焚き火
王都を出て三日。
街道は徐々に北へ向かっていた。
「本当に来ちゃいましたね。」
シフォンが荷馬車の荷台で呟く。
「まだ王都が見える気がします。」
御者台のターケシとフィリアが答える。
「気のせいだ。」
「気のせいです。」
フィリアは前方を見る。
「ここから先は、私も知らない景色が増えるわ。」
「故郷じゃないのか?」
「七年も経てば変わるものよ。」
「……。」
「それに。」
「何?」
「私も帰るのは、少し怖い。」
ターケシは、フィリアの横顔をちらりと見た
かつて地下格闘技大会前にした質問。
『何で奴隷になった?』
その答えを、まだ聞いていない。
◇
焚き火を囲む。まだこの辺りは治安がいいが、交代で休む。
最初の目的地は、北部の辺境伯領。アルフォンスとも懇意にしている老伯爵だ。聞けば、ロザリアも子供の頃に会ったことがあるらしい。
旅が始まってから、ロザリアは無口だ。
今も黙々と木剣を振っていた。
一歩。
また一歩。
踏み込む。
「……。」
せっかく再会した友人たち。騎士学校の同窓生。
先日の茶会は、何となく心地良いばかりではなかったと察する。セシリアの迎えの馬車に乗るときも、帰ってきた時も、笑顔ではあったが、帰りは少し陰があった。
あの夜も、中庭で黙々と木剣を振り、踏み込みを繰り返す姿からは、何か寂しさと悔しさを感じた。
「眠らないのか。」
「もう少しだけ。」
「……。」
「私、少しだけ期待していたんですの。」
「何をだ。」
「何も変わっていないことを。」
「でも、変わっていた。」
「私も。」
「王都も。」
「四年間だからな。変わらない方がおかしい。」
「誰かというより、自分に腹が立つんです。ただ戻ってきただけで、全てが上手くいくと思っていたんですから。」
「……。」
一種の沈黙。
ぱちり、焚き火が音を立てる。
『もし、あの日ハリントン家が没落していなかったら。』
『もし、奴隷になっていなかったら。』
そんなことを考えても仕方がないのだが。
「ロザリア。」
「はい。」
「これから、北部へ行く。」
「はい。」
「たぶん、お前のこと、お父上のこと、覚えている人がいる。」
「…はい。」
「帰る場所にするかどうかは、お前が決めていい。」
「……!」
「ハリントン家へ戻るか。」
「王都へ戻るか。」
「それとも、別の場所へ行くか。」
「お前はもう、奴隷じゃない。何に縛られるかくらいは、自分で決めて良い。」
「……はい!」
焚き火がもう一度鳴った。
◇
寝袋に入り込みながら、
「ごしゅ…ターケシさん…ふふ、なんて言えばいいかわからなくなりましたわ。」
「好きに呼べ。ウスノロ野郎、とか悪口は勘弁してくれると助かる。」
「ふふふ、ターケシ、さん。ターケシさん、にしますね。」
「ああ。ロザリア…でいいか?ロザリアさん、ロザリア嬢、にしようか?」
「ふふふふふ、やめてください。シフォンが起きちゃいますよ…ロザリアって呼んで下さい。今までどおりが良いです。」
「わかった。おやすみ、ロザリア。」
「おやすみなさい。ターケシさん。」
◇
「ターケシくん、交代。」
フィリアが起きてくる。
「おお、ありがとうな。」
「…ずいぶん、ロザリアと仲良さそうにしてましたね。」
「なんだ、起きてたのか。」
「別に。」
「エルフ王国に、いるんだろ。知り合いとか。」
「ええまぁ。たくさん。嫌になるほど。」
「お土産とか買わなくてよかったのか。」
「全員に買ってたらキリがない。それに、土産話ならたくさんある。」
「そうか。」
ターケシは、それ以上聞かなかった。
七年。
フィリアにもまた、自分たちの知らない人生がある。
焚き火の向こう。
北の空には、薄く星が瞬いていた。
◇
「ご主人様…」
「ん?」
「交代です。」
「おお、もうそんな時間か。」
ターケシは寝袋から身を起こす。
焚き火の向こうでは、シフォンが膝を抱えて座っていた。
「まだ大丈夫だったんですけど。」
「起こさないのも悪いかなって……。」
「気にするな。」
ターケシは軽く伸びをする。
「代わるぞ。ご苦労さん。」
「はい。」
少しだけ間が空く。
「ご主人様。」
「何だ。」
「フウ、元気でしょうか。」
思わず笑ってしまった。
「元気に決まってるだろ。」
「元気すぎて持て余してる頃だ。」
フウは、さすがに長旅へ連れていくわけにはいかなかった。
今までは宿の女将に預けることもあったが、それもどうなんだと思い始めていた。
結局、思い切ってアルフォンスへ預けてきた。
「アルフォンス様、大丈夫でしょうか。」
「大丈夫じゃない。」
「えっ。」
「だからリディアに丸投げしてた。」
「あ。」
王宮に住まうオーガの子供。
さすがに前例がなかったらしい。
『リ、リディア!頼む!』
『なぜ私なのですか!?』
『一番面倒見がいい!』
『だからといってオーガの子供を押し付けないでください!!』
妙齢の独身女性に子供を預けるのはどうかと思った。
……いや、こちらが言えた義理ではないのだが。
しかし。
フウはあっという間にリディアへ懐いた。
『ふぅー!』
『うっ……。』
『ふぅー!』
『ち、近い……!』
『ふぅー!』
『うう……アルフォンス様のご命令なれば……。』
最終的には、実家から理解のあるメイドまで呼び寄せたらしい。
「悪いことをした。」
「少しだけ。」
「少しなんですね。」
シフォンがくすりと笑う。
「でも。」
「何だ。」
「リディアさん、嬉しそうでした。」
「……。」
「フウも。」
夏の夜風が吹く。
「帰ったら、また会えますよね。」
「ああ。」
「ちゃんと帰る。」
「約束、ですよ。」
「破ったことがあったか?」
「……たまに無茶します。」
「否定できんな。」
シフォンが小さく笑う。
「でも、信じてます。」
「信じてくれ。」
シフォンは安心したように尻尾を揺らした。
北の空には、無数の星が瞬いていた。
三人は、それぞれ違うものを胸に抱いていた。
それでも今は、同じ焚き火を囲んでいる。
北への旅は、まだ始まったばかりだった。




