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【別冊】『レストラン船ブルートーンへようこそ』  作者: マサ


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7/16

第27話:『女王の愛した午後(ティータイム)』

いつも『ホテル・ブルートーン』を応援していただき、本当にありがとうございます!


前回、ラジオDJのリサさんによる魂の生中継で、関西中にその名が轟いた『ブルートーン号』。

今回お届けする第27話は、太陽の光が水面にキラキラと反射する、

穏やかな「ティータイムクルーズ(アフタヌーンクルーズ)」が舞台です。


主役は、ロンドン帰りの若き天才パティシエ・成人。

そんな彼のもとにやってくるのは、イギリス大使館で30年務め上げ、

今月退官を迎えるという、英国文化の真髄を知り尽くした参事官の大沢様。


「日本に、本物のアフタヌーンティーなどあるはずがない」


そんな懐疑的な一流の審美眼を持つお客様を、成人とブルートーンのメンバーはどう迎え撃つのか。

静かなプライドと伝統が交錯する、甘くも凛とした物語の幕開けです。

どうぞ、最高級のダージリンを淹れる準備をしてお楽しみください!

イギリス大使館の一室。窓の外には、都心の喧騒を忘れさせるような、

手入れの行き届いた英国式の庭園が広がっていた。


今月末で30年に及ぶ外交官生活に終止符を打つ参事官、大沢は、執務室を訪れた特別な賓客

――英国の殿下の前に、静かに控えていた。

殿下は柔和な微笑みを浮かべ、長年、日英の架け橋として尽力した老外交官を労うように問いかけた。


「大沢、長い間本当にご苦労だった。退官の後は、どう過ごすつもりかな?」


大沢は少しだけ目元を緩め、穏やかに答えた。

「ありがとうございます、殿下。まずはしばらく、慌ただしい日々から離れ、

私の愛してやまない最高の紅茶とスイーツを楽しみながら、

静かにゆっくりと過ごしたいと思っております」


「そうか、それはいい。……ならば、面白い話を聞いた。先日のラジオ放送で、

神戸のリサというDJが、ある船のことを話していたよ。日本にいながらにして、

本物中の本物――それこそロンドンの最高級ホテルをも凌ぐ

『英国式アフタヌーンティー』を供する船がある、とな」


大沢は驚きに眉を上げた。殿下がわざわざ口にするほどの場所。

しかし、大沢の心の中にあったのは、長年の経験からくる冷ややかな疑念だった。


(日本に、本物のアフタヌーンティーだと……?)


大沢はロンドンでの生活が長く、サヴォイやリッツ、クラリッジスといった名だたる

名門のアフタヌーンティーを数え切れないほど経験してきた。

本物のスコーンの食感、クロテッドクリームの鮮度、そして茶葉の開き具合。

それらは、付け焼き刃の技術で真似できるものではない。


(殿下のお勧めとはいえ、おそらくはラジオ向けの過剰な演出だろう。

日本のレストラン船ごときで、英国の伝統が再現できるはずなどないのだ)


