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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
現代編

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9. 『光と闇』




 お馴染みのメロディが一回半といったところで、柴田の声が聞こえた。


「もしもし? お前な、どんだけ時間かかって……」


 私は謝る。

 短く、状況と用件だけを伝える。


「はぁ? なにそれ? ——閉じ込められてるって。え? お前、マジで言ってんの?」

「うん、だからさ……」

「ちょ待て千歳。今、遠坂がさ……えっと、そっちに電話入れてる……」

「え」

「え……って、俺らが行くより、先公に言って開けてもらった方が早いじゃん」

「……あー、まぁそうなんだけど」

「うん。だろ?」


 私は、言い淀んだ。最低なことを考えて。


「……千歳?」


 思考を遮断するように、さりとてどこか遠慮がちな柴田の声が続いて、私は思い出したように答えた。


「え。なに?」

「お前、なんかあった?」

「なんで?」

「声のトーンが変」

「…………」

「あと、返事遅いのも変」


 柴田が電話口でそう言うのと、室内に光明が差したのは、奇しくも同じタイミングだった。


 そういえば電気すら付けていなかったことに、その時私はようやく気付いて、埃の粒が舞うその見えない波の向こうを眩みながら眺めた。


 さながら遭難者の救助の図だ。実際に閉じ込められていた事実に変わりはないのだから、さながらでも何でもないか。


 呆れた顔した教員が二人、入り口に立っていた。一人は壮年の女性で、もう一人は陸上部の顧問の男性教諭だ。片手に晴子とつながってるらしい文明の利器が握られていた。


 私も似たような端末を耳に当てながら言う。


「きた。切るよ」

「うん。早く来いよな」

「……柴田」

「ん?」


 その何気ない返事の仕方も、相槌の打ち方も、いの一番に説教から入る感じも、機転の良さも、いつも私の横につけて面倒臭そうに自転車を転がす汚物に集る蠅のようにフラついた姿も、何ならその顔を埋め尽くすニキビの一つ一つでさえ、私はとっくに好きだった。いや言い過ぎたかもしれないし、それでは私がまるで汚物のようだ。


 柴田は光だ。


 生の象徴。

 紛れもない光だ。


 この明かりの一つもない室内に差したのは、教員が開けたドアの向こうから差す外光などではなく、彼の声の方だった。


 それが私に安心をくれる。

 いつだって。


 だからだ。


 それが、


 死にたがりの私には、彼は眩しすぎる。


 いつかははっきりと決めなければならないこと、進み出さなければならないことは分かっていたじゃないか。

 大好きだったお父さんと別れたその日から。


 幸せな今は永遠には続かない。


 ずっと子供のままではいられない。

 ずっと今には留まれない。

 なら——。


 なら、いっそ——その一瞬の、綺麗なうちに何もかも終わらせたい。


 その時がきた。

 それだけのことだ。


 古びたアーカイブを最新のものに更新して、上書きする。

 そんな風に私は心を切り替える。

 そうすればデジャヴのように、忘れてしまえるのだ。

 次の瞬間にはもう、私はいつもの私だった。

 せめて針が、互いを傷つけないようにする。

 それだけが私にできる最後の施しになる。


 なのに、声が震えた。



 ——ごめん。



 電話を切った時、私は激しく胸を波打たせて呼吸していた。視界が滲んでいた。それを教員の二人は救助された安心感からくるものと勘違いし、猿彦はすべてを汲んだうえで肩をそっと抱き寄せ、そうして私たちは暗い印刷室から蛍光灯の光刺す廊下に脱出した。


 言葉だけじゃない、ここで言動と言い換えさせてほしい。

 それは複雑怪奇、奇妙奇天烈に入り混じって、真実、それのみを告げることを憚ってやまない。

 ただ奥ゆかしい乙女のように、そっと嘘を吐かせて、真実をひた隠すものなのだ。


 ◯


 猫丸の墓参りはそんな事件の煽りを受けながらも、筒がなく終わった。


 私と猿彦が駆けつける頃には、空は赤みから紫の色が滲んできている時刻にもなっていて、本殿の裏は木々が生い茂って一層影が濃く、近場に墓地もあるから、猫丸の墓参りとはいえ、夏だというのに薄寒く気味が悪かった。

