第34話『ビストロブルートーン(前編)』
いつも『レストラン船ブルートーン号の航海日誌』を応援していただき、本当にありがとうございます!
前回は、ジョージとベンの「下宿屋のマドモアゼル(おばちゃん)」が襲来し、
笑いと人情に包まれた賑やかな一夜をお届けしました。
さて、今回の第34話は、物語の大きな転換点となる「特大合併号」としてお届けします!
ブルートーン号が定期メンテナンス(ドック)のため、1ヶ月間長崎へ旅立つことになりました。
それに伴い、クルーたちもそれぞれの進化を求めて世界中へと武者修行へ旅立ちます。
ニューオリンズへ飛ぶジャズトリオ、ロンドン王室へと召集される成人くんとチャンちゃん。
関西国際空港での涙と希望の見送り……そこから物語は休むことなく、
陸に残された「ビストロ部隊」の熱い戦いへと直結していきます。
空港特有の静けさから、一転して陸の厨房で「ゴォッ!」と爆発するガスの青い炎へ。
感情のジェットコースターのような、圧倒的なテンポ感で描く新章へのプロローグ。
彼らのプロとしての覚悟の瞬間を、どうぞ最後まで一気にお楽しみください!
「……はい。承知いたしました。西山部長。村田船長にもすぐ伝えます」
佐々木支配人が神妙な面持ちで受話器を置いたのは、夕食後のことだった。
西山から入った連絡は、ブルートーン号が明日から1ヶ月間、長崎の造船所にて定期メンテナンス
(ドック)に入るというものだった。
「1ヶ月か……。船もたまにはゆっくり体を休めねえとな」
村田船長が、太い髭を撫でながら豪快に笑う。
佐々木と村田船長の二人は、長崎まで船を運び、ドック期間中の全ての工程に立ち会うことになった。
「さて、残る皆さんのことですが……」
佐々木がクルーたちをBARへと集めた。
船がドック入りする1ヶ月間、彼らにはそれぞれ驚くべき「新しいステージ」が用意されていた。
「亮太、慎太郎、バロン、須賀。君たちは陸に残ってもらいます。
発券所のすぐ隣に、期間限定の『ビストロ・ブルートーン』をオープンさせます。
本社の命により、陸のお客様にも我々の味を届ける、宣伝部隊としての任務です」
「ほう、陸の上で戦えってか。面白えじゃねえか」
亮太が不敵に笑う。慎太郎、バロン、須賀も、新しい挑戦に目を輝かせた。
さらに、音楽隊の三人の前には、思いがけない招待状が届いていた。
「カイト、ジョージ、ベン。君たちには、ニューオリンズのアンから連絡が来ている。
かつて君たちが立っていたクラブのステージが、1ヶ月間、君たちのために空けてあるそうだ。
凱旋ライブ……行ってきなさい」
三人は顔を見合わせ、言葉にならないほどの熱い握手を交わした。
「そして成人とチャン。君たちには、イギリス皇太子妃の個人秘書・ジーン様から正式な招集
が来ている。来月行われる宮中晩餐会にて、成人はパティシエを、
チャンは紅茶のサービスを担当してほしいとのことだ」
「ええっ! 私たちがイギリスの……王室に!?」
チャンが驚きで飛び上がり、成人は静かに、だが力強く拳を握った。
夜のBAR。それぞれが進む道を確かめ合い、豊かな酒と共に抱負を語り合う。
「また来月、この場所で会おう。今よりも、ずっと新しい自分になって、な」
慎太郎の言葉に、全員が力強くグラスを掲げた。
「さあ、最後の一曲だ!」
カイトがピアノを奏で、ジョージのサックスとベンのフルートが重なり合う。
始まった曲は『Over the Rainbow(虹の彼方に)』。
その旋律に誘われるように、「私も歌っちゃうよー!」とチャンがボーカルで飛び入りし、
亮太までもが「景気づけだ!」とキッチンのボウルをパーカッション代わりにリズムを刻み始めた。
普段はサービスに徹している面々が、今夜だけは一つになり、肩を組んで大合唱する。
その歌声は、静かな神戸の海へと染み渡っていった。
翌朝、朝日を背に受けてブルートーン号の汽笛が鳴り響き、船は長崎へと出航した。
◇
そしてその翌日、クルーたちは関西国際空港の国際線出発ロビーにいた。
「おい、ジョージ。向こうで飲みすぎてステージを遅刻するんじゃねえぞ」
亮太シェフが、不器用に笑いながらジョージの肩を叩く。
「ガハハ! 亮太、心配するな。ニューオリンズの女たちが俺のサックスを待ってるんだぜ。
カイト、ベン、行くぞ!」
ジョージはサックスケースを抱え直しカイト、ベンと共に軽やかなステップで保安検査場へと向かう。
その隣では、チャンが成人の腕をギュッと掴み、緊張した面持ちで立っていた。
「成人くん、ロンドンって……本当にお城みたいなところでケーキ作るの?」
「ああ。ジーン様が待っている。ブルートーンの味を、イギリスの王室にも刻んでこよう」
成人の言葉は短いが、その瞳にはかつてないほどの静かな闘志が宿っていた。
カイト、ジョージ、ベン。成人、チャン。
5人の背中がゲートの向こうに消えていくのを、亮太、慎太郎、バロン、須賀の4人は