大沢は丁寧に殿下へ礼を述べながらも、内心では「一度足を運んで、

その化けの皮を剥いでやろう」という、外交官らしい冷徹な興味を抱いていた。

◇

数日後の昼下がり。

神戸の港に停泊する『ブルートーン号』のタラップの前に、

仕立ての良いスーツを纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばした大沢の姿があった。


昼の光を浴びて輝く純白の船体は、確かに美しい。しかし、大沢の目は厳しい。

「……さて、拝見させてもらおうか。君たちが掲げる『本物』とやらの正体を」


大沢がタラップを登り始めると、そこにはいつものように、完璧な笑顔のチャンと、

真っ白な制服を着こなした村田船長が待ち構えていた。


「ようこそ、ブルートーン号へ。大沢参事官、お待ちしておりました。

午後の海は、お茶を楽しむには最高のコンディションです」

村田船長の落ち着いた声に、大沢は短く「期待させてもらうよ」とだけ答え、

船内へと足を踏み入れた。


案内されたメインダイニングは、夜の重厚な雰囲気とは一変し、

大きな窓から差し込む太陽の光が、磨き上げられた銀器やティーカップに反射して、

宝石箱のような輝きを放っていた。


席に着いた大沢は、テーブルの上に置かれた一冊のティーメニューを手に取った。

そこには、ただ茶葉の名が並んでいるのではない。

それぞれの茶葉に最適な抽出時間、そしてそれに合わせるべきスイーツの哲学が、

洗練された言葉で綴られていた。


「……ほう」

大沢の口から、無意識に小さな声が漏れた。

そこに漂う空気は、彼がかつて愛したロンドンの名門ホテルと同じ、

いや、それ以上に「誠実な誇り」に満ちたものだったからだ。


インカムを通じて、厨房のパティシエ・成人にチャンの声が届く。

「成人さん、ターゲットが着席されました。

本物の英国を知り尽くした、大使館の参事官・大沢様です。

……お手並み拝見、と言わんばかりの厳しい目つきですよ」


成人は真っ白なコックコートの襟を正し、目の前に並ぶ、

焼き上がったばかりのスコーンを見つめた。

「……受けて立つよ、チャン。僕がロンドンで学んだのは、

レシピじゃない。お客様の心を震わせる『魂の温度』だ」


成人の瞳に、静かな職人の炎が灯る。

いま、一人の外交官の偏見を打ち砕くための、

世界一エレガントな「午後の戦い」が始まろうとしていた。


『ゴォォォォォンンンンン…………』


静寂な昼下がりのダイニングに、佐々木支配人が打ち鳴らす重厚な銅鑼の音が響き渡った。

それを合図に、純白の船体はゆっくりと、滑るように岸壁を離れ、

太陽の光でキラキラと輝く神戸の海へと滑り出した。


窓の外に広がる波しぶきを見つめる大沢の前に、一人の青年が静かに歩み寄った。

フロントクラークのチャンだ。

いつもなら満面の笑顔で船内を駆け回る彼女が、今はまるで、

バッキンガム宮殿の晩餐会を仕切るトップサーヴァントのような、

凛とした気品をまとって一礼した。


「大沢様。まずは、お茶の準備から始めさせていただきます」


大沢はふっと目を細めた。

チャンが手にした特製の銀製ティーポット、そして茶葉を扱う手元。

その一挙手一投足を見た瞬間、大沢の背筋がわずかに伸びた。


(……素晴らしい。無駄が一切ない。あの所作は……まさか、ロンドンの『ビクトリア』か?)