 もちろん、私の心情も手伝ったのだろう。


 四人の帰り道にコンビニに寄ってスナックを食べ、その日は解散になった。


 また猿彦と二人になると、私は切り出した。


「猿彦でしょ?」


 その言い始めは、私なりの意趣返しだ。猿彦は驚くともなく私を見たが、そんな素振りにこそ、少なからずの動揺が見て取れる。


「坂東さんが勝手にやったんじゃなくて、アンタが(そそのか)した。大方、私と機会を作ってーとか言ってさ。気付かないとでも思った?」

「たまたまだよ」


 猿彦は観念した態度を通り越して太々しく白状した。


「他にもいくつか仕掛けてあった。坂東さんは話してみるとなかなか面白い子でね。応援してくれてたんだ。で、今日初めて、君はその一つにかかった。今回のは坂東さんの手が加わってるけど、こういうの、蓋然性(がいぜんせい)、プロバビリティっていうんだ。例えば毎朝食べる卵の中に、うっかり賞味期限の切れたものが混ざってて、取り替えよう取り替えようと思っているうちに、それを誤って食べてしまった人が食中毒で亡くなったとしても、それは痛ましい事故だ。殺人にはならないんだよ、千歳。保険金だって受け取れる」

「なにそれ。推理小説かなにか?」

「そう。本は優秀だよ。主人公にもヒロインにもなれなくても、その様な生き方をした人とそうして接点を持つことができる。著書は思考を写す作者の鏡、他者の模倣に始まり、自己の表現に終わるもの。その思考が入ってくるからね。脳は網膜を通したものと、通さないものの識別をしない。思考に浮かぶものだけが真実だ。だから、それは現実の友達の話を聞くのと変わらない。いやそれ以上に真心で通じ合える。こんな列島の端にいながら、世界有数の賢者たちと知り合いになって、励まされもする無二の画期的なツールだよ」

「私が聞きたいのは、なんで? ってことだよ。なんで、そうまでして私? 私なんか別に……自分で言うのも何だけど美人でもなんでもないし、どこにでもいる普通の、可憐な乙女でしょ? 例え、死にたがってるのが間違いじゃないとしてもさ」


 猿彦は笑った。

 私も思わず自分で言って吹き出してしまう。


「うん。今のは……流石におかしいわ」

「うん」

「でも、なんで? 私は、それが知りたい。他にもたくさんいるよ。きっと。死にたい子。けど、本当のその気持ちを隠して生きてる子。その子でいいじゃん。なんで私?」

「人を好きになるのに理由っているのかな」

「はぐらかしてる?」

「一つの事実を言いたい。例えば顔や目や鼻や口や、身体のどこかの形が好きだとして、じゃあ、その人は整形したらもう好きじゃないのかな。トラックに踏み潰されたら? ぐしゃぐしゃの死体になったら、好きじゃなくなるわけ? そんなの、おかしいよ。ティッシュの箱が自分の望むような形になっても、その人は好きだって思うのかな」

「じゃあ、猿彦はどこ見て言ってるの?」


 猿彦はなんとはなしに一度私を見て、再び何事もなさそうに前を見た。在りし日の柴田の仕草と酷似していて、ありもしない良心が、少し痛む。


「魂」

「はぁ?」

「そういうものだろう。好き、愛してる。人間がなぜ特定の人にそう思うのか——根元にあるのはその人がその人だからだよ。別の人じゃ例え条件を同じに揃えたとしても嫌なわけ。そのただ一人がいいんだ。それを突き詰めて言葉に還元するなら、魂、と呼ぶのが相応しい」


