第35話『ビストロブルートーン(後編)』
いつも『レストラン船ブルートーン号の航海日誌』を応援していただき、本当にありがとうございます!
前回は、仲間たちの世界への旅立ちを見送った「陸組」の4人が、
ガスの裸火という陸の洗礼を受けながらも、亮太シェフの原点回帰によって
「明石の真鯛コース」という最高の答えを導き出すところまでをお届けしました。
さて、今回の第35話は、いよいよ期間限定『ビストロ・ブルートーン』の
グランドオープン当日(完結編)です!
この陸の上での新たな船出を盛り上げるために、かつて船を利用してくれたFMラジオの
人気DJ・リサさんと、大島のホテル時代から亮太シェフのファンである
超人気インフルエンサー・浅川さんが、なんと「生放送&生配信」の突撃取材にやってきます!
亮太シェフが直火で命を吹き込んだ驚愕の「真鯛のナージュ」や、こだわり抜いた
「但馬太田牛の低温ロースト」。バロンの魅せる炎のデザートから、極上のワイン・紅茶のサービス
まで、陸の上だからこそ巻き起こる美食の嵐をこれでもかと詰め込みました。
どうぞ最後まで一気にお楽しみください!
「ビストロ・ブルートーン、いよいよ本日グランドオープンです!」
神戸港のチケットオフィス横に新設されたテラス席。心地よい陸の風が吹き抜けるその場所に、
華やかな声が響き渡った。
「須賀さん! お元気そうで何よりです!」
「浅川さんも、相変わらずいいカメラをお持ちですね」
エントランスで、バーテンダーの須賀が穏やかな笑みを浮かべて二人を迎えた。
一人は、かつてレストラン船ブルートーン号に乗船し、そのホスピタリティに惚れ込んだ
FMラジオの高名なDJ、リサ。そしてもう一人は、亮太がかつて大島のホテル・ブルートーン
にいた頃からの熱狂的なファンである、トップインフルエンサーの浅川だ。
「ファンを代表して、今日はめいっぱいビストロの魅力を全国に案内するからね。
須賀さん、今回もよろしく!」
リサがヘッドセットのマイクを直しながらウインクする。浅川も「最高の画を配信しますよ」と、
ジンバルに固定した特大のカメラを厨房のほうへと向けた。
チカチカと赤く灯る、オンエアーのサイン。リサの突き抜けるような生放送のコールが始まった。
『――さあリスナーの皆さん! ついにあの伝説のレストランが、陸の上にやってきました!
今日は陸地からの生放送なので、船酔いの心配は一切ありませーん!』
『ご心配なく!』と、カメラの向こうの視聴者に笑顔を向ける浅川。
『ビストロ・ブルートーン、ただいまオープンいたしました! 今回の目玉は何と言っても、
あの船上でしか体験できなかった亮太シェフの極上ディナーが、
もっとカジュアルに楽しめることです! 須賀さん、早速ですが最初のお料理を教えてください!』
リサがマイクを向けると、須賀は恭しく一礼し、ガラスの器をテーブルへと置いた。
「最初のお料理は、明石の真鯛の身をこん棒で限界まで薄く叩き伸ばし、
地元の特製塩をほんの少し振って焼き上げた、ビストロ限定の『鯛せんべい』でございます。
こちらの、ブルートーン特製のブルー色のビールと共にお楽しみください」
「ええっ!? 鯛せんべい!? 初めて見ました!」
リサが驚愕の声を上げる。すかさず浅川のカメラがズームで接近した。
透き通るほど薄く伸ばされた鯛の身は、まるで芸術品のような美しい白銀のレースを思わせる。
口に含むと、パリ、と小気味よい音が響き、凝縮された真鯛の凄まじい旨味と香ばしさが一瞬で弾けた。
「須賀さん、これ、止まらなくなっちゃう!」
「フフ、浅川さん。実はこのおせんべいには、粋な食べ方がございましてね。
これからのコースの合間、合間を待ちながら、このブルービールと一緒に
少しずつ楽しんでいただくものなのです」
「なるほど! 料理を待っている時間すら、至福の時間に変えてしまうわけですね! 憎い演出!」