大沢の直感は正しかった。チャンはロンドン滞在中、女王陛下もお気に入りだった

名店パティスリー『ビクトリア』で、本場の一流の紅茶の扱いを徹底的に叩き込まれていたのだ。

温められた陶器の温度、茶葉がポットの中で美しく踊る(ジャンピング)完璧なタイミング、

そして一滴の無駄もない蒸し具合。

チャンが静かに注いだダージリン・セカンドフラッシュは、

完璧な琥珀色の輝きを放ち、ダイニング全体に高貴なマスカテルフレーバーの香りを広げた。


大沢が一口すする。

「……っ! 完璧だ。お湯の温度、抽出時間……どれをとっても、

ロンドンの最高級ホテルで供されるものと全く遜色がない」


大沢の冷徹だった目が、驚きでわずかに見開かれた。

しかし、ブルートーン号の「本気の魔法」は、ここからが本番だった。

◇

「失礼いたします、ムッシュー。焼き立てでございます」

バロンが完璧なエレガンスで、テーブルの中央に、

磨き上げられた3段のティースタンドを滑り込ませた。


その中段に鎮座していたのは、信じられないほど美しく、

中央が「狼の口(ウルフズ・マウス)」と呼ばれる綺麗な亀裂に沿って

ふっくらと焼き上がった、琥珀色のプレーンスコーンだった。


大沢は息を呑んだ。

「このスコーンの焼き上がりは……いや、まさか、そんなはずは……」


震える手でスコーンを手に取り、ナイフを使わずに手で半分に割る。

外側はサクッと心地よい音を立て、内側はしっとりと、

まるで上質なシルクのような湯気を立ち上らせた。

大沢はそれを口に運んだ瞬間、あまりの衝撃に言葉を失った。


脳裏に蘇ったのは、かつてロンドンで経験した、あの伝説の菓子職人アーサーの味。

そして、英国皇太子妃の個人秘書であるあのジーンが、

「これこそが我が国の至宝」と大絶賛した、あのロイヤル・クオリティそのものだったからだ。


「……美味い。美味すぎる……! 伝統的なレシピをただ模倣しただけでは、

この『軽さ』と『コク』の両立は絶対に不可能です。一体、誰がこれを……!」


思わず声を荒らげる大沢の前に、一人の若き職人が静かに現れた。

「お口に合いましたでしょうか、大沢様。パティシエの成人です」


成人は優しく微笑みながら、大沢の目を見つめた。

「私はロンドンで、アーサー達からお菓子の技術だけでなく、

それを食べるお客様への『敬意』を学びました。

大沢様が30年間、国のために戦ってこられたそのお身体を、

心の底から癒やせるように……魂を込めて焼き上げました」


大沢の胸が、熱い感動で激しく震えた。

目の前の青年は、ただの「日本のパティシエ」ではない。

英国の魂を正当に受け継ぎ、さらにそれを昇華させた、本物の天才だったのだ。

◇

さらに、ティースタンドの最下段に並べられたセイボリー(塩味の軽食)

に手を伸ばした大沢は、再び驚愕することとなった。


そこに並んでいたのは、お馴染みのキュウリのサンドイッチ……だけではなかった。

淡路島産のタコとハーブを合わせた極上のキッシュ。

そして、神戸牛のローストビーフに、ほんの少しの和風の隠し味を加えた贅沢なオープンサンド。


「おやおや、お菓子だけじゃ、男の胃袋は満足しねぇだろ?」

厨房の奥から、腕を組んだ亮太シェフが不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。

成人のエレガントなスイーツを最大限に引き立てるため、裏で亮太が手を貸し、

地元の新鮮な食材をふんだんに使用した、最高峰のセイボリーを仕込んでいたのだ。


大沢は、ローストビーフのサンドイッチを口に含み、ゆっくりと咀嚼した。

肉の旨味と、それを引き立てる繊細な出汁の香りが、

完璧な紅茶と見事に調和(マリアージュ)していく。


大沢が長年、ロンドンの一流店で経験してきたアフタヌーンティー。

それらと比べても、目の前の一皿は全く引けを取らない。

いや……地元の新鮮な素材の強みと、クルーたちの圧倒的な連携によって、

それらすべてを遥かに『凌駕』していた。


「……負けました。日本に、本物などあるはずがないと侮っていた自分を、恥じるばかりです」


大沢がため息のようにおもてなしへの脱帽を口にした、その時だった。


「大沢様。午後のひとときの締めくくりに、こちらをお召し上がりください」


成人がそっとテーブルに置いたのは、磨き上げられたクリスタルの器。

その上で、まるでエーゲ海の深海、あるいはこのブルートーン号が往く美しい海

そのものを写し取ったかのような、神秘的な輝きを放つ、一粒の青いチョコレートだった。


大沢はその美しさに息を呑み、一粒を口へと運んだ。

なめらかに溶け出すカカオの芳醇な香りと共に、口いっぱいに広がったのは、

気品溢れるアールグレイの風味、そして官能的なまでの甘みと、

ほのかな塩味の完璧な調和(マリアージュ)だった。


「な……んだ、このチョコレートは……! 脳が震えるほどの完成度だ。

私はこれと同じ感動を、ロンドンにいた頃、王室の専属パティシエが

『東洋の天才から直々にレシピを授かった、奇跡の青いチョコだ』

と自慢げに出してきた一皿でしか、味わったことがない……」


そこまで言って、大沢はハッと目を見開いた。

目の前に立つ、実(まこと)に誠実で誇り高き目をした若いパティシエ――成人を見つめる。


「まさか……君が……。英国からの噂で聞いていた、

あのバッキンガム宮殿の料理人たちを震撼させたという、

伝説の日本人パティシエ……masatoなのか!?」


成人は少し照れくさそうに、しかし職人としての誇りを胸に、深く一礼した。

「はい。私がロンドンで、女王陛下のパティスリー、

そして王室の皆さまと共に作り上げたチョコレート

――『ブルートーン』でございます」


「おお……!!」

大沢は感動のあまり、椅子から立ち上がらんばかりに震えていた。

外交官として、本物の芸術とプロフェッショナルに敬意を払い続けてきた彼の魂が、

今、完全に打ち震えていた。


「素晴らしい……! まさか日本で、あの伝説の味に、そして君という本物の天才に出会えるとは!

