青天の銀狼
「駆け抜けろ!!」
クラウスが剣を振り下ろした。
ドドドドドドッ!!
十一騎が森を駆ける。そのすぐ横を、ロザリアも遅れずについていく。
「騎兵だ!!」
「後ろだ!!」
赤牙の弓兵たちが叫んだ。
つい先ほどまで、彼らが見ていたのは後退する敵だった。前方を進む味方、そのさらに先を退いていく北の灯火。敵は前にしかいない。そう思っていた。
弓を構えたまま振り返った時には、青地に銀狼の旗がすぐそこまで迫っていた。
弓兵の指揮官が何か叫ぼうとしたが、もう間に合わない。
ある者は矢を番え、ある者は弓を捨てて剣へ手を伸ばし、ある者は逃げようとする。そのいずれよりも早く、騎士たちが襲いかかった。
ガキンッ!!
弓を構えていた男が、咄嗟に抜いた剣で騎士の一撃を受ける。だが、馬上から叩きつけられた衝撃を支えきれず、身体ごと弾き飛ばされた。
その横を別の騎士が駆け抜けざまに剣を薙ぐ。
「ぐあっ!」
悲鳴が上がり、弓が落ち、矢筒が地面を転がる。弓兵の隊列は、わずかな時間で崩れ始めた。
「駆け抜けろ! 前へ!」
クラウスが叫ぶ。
騎士たちは倒れた者へとどめを刺すことも、逃げる者を追うこともない。目的は弓兵を殲滅することではなく、その先にいる赤牙の主力を後ろから突くことだった。
「止めろ!!」
赤牙の男が槍を向ける。
クラウスは手綱を引き、馬体を僅かに横へ流して穂先をかわした。そのまますれ違いざまに剣を走らせる。
「がっ!」
男が倒れる。
その横では、ロザリアの馬が別の兵へ迫っていた。赤牙の男が剣を振り上げるより早く、レイピアが閃く。
「ぐあっ!」
腕を斬られた男が崩れ落ちる。
さらにもう一人。
ロザリアが左手を向けた。
「水の斧よ…!」
ドンッ!!
水の塊に胸を打たれ、男の身体が後方へ吹き飛んだ。
「離れないでください!」
クラウスの声が飛ぶ。
「はい!」
ロザリアが応える。
十一騎とロザリア。十二の騎影は勢いを落とすことなく、赤牙の弓兵を突き破っていった。
◇
「何だ!?」
赤牙の前衛が振り返った。
後方から聞こえてくるのは、悲鳴と怒号。そして森の地面を震わせる蹄の音だった。
「後ろだ!」
「後ろから敵だ!!」
「騎兵だぞ!!」
「何だと!?」
北の灯火を追っていた兵たちの足が止まる。
木々の向こうでは弓兵たちが逃げ惑い、その中から青地に銀狼の旗が飛び出してきた。
「辺境伯の騎士団だ!!」
誰かが叫んだ。
前方には北の灯火。後方には騎士団。
赤牙の兵たちに動揺が走る中、クラウスは剣を掲げた。
「このまま行くぞ!!」
「応!!」
ドドドドドドッ!!
騎士たちは木をかわし、岩を避け、倒木を越えながら駆ける。平地のような密集突撃はできない。それでも森と雪山で鍛えられたヴィンターベルグの騎士たちは、一騎、二騎と木々の間隔に合わせて隊形を変えながら、赤牙の後背へ迫っていった。
「槍を出せ!」
赤牙の指揮官が叫ぶ。
「騎兵を止めろ!!」
兵たちが慌てて向きを変え、後方へ槍を構える。
その瞬間、彼らの意識は前方から離れた。
◇
蹄の音を聞き、ローズが顔を上げた。
「…騎兵?」
ターケシも振り返る。
「味方か?」
「分からん。」
ローズは目を凝らした。
木々の向こうに旗が見える。
青地に、銀狼。
その紋章を認めた瞬間、ローズの目が見開かれた。
「青天の銀狼…!」
その旗を、北部の民で知らぬ者はいない。
北の街道を守り、魔物を討ち、冬の雪原を駆け抜ける。北部で何かが起これば真っ先に駆けつける、ヴィンターベルグ辺境伯家の狼たち。
「騎士団だ!!」
「青天の銀狼だ!!」
「来てくれたぞ!!」
北の灯火から歓声が上がる。
だが、ローズは喜んでいるだけではなかった。すぐに戦場へ目を戻す。
赤牙の前衛は新たな脅威に気を取られ、もうこちらを見ていない。後方へ槍を向ける者、騎兵の数を確かめようと振り返る者、何が起きたのか分からず立ち止まる者。戦列が乱れている。
「総員構え!」
ローズが叫んだ。
後退していた北の灯火の戦士たちが止まり、剣、槍、斧、弓を赤牙へ向け直す。
ローズは長剣を振り下ろした。
「押し返せ!!」
「応!!」
今度は北の灯火が走った。
◇
「北の灯火が戻ってくるぞ!!」
赤牙の兵が叫んだ。
前には北の灯火。後ろにはヴィンターベルグ騎士団。
「槍は後ろだ!」
「前からも来るぞ!!」
怒号が交錯する。
ガキンッ!!