リサが青いビールを喉に流し込み、至高の表情を浮かべる。
そこへ、フロアの奥から音もなく影が滑り込んできた。
銀髪を完璧に整えたウェイター――バロンである。
彼の流れるような手捌きで、温められた深皿が目の前に置かれる。
「続いてのお料理でございます。『鯛の潮汁をベースにした、フレンチクリアースープ』」
バロンに代わって、サービスリーダーの慎太郎がすっと前に出て説明を添えた。
「明石の真鯛の『あら』と、地元の純粋な水、そしてほんの少量の塩だけを使い、
極限までクリアになるように、亮太シェフがガスの直火と対話しながらじっくりと
時間をかけて仕込んだ、魂のコンソメでございます」
一切の濁りがない、黄金色に透き通ったスープ。
リサがスプーンですくい、そっと口へと運んだ。
その瞬間、リサの目が限界まで見開かれた。あまりの衝撃に、
マイクを持っていることすら忘れて叫び声を上げる。
『――素晴らしい! 具材は何も入っていないのに、口の中に、今、明石の荒波を泳ぐ
美しい鯛の姿がはっきりと見えるようなスープです……!!』
濁りを徹底的に排し、旨味の本質だけを抽出した究極のスープ。
陸の上の『ビストロ・ブルートーン』。
その産声は、ラジオの電波とインターネットの波に乗って、
瞬く間に日本中へと拡散されていくのだった。
究極のスープの余韻に浸るリサと浅川の前に、いよいよメインの魚料理が運ばれてきた。
「続いてのお魚料理でございます。『明石鯛のナージュ・ブルートーン風』」
慎太郎が恭しく皿を置くと、二人の目が見開かれた。
浅く張られた極上の白ワインソースの海。その中心に、皮目をパリッと美しく焼き上げられた
真鯛が鎮座している。それはまさに、鯛が大海原を誇り高く泳いでいるかのような、
生命力溢れる見事な盛り付けだった。
「わあ……! ソースがとっても濃厚なのに、驚くほどしつこくない!
これ、パンにつけて食べたら無限にいけちゃいますよ!」
「最高の発色だ、カメラ映えも完璧すぎる……!」
リサと浅川のテンションが、生放送の電波に乗ってさらに跳ね上がっていく。
そこへすっと影を落としたバロンが、ガラスの器に透き通る液体を注いだ。
「今夜は、かすかな気泡を纏った、ロワール産の弱発泡性白ワインをセレクトいたしました。
どうぞ合わせてお楽しみください」
リサがグラスを傾け、スープを一口含むと、弾けるように声を上げた。
「すごい、美味しい……! 鯛の旨味とワインの微炭酸が口の中で完璧に調和して、
お互いを引き立て合っています!」
グラスの中でパチパチと繊細に弾けるかすかな泡を、浅川のカメラが息をのむようなズームで捉える。
その極上の余韻に浸る二人の前へ、待望の肉料理が姿を現した。
「こちらは、亮太シェフが太田牧場で見初めました、最高級『但馬太田牛』
の低温ローストでございます」
慎太郎が誇らしげに胸を張って説明する。
「55度の低温でじっくりと時間をかけ、肉本来の旨味を一切逃がさずに極限まで柔らかく
火を入れております。素材の生命力を生かす、亮太シェフ渾身の調理法でございます」
切り口は艶やかなミディアムレアの美しいピンク色。
二人が同時に口へ運んだ瞬間、その瞳がキラキラと輝いた。
「「すごっ……!!」」
リサが思わずマイクに向かって叫ぶ。
「本当にお肉の味が、甘みが、ダイレクトに伝わってきます!
噛むたびに溢れる肉汁の格好よさが半端じゃないわ!」
ディナーを完璧に堪能した二人の前に、今度は一台のワゴンが静かに滑り込んできた。
バロンが手際よくフライパンを熱し、淡路島産の瑞々しいオレンジを使った
「クレープシュゼット」の仕上げに入る。リキュールが注がれた瞬間、厨房前のテラスに、
ボッと青く美しいフランベの炎が立ち昇った。
「見てくださいリスナーの皆さん! 今、目の前で美しい青い炎が踊っています!
