反撃 前編
ローズは全員を見渡した。
「繰り返す。」
「私たちは子供たちと南へ向かう。」
「戦える者は西の偽装拠点。」
「ロザリアは辺境伯領へ。」
「ターケシ、フィリア。赤牙を見失わないでくれ。」
「マリナ。予定どおり。」
誰も異論は口にしなかった。
「それぞれ、自分の役目を果たせ。」
「以上だ。」
ローズは静かに息を吐く。
「これは、姉として。」
そう言って、ロザリアをまっすぐ見つめた。
「……必ず、また生きて会おう。」
「約束よ。」
ロザリアは小さく頷く。
「はい、お姉様。」
その一言は、指揮官の命令ではない。
離ればなれになる姉妹が交わした、小さな約束だった。
◇
夜の森は静かだった。
しかし、その静けさの中で、北の灯火は三つに分かれて動き始めていた。
西へ向かった者たちは、夜のうちに目的地へ辿り着いた。
そこは以前から用意されていた偽装拠点。
森を切り開いた小さな空き地に、数張りの天幕が建てられる。
「急げ。」
男たちは慣れた手つきで杭を打ち込み、荷を降ろしていく。
やがて焚き火にも火が入った。
乾いた薪だけではない。
湿った枝葉も放り込み、白い煙をゆっくりと空へ昇らせる。
鍋を吊るし、水を沸かす。
食事を作る必要はない。
匂いだけで十分だった。
周囲には荷車の轍。
何十人もの足跡。
折られた枝。
踏み固められた地面。
隠そうとはしない。
いや、あえて残す。
戦場では、情報も武器になる。
敵に何を見せ、何を信じ込ませるか。
それだけで戦況は変わる。
◇
ローズは子供たちの先頭を歩いていた。
誰一人、松明は持たない。
灯りは月だけ。
泣き出しそうになる子供の口を母親がそっと押さえる。
老人を若者が支え、負傷者を交代で背負う。
誰も話さない。
ただ、足音だけが静かに続いていく。
ローズは何度も後ろを振り返った。
追手はいない。
それでも足は止めない。
逃げる者に必要なのは、速さではない。
見つからないことだ。
枝を折らない。
余計な火は焚かない。
川沿いを歩き、足跡を途切れさせる。
疲れても、その場へ座り込まない。
森の歩き方一つで、生き残れるかどうかは変わる。
ローズはそのことを、何度も血で学んできた。
◇
一方、その頃。
さらに北の森では。
ターケシとフィリアは森を進んでいた。
いや。
進んでいるように見えて、その実、一歩一歩を確かめるように歩いていた。
ターケシがしゃがみ込む。
足跡へ静かに指を添えた。
「新しい。」
土はまだ湿っている。
「二十……いや、三十以上。」
フィリアが樹上から囁いた。
「右前方。」
「斥候が二人。」
ターケシは頷くだけだった。
戦わない。
見つからない。
それが今の任務だ。
追跡とは、敵を追うことではない。
敵に、自分を見つけさせないことだ。
ターケシは風向きを確かめる。
かすかに煙の匂いが流れてきた。
西だ。
「始まったか。」
陽動部隊が煙を上げた。
わざと残した焚き火。
わざと残した足跡。
わざと残した生活の痕跡。
敵に誤った情報を与えることも、立派な戦術である。
赤牙の視線は、間もなく西へ向く。
その間にローズたちは南へ離れ、ロザリアは辺境伯領へ走る。
ターケシは静かに立ち上がった。
「行くぞ。」
フィリアは音もなく枝から枝へ飛び移る。
夜の森には赤牙がいる。
だが、そのさらに後ろ。
二つの影が、音もなく赤牙を追っていた。
誰一人、その存在には気づいていない。
反撃は、もう始まっていた。




