森の境界
時は、少し遡る。
赤牙が放棄した前線拠点。
つい先ほどまで互いに武器を向け合っていた者たちは、今では地面に車座になっていた。
ターケシ、シフォン、ロザリア、フィリア、ローズ、クラウス。
その向かいには、リュシアンをはじめとする数人のエルフが座っている。
少し離れた場所では、辺境伯の騎士たちとエルフの兵たちが、それぞれ周囲の警戒を続けていた。
だが、剣は鞘へ戻され、弓も下ろされている。
最初に口を開いたのは、エルフ側の男だった。
「先ほどは失礼しました。」
リュシアンはクラウスへ向かって軽く頭を下げた。
「改めて名乗らせていただきます。私はリュシアン。エルフ王国女王近衛隊に所属し、一個小隊を預かっています。」
クラウスも応じる。
「クラウス・ヴィンターベルグ。ヴィンターベルグ辺境伯エドゥアルトの三男。父の命により、騎士団の一隊を率いている。」
「ヴィンターベルグ辺境伯家の方でしたか。」
リュシアンはすぐにその名を理解した。
「お名前は存じています。国境を守る辺境伯家として、我々にとっても無縁の名ではありません。」
「こちらも、女王近衛隊と知っていれば武器を向けることはなかった。」
「我々も同じです。」
それ以上、二人は何も言わなかった。
「それで。」
クラウスが話を変えた。
「女王近衛隊が、なぜこの辺りまで?」
「この方々を探していました。ターケシ殿の御一行を。」
「俺たちを?」
「はい。」
リュシアンが頷く。
「エルドラシア王国第二王子アルフォンス殿下より、使者の一行が我が国を訪れる旨は、事前に知らされていました。」
その視線が、ターケシたちを順に見る。
「ですが、到着予定日を過ぎても姿をお見せにならなかった。女王陛下が一行の安否を懸念され、我々に捜索を命じられたのです。」
「なるほどな。随分と遅れたからな。」
辺境伯領を出て、宿場村での刺客との戦い。
北の灯火との遭遇と、赤牙との戦い。
予定どおりに進んだことの方が少ない。
「事情は、色々とあったようですね。」
リュシアンはそれ以上追及せず、まず一行を見回した。
「皆さんに大きな負傷は?」
「ない。多少疲れてはいるが、全員動ける。」
「それは何よりです。」
リュシアンは静かに頷いた。
それから、その視線がフィリアで止まった。
フィリアも彼を見ている。
先ほど森の中で再会した時は、思わず名前を叫んだようだが…。
打って変わってよそよそしい。
少なくとも今は、二人の仲を詮索するのはよしておこう。
「さて、エルフ王国まで――」
「エルフのお二人はどういう関係なんですか? フィリアさんと、リュシアン、さん?」
立っていたらずっこけたかもしれない。
「おい。」
シフォンの頭を鷲掴む。
「な、なんですか!? 聞いてもいいじゃないですか! お知り合いなのは確かなんでしょう!?」
「空気を読みなさい…。」
「ふふっ…ただの昔なじみよ。子供の頃からの腐れ縁なの。まさかこんな所で会うとは思っていなかったけど。気を遣ってくれてありがとう。」
フィリアが笑って、ターケシの手をどけてシフォンの頭を撫でる。
その様子を見て、リュシアンが驚いた顔をする。
「…フィリア。いや、何でもない。」
「何よ。前はもっと冷たい女だったのに…って言いたげね。」
口を尖らせて拗ねたように見せるフィリアに、リュシアンの目がもっと丸くなった。
「さっ…お話はもういいかしら。」
フィリアが話を戻す。
「馬車もなくなったし、食料も旅装も減ってる。このまま世界樹の麓まで行くのは無理ね。いったん辺境伯様の所に戻って、馬を借りましょう。」
「ああ。」
ターケシも頷いた。
ここ数日は旅どころではなかった。
森を駆け回り、追っ手を引きつけ、赤牙と殺し合った。
大きな怪我こそないが、馬車も食料も失っている。
ここで無理に先へ進む理由はない。
一度戻って休み、旅の支度を整え直すべきだ。
「それでいいわよね、ターケシ。」
「ああ…だが、まさかお前まで、実はエルフ王国のお姫様でした、とか言い出すんじゃないだろうな。」
「まさか。私はただのエルフの娘よ。」
フィリアの意味ありげな目配せに、リュシアンが目を逸らした気がした。
◇
出発前に確認してほしいものがある、とローズから頼みがあり、一同が向かったのは赤牙の拠点だった場所の端だった。
そこには、赤黒く乾いた血の跡が残っている。
血で描かれた文字。
もっとも、その一部はすでに無残な有様になっていた。
リュシアンが地面を見る。
「…これは。」
フィリアも、その隣へ立った。
「神をも恐れぬこの男が踏み消したから、読めないところがあるけど。」
そう言って、フィリアはターケシを見る。
「…人聞きが悪いな。」
「褒めてるのよ?」
ターケシとフィリアのやり取りに、リュシアンはあきれた顔をしたが何も言わず、地面に残された文字へ視線を落とした。
一部は靴底で削り取られている。
それでも、残された文字だけで十分だったらしい。
先ほどまで穏やかだったリュシアンの表情が変わった。
「…これは。」
「ええ。」
フィリアが答えた。
リュシアンは膝をつき、消されずに残った文字へ視線を走らせる。
「赤牙が、残していったわ。」
リュシアンの目が細くなった。
黙ったまま、残された文字を見つめている。
フィリアが問う。
「どう思う?」
すぐには答えなかった。
指先で触れることもせず、ただ文字の形を目で追っていく。
やがて、静かに口を開いた。
「…間違いない。」
フィリアの表情が僅かに引き締まる。
「やっぱり?」
「ああ。」
リュシアンはもう一度、文字を確かめた。
「これを書いた者は、貴エルフ語を知っている。」
短い沈黙が落ちた。
ターケシが問う。
「つまり、赤牙の中にそういう奴が、いる?」
答えたのはフィリアだった。
「赤牙の構成員自身が使えるのかもしれない。あるいは――」
リュシアンが、その先を引き取る。
「使える者が、教えたのかもしれない。」
赤牙。
王国北部だけでなく、王都でも、人を攫い、奴隷として売り、脅し、裏社会へ根を張る組織。
その影が、国境を越えた先にも伸びているのかもしれない。
まだ、何も断定はできない。
リュシアンは立ち上がった。
そして、改めて地面の文字を見る。
「この件は、女王陛下に直接報告することにします。」
「さすがね。近衛隊の小隊長様は。」
リュシアンはフィリアを見る。
「…たった七年で、ずいぶん変わったね。君は。」
「七年で? 七年が?」
思わず口を挟んだターケシ。
「リュシアン、余計なことを言わないで!」
フィリアが珍しく怒った。




