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奴隷市場から始まる異世界冒険譚―第二部エルフ王国編  作者: たーけし
北の灯火

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赤い獣の牙と夏の一日

ローズが机の上に地図を広げ、ターケシたちを呼ぶ。

「話せば長くなるけれど。」

ローズは北部の地図へ視線を落とした。

「あなたたちは、赤牙を盗賊団だと思っている?」

「違うのか?」

「違うわ。厳密にはね。」

ローズは静かに首を振る。

「赤牙は、奴隷売買を中心に成り立つ半軍事組織よ。」

そう言って、彼女は地図の上に置かれた赤く染められた獣牙を指先で弾いた。

「正式名称は『赤い獣の牙』。」

「北部では、子供を泣き止ませる時に使われるくらい有名な名前よ。」

「『早く寝ないと赤牙が来る』ってね。」

赤牙。

荒野と街道を股にかける悪名高き奴隷売買組織。

人攫い、密輸、闇闘技、奴隷売買を主な資金源とし、特に獣人奴隷を専門に扱うことで知られている。

団員は赤く染めた獣牙を首から提げ、それを仲間の証とする。

「血で染まった牙」「飢えた獣」「噛みついた獲物を離さない執念」。

それが、赤牙という名の由来だった。

彼らは単なる盗賊ではない。

情報屋。 奴隷商。 闇医者。 傭兵崩れ。 腐敗した役人。

あらゆる人間が金で結びつき、一つの巨大な流通網を形成している。

村を焼く者がいる。

奴隷を運ぶ者がいる。

偽の身分証を書く者がいる。

奴隷市へ並べる者がいる。

闘技場へ売る者がいる。

その全てが繋がっていた。

赤牙が恐れられているのは、強いからではない。

各国の内部の権力者と結託し誰も本気では手を出せないからだ。

実働部隊も存在する。

奴隷狩りを担う「牙狩」。

奴隷を輸送する「鉄檻」。

元傭兵を中心とした「戦団」。

追跡と暗殺を行う「猟犬」。

壊れた奴隷を武装させた「闘奴」。

そして総頭直属の親衛隊、「血騎」。

頂点に立つ男、《赤眼のヴァルグ》。

隻眼の元傭兵隊長。

「人も獣も物も、値が付くなら同じ」と嘯く。

「四年前、ハリントン領が混乱した隙に、北部では二十以上の村が消えた。」

「その全てに、赤牙が関わっているわ。」

「王国も討伐隊を出している。でも無駄。」

「一つ潰せば、別の場所に現れる。」

「奴らは軍隊じゃない。」

「領地を守る必要も、国境を越える許可もいらない。」

シフォンが、声の震えを抑えて尋ねる。

「私の村も。」

「ええ。」

ローズは静かに頷いた。

「グラエヴァルを襲ったのも牙狩よ。」

「逃げた人たちは猟犬に追われ、捕まった者は鉄檻に積まれた。」

シフォンの耳が伏せられる。

「……はい。」

ターケシが手を挙げる。

「なるほど。」

全員の視線が集まる。

「つまり、末端は多様。元を辿れば頭に行き着く。」

「そうね。」

「なら話は簡単だ。」

ターケシは腕を組んだ。

「片っ端から潰していけば、そのうち総元締めに当たる。」

ローズは一瞬呆けて、それから吹き出した。

「ふふっ。」

「あなた、本当にそういう人なのね。」

「だから、あの子たちがついていくのかも。」

◇

「シフォンお姉ちゃん!」

朝食を終えた頃だった。

灰色の耳をぴくりと動かしたシフォンのもとへ、子供たちが駆け寄ってくる。

「今日は暑いから、みんなで泉に行くんだ!」

「お姉ちゃんも来て!」

「プールだよ、プール!」

「ぷーる?」

聞き慣れない言葉に、シフォンが首を傾げた。

「ほら、里の外れの泉だよ!」

「ああ。」

思わず笑みがこぼれる。

北部は涼しい土地だが、夏ともなれば日差しは強い。特に今日は雲ひとつない快晴だった。

「ご主人様も行きますか?」

シフォンが振り返ると、ターケシは薪を抱えたまま首を横に振った。

「悪いな。俺はローズに捕まってる。」

見ると、ローズが腕を組んで立っていた。

「井戸の修理、柵の補強、倉庫の整理。英雄殿は大忙しよ。」

「俺、容疑者じゃなかったか?」

「働かざる者食うべからず。」

「理不尽だ。」

「というわけで、今日は三人で頼むわ。」

「分かりました!」

シフォンが元気よく返事をする。

