違和感と赤い牙
北の灯火での生活は、穏やかなものだった。
朝は子供たちの笑い声で始まる。
洞窟を利用した食堂では、大鍋で煮込まれたスープの匂いが漂い、見張りを終えた者たちが眠そうな顔で席につく。
「ターケシ!今日は薪割り勝負だ!」
男の子がターケシに絡む。
「昨日もやっただろ。」
「今日は負けないぞ!」
「昨日もそう言ってた。」
子供たちに囲まれながら、ターケシは苦笑する。
その隣では、シフォンがマリナと一緒に朝食の準備をしていた。
「ご主人様、今日はパンが上手に焼けたんですよ!」
「ほう。」
「マリナさんに教えてもらいました!」
「シフォンちゃんは覚えるのが早いのよ。」
マリナは柔らかく微笑む。
まるで、本当の母親か姉のようだった。
ロザリアはローズと並んで座り、北部の話に耳を傾けている。
フィリアは少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
「……。」
「どうした?」
いつの間にか隣に来ていたターケシが、小声で尋ねる。
「いえ。」
フィリアは視線をマリナへ向けたまま答えた。
「少し気になるだけです。」
「マリナさんがか?」
「ええ。」
「いい人じゃないか。」
「ええ。」
フィリアは否定しなかった。
「だから、気になるんです。」
「?」
ターケシは首を傾げる。
「彼女、周囲を確認する癖があります。」
「癖?」
「入口。窓。退路。」
「誰かが部屋へ入るたび、一瞬だけ視線を向ける。」
「こんな世相だ。警戒してるだけじゃないのか?」
「ええ。普通なら。」
フィリアは小さく目を細めた。
「でも、彼女は確認が早すぎる。」
「それに、子供たちを歩かせる位置も不自然です。」
「不自然?」
「常に自分が通路側か、広い方。」
「誰かが襲ってきたら、最初に自分が対応できる位置です。」
「それも普通だと思うぞ。」
元の世界の保育園のお散歩を思い出す。
とはいえ、ターケシはしばらく考えた。
「元冒険者とか?」
「かもしれません。」
フィリアはそれ以上言わなかった。
だが、その横顔は珍しく険しかった。
◇
翌日。
ターケシは薪を背負って隠れ里へ戻ってきた。
「ご主人様。」
シフォンが鼻をふんふんと鳴らした。
「どうした?」
「少しだけ、変な匂いがします。」
「変な匂い?」
「獣、です。」
ご主人様の匂いですと言われたら立ち直れなかったかもしれない。そんなことを思いながら、
「…森だからな。」
「それはそうなんですけど……。」
灰色の耳が不安そうに揺れる。
「何日か前から、時々するんです。」
「たぶん犬です。」
「犬?」
ほう…とターケシは感心する。そこまでわかるのか。
冒険者としてのシフォンの成長は著しいようだ。
「北の灯火でも飼ってるんじゃないのか?」
「いいえ。」
ローズが首を振った。
「北の森で犬は使わないわ。魔物を刺激するもの。」
「じゃあ、野犬とか。狼とか。」
「うーんどうでしょう。」
シフォンは首を傾げてしまう。
◇
夜。
焚き火を見つめながら、ターケシがフィリアに尋ねる。
「そろそろ出発するか。」
「…そうね、長居しすぎたかもね。…というか、容疑は晴れたの?」
「当たり前だろ。」
「いいえ!まだだ!」
ローズが背後で仁王立ちしていた。
「…おい。」
「何を当たり前のように立ち去ろうとしているのだ奴隷商人!」
「決闘でお前に勝ったぞ?」
「それで疑惑は薄まったが晴れたわけではなーい!」
ターケシはため息をつく。
「しつこいなぁ。あまり絡み過ぎると、ロザリアに嫌われるぞ。」
「…!!……!?……??」
「そんなことはない!!ない!?…ないよな??って表情で語るな。器用なヤツだな…。」
「うぅ…ロザリアに嫌われたら生きていけない…」
そんなローズを見て、ロザリアは呆れる。
「姉様…いい加減にしてくださいまし…。」
「私達は、エルフ王国へ行かねばなりません。」
「私達が行かなければ、辺境伯が探しにきます。…いえ、もう探しているかもしれません。」
「…そう、だろうな。」
「辺境伯が動けば対抗するために王都も動きます。」
ターケシも頷く。
「事故のような衝突が起これば、誰より北部にとって不利益だ。」
「…わかってる。わかっているんだ。」
ローズは観念したように目をつぶる。
「だが、私としてもおふざけや名残惜しさで君たちを引き留めていた訳では無い。」
「「違うのか!?」ですの!?」
「当たり前だ!」
ローズは珍しく真面目な顔で続ける。
「ここ最近、森の様子がおかしい。」
「見張りからも報告が上がっている。」
「獣の鳴き声。」
「何者かの足跡。」
「そして――」
シフォンがぴくりと耳を動かした。
「……またです。」
「ん?」
「犬の匂い。」
場の空気が僅かに変わる。
フィリアがゆっくりと顔を上げた。
「どこから?」
「北西。」
「昨日より近いです。」
その瞬間だった。
遠くで、犬の遠吠えが響く。
「ワォォォォォ――――ン。」
静寂。
一度。
そして、少し間を置いて二度。
「ワォォォォォ――――ン。」
フィリアの表情が変わった。
「まさか。」
三度目。
「ワォォォォォ――――ン。」
カンカンカンッ!!
突如、見張り台から警鐘が鳴り響いた。
「敵襲ッ!!」
「北西だ!!」
「森から敵が来るぞ!!」
焚き火を囲んでいた者たちが一斉に立ち上がる。
「子供たちを中へ!」
「武器を持て!!」
「見張りがやられた!!」
ローズが剣を抜く。
「数は!?」
「わからん!だが多い!!」
フィリアが低く呟いた。
「追跡犬……。」
「何?」
「赤牙が使う。」
「人の匂いを追うための犬よ。」
ターケシの目が細まる。
「つまり。」
「ええ。」
フィリアは静かに言った。
「最初から、この里が狙われていた。」
その時だった。
マリナが子供たちを背に庇うように立つ。
「みんな、洞窟の奥へ!走って!」
迷いのない声。
迷いのない立ち位置。
フィリアは、その横顔を見る。
「……お前。」
マリナは振り返らない。
「今は、子供たちを。」
次の瞬間。
森の闇の向こうから、火矢が夜空を切り裂く。
赤い獣が、ついに牙を剥いた。