成人くん、私がロンドンへ戻ったら、すぐに殿下へ直接お願いをしておこう。

――今後、君の作るこの『ブルートーン』は、【英国王室御用達】を名乗っても良い、とな!」


「えっ……!?」

あまりの想定外の大きすぎる賛辞に、成人は驚きで目を丸くした。

しかし、その横でトレイを持っていたチャンが、飛び上がるようにして大喜びした。


「わぁぁぁ!! すごいです、成人さん!! 英国御用達ですよ、御用達!!

チャン、もう嬉しくて涙が出ちゃいます!」

「ちょっと、チャン、落ち着いて……!」

慌てる成人と、弾けるような笑顔で歓喜するチャンの姿を見て、

大沢の口からは、この日一番の温かい破顔が零れ落ちた。

◇

その最高の瞬間に呼応するように、ダイニングのステージからは、昼下がりの海にぴったりな、

軽やかで最高にスウィートな「TEA TIME JAZZ」の演奏が始まった。

カイトのアルトサックス、ジョージのテナー、ベンのフルートが紡ぐ優しいアンサンブルが、

紅茶の湯気と溶け合うように、船内を優雅に満たしていく。


クルーズの終盤、船がゆっくりと港へ向けて回頭する頃。

大沢は、心地よい潮風が吹き抜ける最上層のAデッキのベンチに腰掛け、

きらめく海と、ジャズが流れる美しいブルートーン号の景色を、愛おしそうに眺めていた。

30年の張り詰めた外交官生活の疲れが、この数時間で、

すべて優しく溶けて消えていくような感覚だった。


「大沢様。午後の風はいかがですか」

静かに歩み寄ってきたのは、バーテンダーの須賀だった。手には、

お口直しの冷たいハーブティーが握られている。


「実(まこと)に素晴らしいよ、須賀さん。私は今日、人生で最も贅沢な午後を過ごさせてもらった」

大沢が微笑むと、須賀はグラスを差し出しながら、静かに、しかし熱い眼差しを大沢へと向けた。


「大沢様。もしよろしければ……あなたがその目で認め、感動してくださったこの

『ブルートーン号のアフタヌーンティー』の、世界へ向けた【最初の伝道師】に、

なってはいただけないでしょうか」


「おや、私にかい?」

大沢が驚いていると、後ろからクルーコートを着たサービスリーダーの慎太郎が、

スマートフォンを手に、ニカッと笑って現れた。

前回のラジオ放送の反響を見て、SNSの重要性を誰よりも理解した慎太郎のアクションは早かった。


「大沢様、これ、俺たちの船の公式Instagramのアカウントなんです!

大沢様が今日感じた本物の感動を、ぜひ退官後の最初の投稿として、

世界中へ発信してくれませんか? 大使館の参事官だった大沢様の言葉なら、

ロンドンにも、世界にも一発で届きます!」


大沢は、慎太郎が差し出した画面と、須賀の真摯な目、そして厨房やフロアで誇らしげに働く

若きクルーたちの姿を交互に見つめた。

そして、フッと嬉しそうに息を吐くと、自らのスマートフォンを取り出した。


「ふっ……『常にエンターテイナーであれ』、か。村田船長の規律は、

若い君たちにも完璧に息づいているようだね。……いいだろう、喜んで引き受けさせてもらうよ。

これからは外交官ではなく、この美しい船の『夢』を世界へ繋ぐ、一人の伝道師としてね」


大沢が手慣れた手つきでInstagramのフォローと登録を済ませると、

慎太郎と須賀はガシッと固い握手を交わした。


接岸に向けて、ゆっくりと速度を落としていくブルートーン号。

背後からは、カイトたちの奏でるビートルズのハッピーなメロディが、

午後の光が満ちる海へと、どこまでも優しく、どこまでもエレガントに響き渡っていた。


【第27話:女王の愛した午後(ティータイム) 完】

第27話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

前回のスピンオフで「恥ずかしくない自分になる」と誓った慎太郎が、

さっそく自ら進んでInstagramの登録を大沢さんに勧めて「伝道師」をスカウトするシーン。

彼がただのクルーではなく、船を盛り上げる「本物のエンターテイナー」に

成長した姿が描かれていてこの先が楽しみな展開です。


昼の穏やかな光の中で、格式を越えた最高の「夢」を世界へと繋いだブルートーン号。

さあ、英国王室御用達の看板と、最強の伝道師・大沢さんという強力な味方を得た次回の第28話。

一体どんな大航海、そして新しい展開が待っているのでしょうか。

お楽しみを。


野内(マサ)


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