「私も参りますわ。」

「私も。久しぶりに故郷の水浴びを楽しませてもらうわ。」

こうして。

シフォン、ロザリア、フィリアは、十人ほどの子供たちを引き連れて泉へ向かうことになった。

◇

森を十分ほど歩く。

木々が開けた先に、陽光を受けてきらきらと輝く泉があった。

「わぁ……。」

シフォンが目を輝かせる。

透き通る水。

膝ほどの浅瀬。

岩場から流れ込む小さな滝。

子供たちは待ちきれない様子で駆け出した。

「冷たーい!」

「競争だー!」

「こら!走ると転びますわ!」

パシャーン

ロザリアの注意も虚しく、一人が派手に転んで頭から水を被る。

だが、泣くどころか大笑いだった。

「ロザリアお姉ちゃんも!」

「えっ、わ、私は――」

「ほらほら!」

子供たちに手を引かれ、ロザリアも浅瀬へ。

ぱしゃ。

冷たい水が足を濡らす。

「ひゃっ!?」

珍しく年相応の声を上げると、周囲から笑い声が上がった。

「ロザリアお姉ちゃん、変な声ー!」

「へ、変な声ではありませんわ!」

「顔真っ赤ー!」

「なっ……!」

「ふふ。」

木陰で足を水に浸していたフィリアが、小さく笑った。

「楽しそうね。」

「フィリアさんも入りましょう!」

「替えの服もないし、私は見ているだけで――」

ばしゃんっ。

「……。」

シフォンが桶で掬った水を、思い切りかけた。

「ふふふ。」

「シフォン?」

「たまには、いいじゃないですか。」

「……そうね。」

フィリアも静かに桶を取る。

「え?」

ばしゃっ。

「きゃっ!?」

今度はロザリアが頭から水を被る。

「な、何をなさいますの!?」

「仕返しよ。」

「私は何もしてませんわ!」

「連帯責任。」

「そんな理不尽な!」

子供たちは大爆笑だった。

「ロザリアお姉ちゃん、弱いー!」

「水魔法使えるのにー!」

「こ、こうなったら!」

ロザリアも反撃に出る。

ぱしゃっ。

ぱしゃぱしゃっ。

いつの間にか、泉は小さな戦場になっていた。

子供たちの笑い声。

水の跳ねる音。

夏の風。

シフォンは、びしょ濡れになったまま空を見上げる。

青かった。

どこまでも。

ふと、胸の奥が温かくなる。

八歳で故郷を失ってから。

こんなふうに、何も考えずに笑った日はあっただろうか。

「シフォンお姉ちゃん!」

「はい!」

「もっと遊ぼ!」

「はい!」

灰色の尻尾が、ぶんぶんと左右に揺れる。

それを見たロザリアが、ふっと目を細めた。

「本当に、子供たちに好かれていますのね。」

「そうね。」

フィリアが答える。

「……きっと、自分が奪われたものを知っているからでしょうね。」

ロザリアは何も言わなかった。

自分もまた、失った側の人間だったから。

だからこそ、願ってしまう。

せめて、この子たちだけは。

こんな穏やかな日々を失わないでほしい、と。

遠くから、かすかに男の声が聞こえた。

「おーい!昼飯だぞー!」

振り返る。

泉の入り口で、大きな背負い籠を下ろすターケシの姿があった。

「ご主人様!」

「結局来たのですね。」

「井戸の修理が終わった。」

「英雄殿、ご苦労様。」

「誰のせいだと思ってる。」

子供たちが一斉に駆け寄る。

「おじちゃーん!」

「腹減ったー!」

「今日は焼きたてのパンと川魚だ!」

「あと、マリナが山羊の乳を冷やしてくれたぞ。」

「やったー!」

歓声が上がる。

ターケシは苦笑しながら頭を掻いた。

「ったく。」

見渡す。

びしょ濡れの子供たち。

笑っているシフォン。

濡れた金髪を肩に張りつかせたロザリア。

珍しく穏やかな顔をしたフィリア。

楽しそうだな。

「ご主人様! 私、お魚を配ります!」

「頼む。俺はパンを切る。」

「おじちゃん、ミルクもー!」

「はいはい、ちょっと待ってくれ……。」

こういう忙しさは悪くない。

そう思った。

戦いも、旅も、復讐も。

きっと、その先にあるべきものは、こういう日なのだろう。

ふと思う。

――この子たちが、「赤牙」という名前を冗談のように笑って話せる日が来ればいい。

北部の短い夏は、まだ始まったばかりだった。

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