いつまでも見送っていた。
やがて、空港の巨大なガラス窓の向こうで、轟音と共に銀色の機体が滑走路を駆け上がる。
夕闇に染まり始めた空へ、虹の彼方を目指すように消えていく機影。
それは、彼らの新しい挑戦の始まりだった。
「……行ってしまいましたね」
慎太郎がポツリと呟く。
「ええ。彼らが戻ってくる頃には、我々も負けてはいられません」
バロンが、いつものように背筋を伸ばし、銀髪を揺らして微笑んだ。
駐車場へと向かう歩道橋。潮風とは違う、陸の乾いた風が吹き抜ける。
その時、先頭を歩いていた須賀が足を止め、穏やかな、だが力強い声で振り返った。
「さて、明日からは『ビストロ・ブルートーン』のオープン準備です。亮太さん。
陸のお客様を唸らせる、どんな料理を用意しましょうか」
◇
「……っ!? 火力が、違いすぎる」
翌日、神戸港のチケットオフィス横。急ごしらえながらも最新の設備を整えた
『ビストロ・ブルートーン』の厨房で、亮太は思わず目を細めた。
点火した瞬間、青い炎が「ゴォッ!」という重低音を響かせて立ち昇る。
船の上では安全のために厳しく制限され、管理されていた電磁調理器(IH)のクリーンな熱源。
しかし、ここ陸の上では、野性味を剥き出しにした強烈な「ガスの裸火」
が牙を剥いて待っていたのだ。
フライパンをかざせば、熱の伝わり方が船の上とは比較にならないほど速く、そして荒々しい。
「シェフ、どうしました?」
仕込みの手を止めて、慎太郎が心配そうに覗き込む。
「いや……船と同じ感覚で火を入れたら、食材の魂が瞬く間に焼き切れる。
フライパンの煽りも、火から離すタイミングも、全部秒単位で脳内を書き換えなきゃならねえ」
亮太は額の汗を拭い、目の前で揺らめく激しい火柱をじっと見つめた。
この、全身が焦げ付くような熱。
(――この圧倒的な熱量をどう飼い慣らす……)
思い通りに制御しきれないほどの荒ぶる炎を前に、亮太の脳裏に、
潮風と土の香りが混ざり合う懐かしい景色が鮮やかによみがえった。
それは、かつて彼が料理人としての情熱のすべてを注ぎ込んでいた原点
――大島の『ホテル・ブルートーン』の厨房だった。
島の大地で育った力強い野菜。海から上がったばかりの、生命力に満ちて跳ねている魚たち。
その命を最短距離で、一番美味い状態で皿へと届けるために、
彼は文字通り火の出るような格闘を毎日繰り返していたのだ。
ホテルに訪れた観光客も、地元の島の人々も、亮太が作ったたった一杯の「命のスープ」を
口にした瞬間、思わず箸を止めて涙を流した。あの時の、
素材と火が真っ向からぶつかり合った瞬間の、ゾクゾクするような手応え。
「そうだ……。船の上という完璧な舞台で、俺は少し上品にまとめすぎていたのかもしれねえな」
亮太は不敵に笑い、仕入れの注文書に大きく赤ペンで丸をつけた。
大島で培った、あの地産地消の物語。それをこの神戸の陸の上で、さらに進化させて再現するために。
「ひらめいたぞ。慎太郎、バロン。メニューをすべて書き換える!」
「おや……最初の一皿の主役は、もうお決まりですか?」
バロンが銀髪を揺らし、いつもの完璧な姿勢のまま、興味深げに目を細めて尋ねる。
「ああ、決まった。鯛だ。それも、ここからすぐ近くの、明石の激しい荒波に揉まれて育った
最高級の真鯛を仕入れる。この『王様』を丸ごと使って、
陸のビストロに相応しい特別なコースを組み上げてやる。
陸のブルートーンの産声は、こいつに上げさせてやるのさ!」
亮太の力強い声が、まだ誰もいない新しい厨房に響き渡る。
火を飼い慣らし、地元の命を皿に宿す。
陸の上の『ビストロ・ブルートーン』。
その伝説の最初の一皿が、強烈な炎の咆哮と共に、今まさに産声を上げようとしていた。
【第34話:新しいステージへのタラップ 完】
第34話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
カイトたちの飛行機が夕闇へ消えていく切ない静けさ。そこから、須賀さんの
「どんな料理を用意しましょうか」という一言をブリッジにして、
翌日の厨房で「ゴォッ!」とガスの青い炎が爆発する……。
この「静」から「動」への流れを描きたくて、今回は一気に一本のストーリーとして
仕立て上げました。
離れていても、俺たちはそれぞれの場所で戦っている。
そんな陸組のプロとしての覚悟が、亮太シェフの「ガスの洗礼」と
「大島時代の記憶(原点回帰)」によって最高に熱く表現できたと自負しています。
神戸・明石という最高の舞台で、亮太が選んだ「真鯛のフルコース」。
これが一体どんな料理になり、陸のお客様をどう驚かせるのか。
さあ、次回からの第35話。いよいよ『ビストロ・ブルートーン』がグランドオープンします!
亮太の捌く真鯛がどんな魔法に変わるのか、どうぞ次回の航海
も楽しみにお待ちください!
野内




