隠れ里の夜
夕暮れ。
森の隠れ里にも、静かな夜が訪れていた。
洞窟を利用して作られた食堂には、暖かな明かりが灯っている。木製の長机の上には、湯気の立つシチュー、焼きたての黒パン、木の実のサラダ、燻製肉が並んでいた。
「すごい……。」
シフォンは思わず目を輝かせる。
「いっぱいあります!」
「ふふ。たくさん食べてね。」
給仕をしていたのは、昼間にシフォンを抱きしめた茶色い垂れ耳の獣人女性だった。年は三十前後だろうか。柔らかな笑みを浮かべている。
「ありがとう、マリナお姉さん!」
「お姉さん……。」
女性は嬉しそうに耳を揺らした。
ロザリアは静かに周囲を見渡した。
食堂には他にも何人かの住人がいる。
片腕を失った男。
目に傷のある老人。
小さな獣人の子供。
誰もが粗末な服を着ていたが、その表情は不思議と穏やかだった。
やがて。
「待たせたな。」
ローズが姿を見せた。
「姉様。」
「ロザリア!」
再び抱きつかれそうになり、ロザリアは慌てて手で制して体を引く。
「ま、まずはお話を!」
「む、そうだったな。」
ローズは咳払いを一つして席に着いた。
「改めて自己紹介しよう。私はローズ・フォン・ハリントン。」
「知ってます。」
「そうだった。」
「私も自己紹介するわね。私はマリナ。」
「ここで、子供たちの世話をしているの。」
「シフォンちゃんのお母さんくらいの年かしら。」
「お母さん!?」
「嫌だった?」
「いえ!でも、お母さんってよく分からなくて……。」
「……。」
「あ。」
少しだけ気まずい沈黙が流れる。
シフォンはちょっと俯いて、両手で持った黒パンをかじる。
「それで、姉様。」
ロザリアが真剣な表情になる。
「ここは何なのですか?」
ローズの表情も引き締まった。
「私たちは『北の灯火』。」
「北の灯火……。」
「王国に見捨てられた者たちの集まりだ。」
ローズは静かに続ける。
「赤牙に家族を奪われた者。」
「奴隷として売られた者。」
「貴族の争いに巻き込まれた者。」
「故郷を焼かれた者。」
「そういう者たちが集まり、互いを守って生きている。」
シフォンの耳がぴくりと動いた。
「じゃあ、みんな仲間なんですね!」
「ああ。」
「いいところですね!」
「そう言ってくれると嬉しいよ。」
ローズは少しだけ目を細める。
「私は四年前、ハリントン家が没落した後に北部へ戻った。」
「戻った?」
「北部では、赤牙の被害が想像以上に広がっていた。」
ローズは拳を握った。
「村が消え、人が消え、子供が消える。」
「王国は知っていても動かない。」
「だから、自分たちで守るしかなかった。」
食堂が静まり返る。
ロザリアは俯いた。
「……姉様は、一人で戦っていたのですね。」
「違う。」
ローズは首を振った。
「私は一人ではない。」
そう言って周囲を見渡す。
「ここにいる全員が家族だ。」
片腕の男が照れくさそうに頭を掻く。
子供たちが笑う。
マリナも優しく頷いた。
「そして今日。」
ローズの視線がシフォンへ向く。
「灰狼族の生き残りが帰ってきた。」
「え?」
「グラエヴァルは、北部の誇りだった。」
「獣人も、人間も、皆がお前たちの村を知っている。」
シフォンは持っていたパンを落としそうになった。
「わ、私の村って、そんなに有名だったんですか!?」
「知らなかったのか?」
「知らなかったです!」
「そうか……。」
ローズは少しだけ寂しそうに笑った。
「立派な村だった。」
「子供たちの笑い声が絶えない、良い村だった。」
シフォンは何も言えなかった。
ただ、鼻をふんふんと鳴らす。
知らなかった。
自分の故郷を知る人が、こんなにもいたなんて。
「だから。」
ローズは優しく言った。
「今日からここがお前の家だ。」
「……。」
「シフォンちゃん。」
「はい?」
「あなた、笑うとお母さんによく似てるわ。」
「え?」
「昔、グラエヴァルの近くに住んでいて、何度も行ったことがあるの。」
「本当に、よく似てる。」
「……。」
「ロザリアもだ。」
「姉様。」
「もう、どこへも行かなくていい。」
その言葉に、ロザリアは目を伏せた。
嬉しかった。
だが。
「申し訳ありません。」
ロザリアは静かに頭を下げる。
「私は、まだ旅を続けたいのです。」
「ロザリア?」
「ハリントン家のこと。」
「赤牙のこと。」
「そして……守りたい人たちがいます。」
ローズは何も言わなかった。
代わりに、ゆっくりと笑った。
「そうか。」
「はい。」
「大人になったんだな。」
ロザリアの目から、一筋の涙が零れた。
その時だった。
「ご主人様も一緒じゃ駄目ですか?」
食堂が静まり返った。
ローズが固まる。
マリナが固まる。
ロザリアが顔を覆う。
「シフォン。」
「はい?」
「その男のことは忘れなさい。」
「何でですか!?」
「奴隷商人だからだ!」
「違いますよ!?」
「洗脳されている!」
「違いますって!」
「重い荷物を持たされていたんだろう!?」
「持ってました!」
「ほら見ろ!」
「でもご主人様も持ってました!」
「何!?」
「水汲みもしました!」
「やっぱり!」
「ご主人様もしてました!」
「…そんな主人がいても別におかしくはない。」
ローズは頑なだった。
ロザリアは深いため息をつく。
「姉様。」
「何だ。」
「まずは、事情説明から始めましょう。」
「……そうだな。」
そしてその頃。
隠れ里の地下では。
「くしゅん。」
「風邪?」
「いや、誰かがおれの悪口を言った気がする。」
「それなら四六時中くしゃみしてないとおかしいわ。」
「…お前、言うようになったな。」
牢の中で、フィリアの小さな笑い声が、少し響いた。




