りていく通路。
上を見ても、どこまで続いているのか分からない。
「これ、全部登るんですか?」
シフォンが尋ねる。
「全部ではないわ。」
「よかったぁ。」
「今日行くところまでは、かなり登るけど。」
「ええ……。」
さっそくシフォンの耳が垂れた。
「昨日まで山道を歩いてたじゃないか。」
「山道と階段は違いますよぉ。」
「何が違うんだ。」
「気持ちが。」
昨日までは馬に乗っていたし、実際違うのだが。
そんなことを言いながら、一行は階段を登っていった。
上へ進むにつれて、人の姿が変わっていく。
侍女や文官の姿は減り、代わりに武装した者が増えた。
弓を持つ者。
槍を持つ者。
軽装の鎧をまとった近衛兵。
何人もの兵とすれ違う。
途中の広い踊り場には、武具を手入れしている者たちまでいた。
彼らはこちらを見ると一様に敬礼してくれた。
…つまり、文民ではない。
ターケシは周囲を見回す。
「……ここ、城なんだな。」
フィリアが振り返った。
「今さら?」
「昨日は、宮殿が世界樹の中にあると思ってた。」
「間違ってないけど。」
フィリアは頭上を示した。
「世界樹そのものが、王城なの。」
ターケシは改めて上を見る。
下も見る。
宮殿。
兵舎。
詰所。
見張り台。
それらが巨大な樹木の内外に散在し、階段や橋、回廊で結ばれている。
世界樹という一本の大樹が、そのまま巨大な城塞として機能しているのだ。
途中、一つの通路の前でフィリアが足を止めた。
「こっちは駄目。」
「何があるんですか?」
シフォンが覗こうとする。
フィリアがその目を手で覆う。
「教えない。」
「えー。」
「軍事機密よ。」
「じゃあ、なんでここまでは見せてくれるんだ?」
ターケシが尋ねた。
フィリアは少しだけ振り返る。
「女王陛下がお許しになったから。」
「普通は?」
「外国の使者を、こんなところまで連れて来たりしないわ。」
「そうか。女王陛下のご厚情に感謝するよ。」
フィリアは満足そうに頷き、また階段を登り始めた。
◇
どれだけ登ったのか。
やがて、階段は大樹の梢近くまで達した。
巨大な枝の一本へ渡された通路を進む。
風が強い。
葉の擦れ合う音が、頭上から絶え間なく聞こえてくる。
そして。
視界が開けた。
「うわぁ……。」
シフォンが立ち止まった。
そこは、世界樹の梢近くに散在する見張り台の一つだった。
盆地が見える。
すべて。
南北に細長く伸びる巨大な盆地。
その南寄りに、世界樹ヴァエルシアは立っている。
眼下には王都。
根と根の間を縫うように広がる街並み。
水路。
橋。
道。
さらに南には、ターケシたちが越えてきた森と山々が続いている。
「俺たちは、あっちから来たのか。」
「ええ。」
フィリアが南を示す。
「正確には、あの山の向こうからね。」
ターケシは今度は北を見た。
そして。
「……畑?」
思わず口にした。
「畑です!」
シフォンが身を乗り出す。
「すごい! いっぱいあります!」
世界樹の北側。
そこには、ターケシが想像していたエルフの国とはまるで違う光景が広がっていた。
広大な畑。
規則正しく並んだ果樹。
水路。
農道。
ところどころに建つ倉庫らしき建物。
馬や牛の放牧地まである。
盆地の北側には、大規模な農地が広がっていた。
「意外ですわね。」
ロザリアも驚いている。
「エルフの方々は、森の中で狩猟や採集をして暮らしているものだとばかり。」
「基本的にはそうよ。」
フィリアが答える。
「森で獣を狩る。木の実や果実、山菜を採る。小さな畑を作る者もいるけれど、大規模に土地を開くことはあまりしない。」
北の農地を見る。
「でも、ここは違う。」
「王都だからか。」
「ええ。これだけの人数が一か所で暮らせば、森の恵みだけに頼るわけにはいかないでしょう?」
王城。
軍隊。
職人。
商人。
そして、多くの住民。
それらを養うための農地だった。
「穀物も作るし、野菜も育てる。果樹園もあるわ。ヴァエルシアほど大規模な農業をしている場所は、エルフ王国には他にないわね。」
ロザリアがしばらく盆地を見ていた。
やがて、何かに気づいたように目を細める。
「……よくできていますわね。」
「何がだ?」
ターケシが尋ねる。
ロザリアは南を見る。
「私たちのように、南から来た外国の使者が最初に見るものは、こちらの風景――」
世界樹。
その麓に築かれた王城。
整然と広がる王都。
「これだけのものを見せられれば、嫌でもエルフ王国の歴史と力を感じます。」
そして北を見る。
「ですが、北から来るエルフの方々が見るものは――」
「畑と果樹園か。」
ターケシが続けた。
