第25話:『始まりの羅針盤』―― バロンと慎太郎の誓い
いつも『ホテル・ブルートーン』を応援していただき、本当にありがとうございます!
前回、小さな紳士ケンタくんとお父さんに未来の夢を贈ったブルートーン号。
今回は、物語の時間を少しだけ巻き戻し、亮太シェフやカイトたちが合流する前の、
『レストラン船ブルートーン号・誕生前夜』のスピンオフをお届けします!
まだ何もないガランとした船内で、焦りと不安を抱えていた慎太郎とバロン。
そこへやってきた、一人の豪快な老船長――村田。
彼が2人に放った「常にエンターテイナーであれ」という衝撃の言葉。
さらに、2人が夜の操舵室で目にした、浅川が世界へ配信した
「ホテル・ブルートーンの謝恩晩餐会」の動画。
若き2人のサービスマンが、伝説のチームに憧れ、いつか自分たちもあの領域へ行くと誓い合った、
熱い決意の物語です。どうぞお楽しみください!
それは、まだ亮太やカイト、チャンたちが日本に帰国する前の物語。
神戸の港に停泊する、オープンを控えた『ブルートーン号』の船内は、まだどこか冷たく、
ガランとした静けさに包まれていた。
Bデッキのメインダイニングでは、サービスリーダーの慎太郎と、
フランス帰りのクルー、バロンの2人が、誰もいないフロアで眉をひそめていた。
「バロン……これで本当に、世界に通用するレストラン船になると思うか?
設備は一流、お前と俺のサービスも悪くない。だけど……何かが足りない気がするんだ」
慎太郎がポツリと溢す。バロンもまた、美しく磨かれたワイングラスを見つめながら、
珍しく焦りの色を隠せなかった。
「ああ。形は完璧だ。だが、この船にはまだ『魂』がない。
フランスの最高級店のような格式を求めても、ここは動く海の上のレストランだ。
何を基準にサービスを組み立てればいいのか、僕も迷路に入り込んでいたところさ」
2人が若さゆえの壁にぶつかり、重苦しい沈黙が流れたその時だった。
「ワハハハハ! なにを暗い顔をして突っ立っている、若造ども!」
ダイニングの扉を豪快に押し開けて入ってきたのは、仕立てのいい紺色の船長服を着た、
立派な髭の老紳士――村田船長だった。
村田はパイプを燻らせそうな鋭い、しかし温かい眼光で2人を一瞥すると、
ドンッ!と大きな足音を立ててフロアの真ん中へ歩み寄ってきた。
「船長……。僕たちは、この船ならではの『おもてなし』の正解が見えなくて、
悩んでいるんです。海の上のレストランとは、一体どうあるべきなのでしょうか」
バロンが問いかけると、村田船長はフッと髭を揺らして笑い、2人の肩をガシッと力強く掴んだ。
「お前たちの言う『完璧な料理』や『完璧な格式』など、陸の三ツ星レストランに行けば
いくらでも転がっとる! 海の上のレストランとは、日常を捨てて未知なる航海へ飛び出す場所だ。
いいか、若造ども。――『常にエンターテイナーであれ』。
それが、このブルートーン号の絶対の規律だ!」
「え……? エンターテイナー……ですか?」
慎太郎が目を丸くする。村田船長は深く頷いた。
「そうだ! 料理を運ぶな、感動を運べ。ワインを注ぐな、夢を注げ!