ローズが敵の剣を弾き、間髪を入れず踏み込んで長剣を薙ぐ。敵が倒れると、その横ではターケシの大刀が別の兵を斬り伏せ、大盾がさらにもう一人を弾き飛ばした。
「ご主人様! 右です!」
シフォンが低く駆け込む。敵が振るった剣の下へ潜り、二本の短剣を走らせる。
「ぐっ!」
男が膝をつく。
ヒュンッ!
その後方から飛んできた矢が、別の兵の肩へ突き立った。フィリアはすでに次の矢を番えている。
そして再び、蹄の音。
「来るぞ!!」
赤牙の兵が振り返った。
木々の間から銀狼が現れる。
騎士が駆け抜けざまに剣を振るい、赤牙の兵がよろめく。騎士たちは密集した敵の中央へ無理に突っ込まず、木々の間を駆けながら外側から隊列を削り、乱していった。
赤牙が騎士団へ向き直れば、北の灯火が押す。北の灯火へ向き直れば、騎士団が後ろから迫る。
数ではなお赤牙が上回っている。それでも、前後から同時に圧力を受けた戦列は、次第に一つの隊として動けなくなっていった。
◇
リリアは戦場を見ていた。
「…ヴィンターベルグ騎士団…か。」
左頬の古傷が僅かに動く。
騎士団は十二騎。数だけを見れば、多くはない。
だが、問題はそこではなかった。
「隊長!」
兵が駆け寄る。
「後方の弓兵が破られました! 北の灯火も反転、前衛が挟撃を受けています!」
「見えている。」
リリアは戦場を見渡した。
乱れた前衛。散らされた弓兵。反転した北の灯火。そして、背後から戦列を切り崩しているヴィンターベルグ騎士団。
何より問題なのは、マリナから受けた報告との食い違いだった。
西へ逃げたのは三十前後。ローズを含め負傷者が多く、子供たちもいる。
違った。
「…やられたな。」
リリアが呟く。
「騎士団は十二騎だけか?」
「確認できているのは十二騎です!」
「そうか。」
リリアは森へ目を向けた。
十二騎。
だが、十二騎しかいないという意味ではない。
ヴィンターベルグ辺境伯は、すでに赤牙を敵と定めて動いているのだろう。ここにいるのが十二騎でも、別働隊がいる可能性は高い。後続がこちらへ向かっていることも考えなければならない。
このまま戦闘を続ければ、いつ、どこから新手が現れるか分からない。さらに、ここはエルフ王国との国境にも近い。時間をかけるほど状況は悪くなる。
「退く。」
兵が顔を上げた。
「ですが、まだ数はこちらが――」
「騎士団が十二騎だけだという保証がどこにある。」
「…!」
「ここに十二騎いるなら、後続がいると考えろ。」
リリアは剣を抜いた。
「前衛へ伝えろ。順次後退。散った弓兵を集めろ。いったん拠点へ戻る。」
「はっ!」
兵が走り出そうとする。
「待て。」
伝令が足を止めた。
リリアは淡々と言った。
「負傷者を拾え。動けない者は――」
一瞬。
「楽にしてやれ。」
「…はっ!」
伝令の顔に一瞬だけ戦慄が浮かんだ。それを押し殺し、男は走り出す。
やがて森の各所で命令が復唱された。
「撤退!!」
「拠点へ戻れ!!」
「前衛から順次下がれ!!」
赤牙が動き始める。
◇
「敵が下がるぞ!」
北の灯火から声が上がる。
「追うな!!」
ローズが即座に止めた。
赤牙は敗走しているわけではない。乱れた部隊をまとめながら、森の奥へと後退している。ここで追えば、今度はこちらが戦列を崩しかねなかった。
ターケシが大きく息を吐く。
「助かったな。」
「ああ。」
ローズもようやく剣を下ろした。
その時、蹄の音が近づいてきた。
