救援
朝日は、すでに森の梢を越えていた。
宿場村の外れ。
街道を押さえるように建てられた小さな石造りの砦では、慌ただしく人が行き交っていた。
本来は北方からの侵攻に備えた街道防衛のための砦である。
平時の守備兵は多くない。
だが今は、ロザリアたちの捜索拠点としてヴィンターベルク騎士団が駐屯していた。
低く重い角笛の音が、森の向こうへ消えていく。
散開している騎士たちへの、緊急集結の合図だった。
「全員が戻るまで、どれくらいですか?」
ロザリアが尋ねる。
クラウスは地図から目を上げなかった。
「近い班なら半刻。」
指が地図の上を動く。
「だが、全員を集めるなら一刻以上はかかります。」
「一刻……。」
ロザリアは唇を噛んだ。
長い。
あまりにも長い。
ターケシたちは今も森の中にいる。
赤牙を西へ引きつけるために。
三人だけで。
「待てませんわ。」
「ああ。」
クラウスは即答した。
「待ちません。」
「え?」
ロザリアが顔を上げる。
クラウスは地図から離れ、砦の中庭へ視線を向けた。
すでに馬へ鞍を載せ、出撃準備を整えている騎士たちがいる。
「現在、この砦にいる騎士は?」
「私を含めて十一騎です。」
「十一……。」
赤牙は約二百。
そして偽情報を信じたなら、その相当数が西へ向かっている。
ロザリアは思わず首を振った。
「ですが、十一騎では――」
「敵を倒しに行くのではありません。」
クラウスは遮った。
指先が地図の西を叩く。
「ターケシ殿たちを助けます。」
「……。」
「敵はローズ殿たちが西へ逃げたと思っている。」
「はい。」
「そして、ターケシ殿たちは敵をさらに西へ誘導している。」
「そのはずです。」
クラウスは頷いた。
「ならば赤牙は、我々に背を向けています。」
ロザリアは地図を見る。
赤牙の前線拠点。
そこから西へ向かう敵。
そのさらに西で、ターケシたちが戦っている。
「後ろから叩くのですね。」
「はい。」
「ですが……。」
ロザリアは不安そうにクラウスを見る。
「敵は、百を超えるかもしれません。」
「でしょうね。」
クラウスはあっさり認めた。
「十一騎で百五十人を倒すことなど考えていません。」
その言葉に、ロザリアは僅かに目を見開いた。
「我々の目的は敵の撃破ではない。」
クラウスは地図上の西の森を指した。
「追撃を止める。」
「その間にターケシ殿たちを離脱させる。」
「それだけです。」
森の中で百五十人もの兵が、一つの塊になって動けるはずがない。
木がある。
岩がある。
沢がある。
道は狭い。
追撃が長くなればなるほど、隊列は伸びる。
前衛と後衛の距離も開く。
まして赤牙は、逃げる敵を追っている。
自分たちの後方から騎兵が来るとは考えていない。
「最後尾を叩きます。」
クラウスが言った。
「混乱させればいい。」
「辺境伯軍が来たと分からせれば、少なくとも今までのようには追えなくなる。」
「その隙に救出する……。」
「ええ。」
勝つための戦いではない。
助けるための戦い。
そして。
生きて帰るための戦いだった。
ロザリアは地図の南へ視線を落とした。
「姉様たちは……。」
クラウスも頷いた。
「そちらが問題です。」
ローズは子供たちを連れて南へ逃げている。
老人もいる。
負傷者もいる。
戦える者の多くは西の偽装拠点へ向かわせた。
戦闘になれば、もっとも脆い集団だった。
「残りの騎士は、どうしますの?」
「南へ向かわせます。」
クラウスは即答した。
「集結した三十九騎は、そのままローズ殿たちの救援へ。」
ロザリアが息を呑む。
「三十九騎すべてを?」
「はい。」
「しかし、そうすればあなたは十一騎だけで……。」
「だからこそです。」
クラウスは静かに答えた。
「我々十一騎は、戦うために行くのではありません。」
「ターケシ殿たちを連れて帰る。」
「そのためだけなら、十一騎でもやりようはあります。」
だが。
子供たちは違う。
逃げ切れなければ戦うしかない。
ならば、戦力はそちらへ集中させるべきだった。
クラウスは近くにいた伝令を呼んだ。
「伝令!」
「はっ!」
「散開中の各班へ命令!」
騎士が姿勢を正す。
「捜索任務は終了。」
「集結した者から南へ向かえ!」
「ローズ・フォン・ハリントン率いる避難民を捜索!」
「発見次第、保護せよ!」
「はっ!」
「子供、老人、負傷者がいる。」
「戦闘より保護を優先しろ。」
「赤牙の追撃部隊と接触した場合は?」
伝令が尋ねる。
クラウスの表情が変わった。
「排除しろ。」
短い命令だった。
「はっ!」
伝令が馬へ飛び乗る。
蹄の音が遠ざかっていった。
ロザリアは、その後ろ姿を見送る。
「……ありがとうございます。」
クラウスが振り返った。
「何がです。」
「姉様たちを。」
「礼は、全員を連れて帰ってからにしてください。」
「……はい。」
クラウスは兜を被った。
顎紐を締める。
そして、自分の馬へ跨った。
十人の騎士たちも次々と馬上の人となる。
ロザリアにも一頭の馬が用意されていた。
鞍へ足を掛ける。
疲労は残っている。
脚も痛い。
それでも。
今度は一人ではない。
「ロザリア殿。」
クラウスが声をかける。
「はい。」
「西への道は分かりますか?」
「おおよそなら。」
「十分です。」
クラウスが剣を抜いた。
朝日を受け、刃が白く輝く。
「十一騎。」
十人の騎士たちが、一斉にクラウスを見る。
「目的は敵の撃破ではない。」
静かな声だった。
「我々の客人が、今も森で戦っている。」
「彼らを見つける。」
「敵を止める。」
「そして――」
クラウスは剣を西へ向けた。
「味方を連れて帰る。」
「忘れるな。」
「はっ!!」
騎士たちの声が重なった。
「開門!」
重い音を立てて、砦の門が開いていく。
その向こう。
西へ続く街道。
さらに先には、深い森が広がっている。
クラウスが剣を振り下ろした。
「出るぞ!」
蹄が地面を蹴った。
一騎。
また一騎。
十一騎が砦の門を駆け抜ける。
ロザリアも、その中にいた。
目指すは西。
百五十の赤牙が集まりつつある森。
そのさらに向こうで。
ターケシ。
シフォン。
フィリア。
三人の仲間が、今も戦っている。
そして。
十一騎とは別に。
北部各地から集まりつつある三十九騎には、すでに新たな命令が走っていた。
――南へ。
――ローズ・フォン・ハリントンを探せ。
――子供たちを守れ。
散り散りになった者たちを救うため。
ヴィンターベルクの銀狼は、二つの方向へ走り始めた。