フィリアが笑った。
「そういうこと。」
南には威容。
北には豊穣。
国外から来る者には、世界樹と王権の壮大さを。
国内の各地から訪れるエルフたちには、世界樹の麓に集うことで得られる豊かさを。
「わざとこうしたのか?」
ターケシが尋ねる。
「さあ。」
フィリアは肩をすくめた。
「何百年も前のエルフに聞いてみないと分からないわね。」
長い年月の中で偶然そうなったのか。
最初から意図して作られたのか。
あるいは、後からその意味を利用するようになったのか。
今となっては分からないのだろう。
ターケシは、もう一度盆地を見渡した。
世界樹ヴァエルシア。
生命の揺り籠。
ただ巨大な樹が立っているだけではない。
この国そのものが、この樹を中心に形作られているのだ。
◇
そこからは、本当に観光になった。
世界樹を下り、フィリアは街のあちこちを案内した。
巨大な根の間から流れ落ちる滝。
昔、落雷で割れたという巨岩。
歴代の女王にまつわる史跡。
小さな祠。
そして。
「この木は?」
ターケシが尋ねた。
目の前には、世界樹とは比べものにならないとはいえ、人間の世界なら十分に巨木と呼ばれるであろう一本の古樹が立っていた。
幹は太く、表面には深い皺が刻まれている。
「世界樹より古いと言われているわ。この街のエルフには、世界樹と同じくらい敬愛されているの。」
「……世界樹より古いんですか?」
シフォンが目を丸くする。
「本当か?」
「伝説だもの。私に聞かれても困るわ。でもみんな信じているの。この木こそ、世界樹とこの街――ヴァエルシアの礎と。」
◇
昼を過ぎる頃には、シフォンの興味は別のものへ移っていた。
「これ、おいしいです!」
果実を搾った冷たいジュース。
「さっきも聞いた。」
「これは別のおいしいです!」
「便利な言葉だな。」
次は木の実を練り込んだ焼き菓子。
蜂蜜を使った菓子。
乾燥させた果実。
「これもおいしいです!」
「お前、食ってばかりだな。」
「ちゃんと色んなものを見学してます!」
「食い物屋しか見てないだろ。」
「そんなことありません!」
シフォンの手には、すでに次の菓子が握られていた。
ロザリアが笑う。
フィリアも楽しそうだった。
午前中、見張り台から見た広大な果樹園。
そこで実ったものが、こうして街へ運ばれ、飲み物や菓子になる。
王都の豊かさは、単なる景色ではない。
そこで暮らす者たちの日常へつながっていた。
◇
次にフィリアが連れて行ったのは、装飾品を扱う店だった。
銀細工。
木工細工。
色とりどりの石。
葉や花、蔓を模した髪飾りや首飾り。
「綺麗ですわね……。」
ロザリアが足を止めた。
見ていたのは、銀細工の髪飾りだった。
細い銀の枝に、小さな葉を象った飾りがいくつも連なっている。
派手なものではない。
だが、光を受けるたびに葉の一枚一枚が柔らかく輝いた。
「欲しいの?」
フィリアが尋ねる。
「い、いえ。見ていただけですわ。」
「そう。」
フィリアは髪飾りを見る。
ロザリアを見る。
それから、ターケシを見る。
「ターケシ。」
「何だ。」
「ロザリアが欲しいそうよ。」
「フィリア!?」
ロザリアが振り返った。
「お願いしてみたら?」
「な、何を!?」
「『ターケシさん、買ってください』って。」
「そ、そんなこと、言えるわけ……。」
「どうして?」
「どうしてって……!」
「ロザリアさん、頑張ってください!」
「!?」
いつの間にか、シフォンまで応援に回っている。
ターケシは三人を見てから、髪飾りの値札を確認した。
「……別にいいぞ。」
「えっ。」
ロザリアが固まった。
「欲しいなら買ってやる。」
「…………。」
「どうした?」
「い、いえ……。」
ロザリアは視線を逸らした。
「では……お言葉に甘えて。」
「おう。」
それだけだった。
ターケシは店主に代金を渡す。
ロザリアは受け取った髪飾りを、両手で大切そうに持った。
「大切にします。」
「……形あるものはいつか失われる。壊れたり失くしたら、遠慮なく言ってくれ。」
そう言うターケシの隣へ、フィリアが寄る。
そして、本人にだけ聞こえるような小さな声で囁く。
「……この無自覚垂らし。」
「たらし、ですか?」
シフォンの灰色の耳が、ぴんとこちらを向いていた。
獣人の耳には聞こえてしまったらしい。
「何を垂らすんですか? 蜂蜜ですか?」
「もう! 二人とも!」
ロザリアが赤くなりつつ膨れる。
「え? 何でですか!?」
シフォンは、ただ聞いただけなのに怒られ、納得がいかない様子だった。
フィリアはそんなシフォンとロザリアを見て、また楽しそうに笑った。