ローズが振り返る。
青天の銀狼。
先頭にいるのは、赤髪の若い騎士。
そして、その隣。
ローズが動きを止めた。
馬上の少女も、姉を見ていた。
「…姉様。」
「ロザリア…。」
ロザリアが馬から飛び降りた。
「姉様!」
駆け寄ってきた妹を、ローズが強く抱きしめる。
「よく戻った!」
「…はい。」
ロザリアの声が震えた。
「遅くなって…すみません。」
「そんなことないぞ。」
ローズは妹を抱きしめたまま、もう一度言った。
「よく戻ってきた。」
「…はい。」
それだけでよかった。
しばらくして、ローズは妹の肩を掴んで身体を離し、その顔を確かめる。
「怪我はないか?」
「大丈夫ですわ。」
「そうか。」
ようやく、ローズの表情が緩んだ。
「よかった。」
少し離れたところでシフォンが嬉しそうに笑い、ターケシも何も言わずに姉妹を見守っている。フィリアも弓を下ろした。
クラウスが馬から降りると、ローズが振り返った。
「助かった。」
「あれが我々の任務です。」
クラウスは短く答え、退いていく赤牙へ目を向ける。
「ですが、敵はまだ健在です。」
「ああ。」
ローズも森の奥を見る。
赤牙は崩壊してはいない。まだ終わってはいなかった。
◇
西の戦いが終わった後、南へ向かったヴィンターベルグ騎士団本隊も、森を移動していた北の灯火の一団を発見した。
負傷者、老人、子供たち。そして彼らを守っていた戦士たちは、全員が騎士団の保護下へ入った。さらに森の各所へ分散していた騎士団の別働隊も順次合流し、夕刻までには捜索に出ていた兵力の大半が再集結していた。
その日の夜。
森の一角に設けられた野営地で、クラウスは焚き火を挟んでローズと向き合っていた。
「我々は赤牙の前線拠点を攻撃します。」
ローズが顔を上げる。
「奴らも今日の戦いで損害を受けています。何より、まだこちらの兵力を正確に把握できていないはずです。」
クラウスは膝の上に広げた地図へ目を落とした。
「態勢を立て直す時間を与えるべきではありません。奴らをこの森から追い払うなら、今です。」
ローズは少し考えてから頷いた。
「ああ。場所は分かる。」
「ご存じなのですか?」
「うちの『密偵』が掴んでいた。」
そう答えたローズの表情が、僅かに曇る。
「その本人は、今は赤牙に囚われている。できれば助けてくれ。」
焚き火が、ぱちりと鳴った。
クラウスは何も問い返さず、ただ頷いた。
「わかりました。」
再び、狼たちが動き始める。
「俺たちも一緒に行く。」
ターケシが声をかけると、クラウスが振り返った。
「馬は乗れますか?」
「俺とフィリアは乗れる。シフォンは俺の前に乗せる。」
「では、予備の馬を。」
騎士の一人が馬を引いてきて、ターケシに手綱を渡す。
「私も行きますわ。」
今度はロザリアが手を挙げた。
ターケシが顔をしかめる。
「走り詰めだろ。休んだ方がいい。」
「戦い詰めなのは皆同じですわ。それに――」
ロザリアは一度言葉を切り、ターケシたちを見回した。
「私だけ別行動は、もうごめんですわ。」
そう言って、不敵に笑う。
ターケシは少しだけ目を細めた。
大人びた、自信に満ちた笑みをするようになった。
「うぅ…。」
その横から、情けない声が聞こえた。
シフォンが馬を見上げ、灰色の耳を垂らしている。
「私だけ、一人で乗れないなんて…子供みたいですぅ…。」
「お前は子供だろ。」
「ひどいです!」
昼間まで戦場だった森に、小さな笑い声が響いた。