お客様がこの船のタラップを渡った瞬間から、我々は全員、お客様の人生という名の
最高の舞台を盛り上げる『役者』であり『演出家』なのだ。
格式の殻に閉じこもるな、お客様を笑顔にするためなら、泥臭くたって全力で楽しませてみせろ!」
村田船長の雷のような言葉が、慎太郎とバロンの胸に突き刺さった。
常にエンターテイナーであれ――。
それは、フランスの教科書にも、京都の老舗の修行場にも載っていなかった、
全く新しい『おもてなしの真理』だった。2人の頭の中で、何かがパチンと弾け、
視界が一気に目の覚めるような青空へと変わっていくような衝撃を覚えた。
「常に、エンターテイナー……。素晴らしい。僕たちが目指すべきサービスは、それだったんですね」
バロンの目に、かつてない情熱の炎が灯る。慎太郎もまた、自分が
「お客様を楽しませるための最高のエンターテインメント」であるべきだと確信し、
拳を強く握りしめた。
◇
村田船長がホテルブルートーンへ行った後の夜。
興奮冷めやらぬ慎太郎とバロンは、夜景が広がる静かな操舵室にいた。
バロンが「慎太郎、これを見てくれ。今、ネットで世界中に配信されて
もの凄い話題になっている動画があるんだ」と、スマートフォンの画面を差し出した。
それは、動画配信者である浅川が、自らのカメラで命をかけて記録し、
世界へ発信した『ホテル・ブルートーン 謝恩晩餐会』の映像だった。
画面の向こうでは、佐々木支配人の一糸乱れぬ統括のもと、
亮太シェフが魂を削って作った美しすぎる料理が並び、佐々木、須賀が神業のようなカクテルで
客を魅了し、チャンが弾けるような笑顔でフロアを走り回っていた。
そして、成人の芸術的なスイーツと、カイトたちの心揺さぶる即興のジャズが、
会場のお客様全員を大号泣させ、最後は割れんばかりのスタンディングオベーションに包まれていた。
「……なんだ、これは……」
慎太郎は、画面の中の亮太の包丁捌きと、お客様たちの幸せそうな涙から目が離せなかった。
「これが……ホテル・ブルートーン。村田船長が言っていた『本物のエンターテイナー』たちの姿だ……!」
バロンの端正な顔も、驚きと感動で震えていた。
「なんてエレガントで、なんて熱いサービスなんだ。お客様とクルーが、
完全に一つの芸術を作っている。格式なんていうちっぽけな枠を、
完全に超越しているよ……」
浅川の配信した動画は、遠く離れた神戸の港で燻っていた2人の若いサービスマンの魂を、
完全に、そして激しく燃え上がらせた。
動画が終わり、静寂が戻った操舵室で、2人は窓の外に広がる神戸の美しい夜景を見つめた。
バロンがそっと右手を差し出す。
「慎太郎。僕たちの目指す場所が決まったね」
「ああ、バロン。……いつか、亮太シェフやカイトたちがこの船に合流したとき、
俺たちもあの動画に負けないくらいの、最高にカッコいいサービスマンになっていよう」
「そして、このレストラン船を、世界一のエンターテインメントの舞台にするんだ」
「ほう、やはり見ていたか」
その時、操舵室の暗闇から、静かにパイプの煙の香りと共に、太く低い声が響いた。
驚いて振り返ると、いつの間にか戻ってきた村田船長が、
腕を組んで窓の外の夜景を見つめたまま立っていた。その渋い横顔には、
我が子の成長を見守るような、深い慈愛の笑みが浮かんでいる。
「船長……」
バロンが声を詰まらせる。村田船長はゆっくりと歩み寄ると、
スマートフォンの画面の中で、今まさに最高の笑顔を見せている佐々木や亮太たちの姿を指差した。
「近いうちにな、その画面の中で躍動している『ホテル・ブルートーン』の3人が、
この船のメンバーとしてここにやってくる」
「えっ……! 亮太シェフたちが、この船に……!?」
慎太郎が弾かれたように声を上げる。バロンも息を呑んだ。
村田船長はフッと髭を揺らして2人を真っ直ぐに見つめると、
その大きな両手を、2人の肩へドンッと力強く置き、腹の底から響く声でこう告げた。
「お前たち。……それまでに今日の想い、恥ずかしくない自分になれ」
「……っ!」
「あいつらは本物だ。だが、お前たちだって、俺が惚れ込んだ本物の金の卵だ。
あいつらがこのタラップを渡ってきたその日、気後れして縮こまるような無様な姿だけは見せるな。
背筋を伸ばし、己のプロの仕事を胸に、対等に背中を預け合える男になって彼らを迎えろ。いいな」
村田船長のぶっきらぼうで、しかし魂を震わせるようなゲキが、
慎太郎とバロンの胸に深く、熱く突き刺さった。
「――はい、船長!!」
2人の揃った返事が、夜の操舵室に力強く響き渡った。
