再起
森の奥から、二つの人影が現れた。
「ローズ様!」
土と枯葉にまみれた、ローズとターケシだった。
二人とも傷を負っていたが、自分の足で歩いている。
子供たちの間から、安堵の声が上がった。
「全員いるか。」
ローズは、息を整えるより先に尋ねた。
「はい。子供たちは全員無事ですわ」
ロザリアが答える。
「こちらも、今のところ欠けた者はいない。負傷者はいるが、動ける」
ローズはそこで、マリナの様子がおかしいことに気づいた。
俯いたまま、顔を上げようとしない。
「どうした、マリナ」
マリナの肩が震えた。
「ローズ様……」
掠れた声だった。
「申し訳ありません」
そしてマリナは、すべてを話した。
北の灯火の場所を伝えたこと。
見張り台と備蓄庫の位置。
戦える者の人数。
警戒の交代時刻。
娘を人質に取られ、北の灯火結成前から十年にわたって、赤牙へ情報を流していたこと。
誰も口を挟まなかった。
マリナの告白が終わっても、しばらく森には、風が木々を揺らす音だけが流れていた。
やがてローズが、小さく息を吐いた。
「そうか」
マリナが身を強張らせる。
だが、ローズは剣に手をかけなかった。
その口元には、笑みさえ浮かんでいた。
「実は、内通者がいること自体は疑っていた。」
「……え?」
マリナが顔を上げる。
「以前から、赤牙がこちらの意図を知っているかのような動きをしていた。移動したはずの物資が襲われ、見張りの薄い場所を避けて斥候が入ってくる。偶然では説明できん。」
「では、私だと……」
「そこまでは分からなかった」
ローズは首を振った。
「怪しい者、おかしな者を片端から疑えば、きりがない。証拠もなく仲間を縛り上げていれば、赤牙に襲われる前に北の灯火が壊れていた」
マリナは唇を噛んだ。
「遅かれ早かれ、ここが襲われることも分かっていた。」
ローズは周囲の子供たちを見渡した。
「だから抜け穴を掘り、集合場所を決め、備蓄を一か所に集めすぎないようにしていた。里は失ったが、人は残った。」
そして、マリナを見る。
「お前も、子供たちをここまで連れてきた。」
「でも、私は……」
「密偵だったとしても、仲間は仲間だ。」
ローズの声は静かだった。
マリナが目を伏せる。
「我々は、もともと行き場のない者の集まりだ」
ローズは泥のついた手で、額の汗を拭った。
「生きていれば、何度でも立ち上がれる。」
その目には、拠点を失ったばかりだというのに、一片の落胆もなかった。
「ローズ様……」
「それに」
ローズは苦笑した。
「私がロザリアたちを引き留めていたのも、赤牙の動きが活発になっていたからだ。こんな時に森へ出せば、何が起きるか分からなかった。」
「結果として、一番危険な場所に巻き込んだようだがな。」
「まったくだ」
ターケシが大刀と盾を地面へ下ろした。
「姉妹揃って、人を引き留めるやり方が強引なんだよ。」
「黙れ、奴隷商人容疑者」
「まだ容疑者なのか。」
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
その時。
「ここからが、大事です」
フィリアの声が響いた。
全員の視線が、エルフの少女へ向く。
フィリアはマリナを見つめた。
「あなたの正体が私たちに知られたことを、赤牙は知っていますか?」
「……いいえ」
「連絡の予定は?」
「襲撃の翌朝。里の状況を確認してから、森の南にある朽ちた祠へ印を残すことになっているわ。」
「直接会うのですか?」
「いいえ。木の根元に布を結ぶだけ。赤なら成功。白なら失敗。詳しい報告が必要なら、向こうから次の場所を指定してくる。」
フィリアは頷いた。
「北の灯火が逃げ延びたことは、まだ知られていませんね?」
マリナは少し考え、首を傾げた。
「今は、まだ。あれだけ火を放っていたもの。けれど、明るくなれば死体が少ないことに気づくはずよ。」
「全員が逃げたことまでは分からない。」
ローズが口を挟んだ。
「炎の中で死んだ者もいる。森へ散った者もいる。そう考えるはずだ。」
「はい。」
フィリアは微笑んだ。
「だからこそ、今しかありません。」
「何をするつもりだ?」
ターケシが尋ねる。
フィリアは、マリナへ一歩近づいた。
「赤い布を結んでください。」
マリナが息を呑む。
「襲撃の成功自体は、向こうも確認しています。」
フィリアは、燃える隠れ里の方角を振り返った。
「里を焼き、北の灯火を追い散らしたことも。」
「けれど、ローズさんの生死も、逃げた人数も、逃走先も分かっていない。」
「だから、詳しい報告を求めるはずです。」
マリナは黙って聞いている。
「その時に伝えてください。」
フィリアは静かに続けた。
「北の灯火は壊滅。」
「ローズさんは重傷。」
「生き残った者たちは、子供と負傷者を連れて、隠れ里の西へ逃げた、と。」
「嘘の報告を流すのか。」
「ええ。」
フィリアは頷いた。
「追撃部隊を、こちらが選んだ方向へ誘い出します。」
そして、ロザリアへ視線を移した。
「ロザリアさん。辺境伯の捜索隊と接触できますか?」
ロザリアは一瞬だけ目を見開いた。
だが、すぐにその意味を理解した。
「できますわ。」
その声には、ハリントン家の娘としての強さが戻っていた。
「辺境伯閣下は、私たちが消息を絶ったことを知れば、必ず捜索隊を出しているはずです。」
「辺境伯領へ向かえば、接触できます。」
ローズが目を細めた。
「偽の逃走先を追わせ、拠点の兵を引きずり出す。」
「はい」
「その間に、辺境伯軍と合流して、手薄になった赤牙の拠点を急襲する。」
「はい」
ローズの口元に笑みが浮かんだ。
「拠点を潰した後は、返す刀で追撃部隊を討つ。」
「そのつもりです。」
ターケシが大刀を担ぎ直す。
「逃げ場ごと潰すわけか。」
「ええ」
フィリアは微笑んだ。
「赤牙は、今夜の勝利で油断しています。」
夜空の向こうで、隠れ里の炎が赤く揺れていた。
「自分たちが狩る側だと、信じている」
そして再び、マリナを見る。
「しばらくは、そう思わせておきましょう。」
エルフの少女のいたずら気な笑みが、月夜に浮かんだ。
「援軍を得て、逆襲します。」