 猿彦は再び私を見る。

 今度は猫丸の死骸を見ていた時のような目つきだ。


 純真さはなく、代わりにこちらの奥を診察するような深淵な表情が、目の奥に渦巻いている……そんな風に感じる。


「君を抱きたい」

「……は?」

「君とまたキスがしたい。さっきみたいに舌を絡ませるとびきり濃厚なやつをして、四肢ごと身体を絡ませて、勃起したやつを押し付け——」


 私は終いにその口元を手で覆い、黙らせなければならなかった。


 今しがたメルトダウンを迎えそうになった核分裂炉の弁を回して、放射能まみれになりながら制御棒を突き入れ、炉心融解を食い止めたかのように、私は肩で息をする。


 やはり猿彦は柴田以上……どころか近隣に住まうどんな雄よりも厄介な怪物のようだ。


 逆に私だけに集中しているこの現状は幸いだったかもしれない、こんな奴が野放図に世に解き放たれてしまったら、その通り過ぎた道々には、哀れなる元乙女の残骸が累々と転がり果てることになるだろう。


 なら私が飼い慣らせって? 何をおっしゃるうさぎさん。既にして飼い慣らせてないのが分からないあなたでもあるまいに。


 寄越せと言われて代わってあげられるものならあげたい。そう、それが私の仕事——ああ、認めよう。

 つまり、宿命のようなのだ。


 猿彦は口元を覆った私の手を振り解くともなく、優しげに触れると、ゆっくり剥がし、その端から続けた。


「他の人にはこんな劣情を催したことなんかないんだ。顔? 声? どれも違う。千歳、君が君だから、そうしたいと思うんだ」

「……ひょっとしてさ、猿彦、今……」


 私は恐る恐る聞いたが、間もなくなぜそんなことを口走ったのか、尋ねたことを即座に後悔した。猿彦は屈託なく笑うと、にべもなく言う。


「うん。分かる?」


 それは議事堂で目を見開き、網膜越しの様子を具に観察して、真剣な顔で耳をそばだてる議員らの為せる所業であったと私は思いたいが、私は誘導されるがまま素直に目線を下げてしまう。


 些か以上に布が張り詰めている気がしてならない。


 しかし、凝視はできない。乙女として断固、それだけは拒否する。


 私はすぐにも目を逸らしたが、頭の中で耳年増な議員共が一斉にブーイングし出したのと時を同じくして、猿彦が迫ってきて、少し声を張り上げた。


「ま、待って! 待て、猿彦! おすわり!」

「いやだ。もう待たない」


 西側の住宅地は入り口を通り過ぎて、ど真ん中。家と道を別つコンクリートの塀に押し付けられて、私たちは熱いヴェーゼを交わしていた。


 最初は強引だったものの、彼に押し切られると、とたんに脳のリミッターが外れたみたいに、他のことがどうでも良くなってしまう。まるでやったこともないドラッグか何かのように快楽が全身の神経に浸透して、力が抜ける。


 初めてなのに、分かることがある。

 初めてなのに、この男は知り尽くしている。


 どうすれば私が悦ぶか。全部知っていて、それを的確にしてくる。


 これ以上ないシンクロ率——今風に言えばマッチングぶり。


 気がつけば、道のど真ん中ということも忘れて、私も舌を伸ばしている。しかしそうすると今度はからかうように避けるのだ。意地悪する、笑う、遊ばれている、そして気付いた。


 飼い主がどちらなのかを。

 その時闇夜に猿彦の恍惚とした笑みが浮かび、目がきらりと光ったように見えた。

 

 徹底して、脳髄に刻みつけられるかのような濃艶なやりとり。それがその後も続いた。


 痺れた感覚の海に溺れながら、それらとは一線を画する刺激がふと太ももに走る。


 猿彦の指先がなぞるともなく皮膚の表面を這い上ってくる……その瀬戸際に来てまで、尚、私は逡巡が必要だった……。


 きっともっと気持ちいい、気持ちよくなれる、してくれる——その、目に見えるかのような絶対的な予感と期待が私を迷わせた。


 上ってくる……触れる——。


「——待って」


 私は決死——決死で間違いがない、それこそ命をかけるような勢いが必要だった。——の覚悟で、猿彦の腕を止めていた。


 切れ切れに息をこぼしながら、猿彦は妖艶な笑みのまま首を傾げる。


「そこは、お願い……お願い。まだ待って」


 猿彦は一度星を眺めるように顔ごと夜空に目線を逸らすと、その手を私の頭の上に乗せ替えて、楽しげに言う。


「……分かった。ゆっくりしよう」




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