村田船長が「ワハハ!」と豪快に笑いながら去っていった後、バロンはそっと右手を差し出した。
「慎太郎。僕たちの目指す場所が決まったね」
「ああ、バロン。……亮太シェフたちが来るその日まで、死ぬ気で腕を磨こう。今日のこの熱い想いに、絶対に恥ずかしくない自分になるために」
「そして、このレストラン船を、世界一のエンターテインメントの舞台にするんだ」
2人は壊れんばかりの力で握手を交わした。胸に光るバッジを見つめながら、
いつか出会う『最強の先輩たち』に胸を張って並び立つその日を夢見て、
熱い誓いを夜の海へと刻み込むのだった。
あの夜の誓いから、1ヶ月。
慎太郎とバロンは、文字通り血の滲むような努力で自らを追い込んできた。
亮太のどんな急なオーダーにも応えられるよう厨房から会場への動線をミリ単位で叩き込んだ慎太郎。
船独特の揺れを完全に計算し、一滴の無駄もなくエレガントにボトルを操る技術をモノにしたバロン。
すべては、あの日、浅川の動画で見た「本物のエンターテイナー」たちに、
恥ずかしくない自分であるために。
そして、ついに「その日」がやってきた。
小雨が上がり、眩しい太陽の光が神戸の海を照らす、運命の昼下がり。
Bデッキの前方メインダイニングの大きな窓から、慎太郎とバロンは、
じっと外のタラップの様子を見つめていた。2人の体には、
これ以上ないほどピシッと着こなした給仕服が馴染んでいる。
港に一台の大きな車が止まり、中から賑やかな声と共に、次々と人間が降りてきた。
大島譲りの弾ける笑顔で両手を振るフロントのチャン。
ロンドンの格式を肌にまとって帰ってきたパティシエの成人。
その後ろからは、アメリカの風を吹かせながらサックスケースを担いだカイトが
、ジョージとベンを引き連れて歩いてくる。
そして、その後ろを静かに歩く、佐々木支配人、バーテンダーの須賀、
そして――鋭い眼光を湛えた、あの亮太シェフの姿があった。
「……来たね、慎太郎」
バロンが静かに呟く。その声は震えていたが、恐怖ではない。武者震いだ。
「ああ。ついに、本物が揃ったな」
慎太郎の喉がゴクリと鳴る。
タラップの最前線には、すでに完璧な正装に身を包んだ村田船長が、大きな背中で堂々と立っていた。
船長は、歩いてくる彼らを見つめ、まるで世界最高の宝物を手に入れたかのような、
豪快で温かい笑顔を浮かべて両手を広げた。
「お帰り、若き天才たち。首を長くして待っていたよ」
船長の声が、ダイニングの窓越しにもはっきりと聴こえた気がした。
画面の向こうの憧れだった存在が、今、自分たちのすぐ目の前で、
同じ船のクルーとしてタラップを渡ってくる。
その光栄と、これから始まる圧倒的な戦いを前にして、慎太郎とバロンは顔を見合わせ、
言葉を交わすことなく、同時に強く深く頷き合った。
『今日のこの想いに、絶対に恥ずかしくない自分になる』
村田船長と交わしたあの男の約束が、2人の胸の中でパチパチと熱い火花を散らす。
慎太郎は白衣の胸元を力強く叩いて気合を入れ、バロンは白手袋をはめた手でトレイを美しく
構え直した。
2人はゆっくりと、しかし確かな足取りで、先輩たちを迎えるためにエントランスへと歩き出す。
背筋を伸ばし、己のプロの仕事を胸に、対等に背中を預け合える男として――。
純白のブルートーン号に、すべてのピースが揃った。
いま、大海原を舞台にした、世界一のエンターテインメントの幕が、
静かに押し開けられようとしていた。
【第25話:始まりの羅針盤 完】
第25話の特別スピンオフ、最後まで読んでいただきありがとうございました!
いやぁ……自分で書いておきながら、ラストシーンで亮太シェフやカイトたちが車から降りてきて、
それを見た慎太郎とバロンが船内から拳を握りしめて気合を入れるシーンは、
胸が熱くなって鳥肌が止まりませんでした!
村田船長の放った「常にエンターテイナーであれ」
「それまでに今日の想い、恥ずかしくない自分になれ」という言葉の重み。
ただの船長ではなく、人生の、そしておもてなしの達人としての村田さんの
大人の渋さが大爆発した回になりました。
あの日、浅川が世界に配信した『謝恩晩餐会』の動画が、遠く離れた神戸の港で燻っていた
若い2人のサービスマンの魂に火をつけ、それがあの完璧なチームワークへと繋がっていく――。
このスピンオフを読んだ後で、もう一度読み直すと、物語の解像度が何倍にも跳ね上がるはずです!
過去の熱い誓い、そしてケンタくんとの未来の約束。
すべての絆がガチッと噛み合ったブルートーン号。
この後はどんな素晴らしい大航海へ漕ぎ出していくのか。どうぞ楽しみにお待ちください!
野内