オレンジの甘酸っぱい香りが一気に広がって、まるで魔法のようです!」
リサが興奮気味に実況し、浅川がその幻想的な炎の揺らめきを逃さずレンズに収めていく。
至高のデザートと共に、地元西宮の名産である「ムレスナティ」の華やかなフレーバーティー
がサービスされた。そのタイミングを見計らったように、
キッチンの奥からコックコート姿の亮太が、汗を拭いながら気さくな笑顔でやってきた。
「よぅ、お二人さん。陸の上のブルートーンの味、どうだったかな?」
「亮太シェフ! もう最高です! リスナーの皆さんも画面の前で大満足間違いなしですよ!」
太鼓判を押すリサと浅川に、亮太は不敵にニヤリと笑ってみせた。
「ありがとよ。だが、今日は遠くから生放送を聴いてるリスナーと、お前ら二人に
『プレゼント』があるんだ」
亮太が指差した先。テラスに設置された大型モニターの電源が静かに落ち、
次の瞬間、パッと明るい映像が映し出された。
画面に映ったのは、青く澄み切ったニューオリンズの街並み。
そして、楽器を抱えて白い歯を見せて笑う、カイト、ジョージ、ベンの3人の姿だった。
『ハロー、日本のリスナーのみんな! ビストロ・ブルートーンのオープン、おめでとう!』
カイトがピアノの前で爽やかに手を振る。
『こっちはニューオリンズのクラブだ。最高の熱気だよ。さて……日本のお祝いだ、
今夜は何を演奏しようか?』
カイトがそう問いかけると、3人はカメラの向こうで顔を見合わせ、楽しげに肩を揺らした。
サックスを首から下げたジョージが、カメラに向かってニヤリとウインクする。
『――へっ、決まってんだろ!』
ジョージの合図と共に爆発したのは、あのビートルズの名曲『A Hard Day's Night』の、
原曲を木っ端微塵にスイングさせた超ファンキーなジャズバージョンだった!
ベンのフルートが跳ね、ジョージのサックスが魂を揺さぶり、カイトのピアノが極上のビートを刻む。
アメリカの風を纏った3人の圧倒的なセッションに、リサも浅川も、
そしてラジオを聴いている日本中のリスナーも、完全にノリノリになって身体を揺らしていた。
大興奮のジャズセッションが終わり、リサがいよいよ放送を終了しようとマイクを握り直した、
その時だった。
「……えっ!? 嘘でしょ!?」
リサがふとビストロの外を見つめ、驚愕の声を上げた。
浅川がカメラを外に向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
なんと、ラジオの生放送と生配信を聴いたリスナーたちが、神戸港の桟橋に、
店に入りきれないほどの長蛇の列を作って大集結していたのだ。
押し寄せる熱気と大歓声を前に、リサは満面の笑みを浮かべ、マイクに向かって全力で叫んだ。
『皆さん、ビストロ・ブルートーンはたった1ヶ月間の限定オープンです!
今すぐここへ来ないと、人生絶対に後悔しますよー!!!』
夕闇の神戸港に、陸の上のブルートーンを祝福する大歓声がいつまでも、いつまでも響き渡っていた。
【第35話:陸に響くファンファーレ 完】
第35話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
亮太シェフが手がける「明石鯛のナージュ」をパンにつけて食べる描写や
55度でじっくり旨味を閉じ込めた「但馬太田牛の低温ロースト」、
そしてバロンが目の前で仕上げるクレープシュゼットのフランベの炎
……書いていて自分でもお腹が空いてたまらなくなるような、
究極の陸上フルコースが表現できたと大満足しています。
須賀さんの粋な弱発泡ワインセレクトや、慎太郎の心のこもった解説も、
陸の上でさらに輝いていましたね。
そして何より、ニューオリンズで武者修行中のカイト、ジョージ、ベンからの
ビデオレターサプライズ!
お祝いとして爆発させたビートルズの『A Hard Day's Night』のジャズアレンジなんて、
格好良すぎて痺れますよね。離れていても、彼らの音楽は神戸のテラス席にしっかりと届き、
クルーとリスナーの心を一つにしてくれました。
ラスト、リサさんの最高の煽りによって桟橋が店に入りきれないほどの
リスナーで埋め尽くされるシーンは、これからの1ヶ月の陸での戦いがどれほど
熱いものになるかを予感させる最高の引きになったと思います!
さあ、次回第36話。どうぞ楽しみにお待ちください!
野内




