10. 『家族について』
猿彦と別れる前から、ガレージの前に留まる軽トラを見つけて、私はげんなりしていた。
表情にも出ていたかもしれない——、
が、それで今この瞬間、微かにでも残る夢の残滓を失わせたくない一心で、私は平静を装い、彼を見送った。
やかましい音を立てるガラス戸を、さりとて音が出ないように淑やかに引いて、玄関に入るや、私が靴を確認して嘆息する間もなく、奥から声がする。
「おかえり、千歳ちゃん。年頃の女の子にしてはちょっと帰りが遅いんじゃないの?」
土足で踏み入る、とはこのことだ。
私はもうその中年男性のデリカシーのない一言を耳にするだけで、つい今しがたまであった夢見心地から醒め、気持ちは奈落の底まで急転直下、絶対零度の冷ややかさで空虚な心境を迎えていた。
ため息の一つも吐きたいが、皮肉なことに私の他所行きの乙女顔形成技術は熟練の域に達して、完璧無敵、十全十美の精度を誇る。
だからこそ、即座に気持ちが切り替わる。
切り替わって、私の心はつい先ほどまでの幸福感の一欠片さえ余さず忘れて、ひたすらに諦め、ただただこれから過ごすであろうおよそ十二時間ほどの無意義で冗長な拘束時間を前に、灰塵、空虚と、化すのだ。
視聴者、読者の中に接客業従事の方、並びに経験者、または毒親をお持ちの方がおられましたら、この気持ちはよくご理解いただけることかと存じ上げる。
それは、家族、という私のもう一つの仕事であり、逃れ得ぬ宿命だ——、
否、逃れ得た機会もあったからこそ、今になって余計に嫌気が差すのである。
キッチンに置かれたテーブルには、シワと肌のたるみが目立つ母と、向かい合うようにして、赤ら顔の中年男性が我が物顔で居座っていた。
片手に透明の液体が入ったガラスのコップを手に、そうして廊下から覗く私を振り返っている。
「佐久間のおじさん、こんばんは」
「はい。よく出来ました……っと。いやぁ、日に日に美人になってくねぇ。千草さんに似て」
「嫌だわ、佐久間さんったら」
私はぴくりとも頬を動かさない。
電車内で嗅ぐような魔界のお香にアポクリン汗腺による異臭、おまけにアルコールまでも合わせて醸造されたねっとりした湿気が漂ってきて、真顔でその気味の悪いやりとりを見下ろすと、仕事は終わったというようににべもなく引き戸を閉め、踵を返す。
廊下を通る間、できるだけまとわりついた瘴気を振り払えるように、大袈裟に四肢を動かして歩き、階段を登って、自分の部屋へ着くと、そのままベッドに倒れ込んだ。
もう、何もかもが台無しだった。
フランスの優雅なパサージュを抜ける荘厳華麗な夢が久方ぶりに見れたかと思ったら、その出口に突然スラムが現れて、見っともない布を巻いた性病持ちの乞食に集りにあったかのような顛末だ。
「邪魔すんなよ……クソが、マジで……あーあ、せっかく面白くなってきてたのにさぁ!!」
私は誰ともなく、部屋に軽く怒鳴り声をあげると、寝転んだままため息をついた。
自分の気を沈めるためにシャワーでも浴びようかと思ったし、実際早いところそうしたいという事情にも差し迫られていたが、あのおっさんの存在のためにそれも憚られた。
あれだけ呑んでいたら、きっとおそらく、今日は泊まっていくつもりに違いない。
シャワーはもう使ったのだろうか。
あのおっさんのことだ。まだ使っていないとしても、一晩くらい入らなくても気にならないか、朝方使うつもりなのかもしれないが、何にせよ、あのおっさんの直前に使うことだけは絶対に避けたい。
私が入ったのを見て、それでふと自分も入りたくなるということもあるかもしれない。
そんな風に考え出すと、もう動けなくなった。
ベッドの上に寝転がった体勢のまま、時計の針ばかりが変わらず、一定のリズムを刻んで進んでいく。
動き出した時間が、無意味に消失していく。
なんで自宅にいるのにこんな気を回さなくちゃいけないんだ。てめえの存在のために。
そして、母の人生のために。
その母の声がふとドアの向こうからした。
「千歳ー? ご飯はー? できてるわよ、一緒に食べなさい」
ふざけんな。と怒鳴りつけたい気持ちを堪えて、私は合理的に考えることにした。
「食べてきたからいらない。ねぇ、あの人、もうシャワー入った?」
「え……ううん」
「これから入りそう?」
「いや……もうお酒も深いし、朝入るんじゃない?」
「だよね……分かった」
それはある種の賭けだ。
今日はもうシャワーを使わないだろうという前提で事を進める。そして幸いにしてその日、佐久間のおじさんは日を跨ぐまで実際に風呂場には近づきもしなかった。
私は思い立つと、すぐに起き上がって制服を着替え、スカートだけを残して、風呂場に直行する。
洗濯籠を見たとき、やっぱり部屋に持って帰って全部自分で洗おうかという考えが浮かんだが、流石に面倒臭くなって、服はそのまま、汚れた下着を包むようにして、籠に入れて終いにした。
普段なら洗濯ネットに分けるだけで済んだろうに。そのことにも、フラストレーションは溜まった。
◯
ぐるぐると鳴き、空腹に軋む胃を抱えながらベッドに横になっても、やはり危惧していた通り、なかなか寝付けない。
階下からブツブツという音が聞こえる。
二人の話し声だが、耳に通るのは専らあのおっさんの声の方である。
それは言葉としては聞こえず、やはりブツブツとした低音になって絶え間なく耳に入ってくる。
おっさんの声が大きいのか、うちの壁が薄いのか。
とにかく、やかましい。癇に障る。
私は苛立ち紛れに一度起き上がり、イヤフォンを耳に詰めて再度ベッドに寝転んだ。
それでも全部は遮れない。ふとすると、またブツブツというノイズが漏れ伝わってくる。
何をそんな話すことがあるんだってくらい、延々と喋り続けている。合間に時折響く母の鋭い笑い声。
私は一層頭まで覆うようにして、布団に包まり、できるだけ振動が伝わらないように試みるも、今はまだ夏の盛り、次第に蒸し暑くなって、結局布団は剥いで、ベッドに大の字に転がった。
瞼だけは意地でも開けない。開けてしまうと、それまで微小でも積もった眠気が解消されてしまうような気がして、できない。
左の中指を地面の方に向けて立てながら、私はドアを数えることにした。
頭の中に光のドアを思い浮かべて、それをひたすら開け続ける。
この光の向こうにいけば、眠れる。
意識が消失する。
ほら、眠れた。……と自分に言い聞かせるように繰り返す。
それがしばらく続いて、疲れ、次第に本当に微睡んでくると、その作業すら覚束なくなっていく。
◯
母は弱い人だった。
見た目からして愛玩犬の始祖たるマルチーズのごとき小ささで、さりとてその内にだけ秘められし自尊心は無類の気高さを誇り、されど持ち前の事勿れ、欺瞞的平和主義のために、結局は自己満足で自己完結する。
産まれながらの厄介勢——いや、産まれた頃の母のことは知らないから、もしかしたら後天的なものだったのかもしれないけれど——にして、根っからの心配かつ臆病性。絶対的極右思想。
それが私の母である。
平和をこよなく愛す彼女だから、強者にへつらうことを厭わず、弱者には聖母の如く迎合し、彼女の周りにはいつも馴れ合いの生ぬるい空気感が漂う。まるでおよそ暴力と名のつくあらゆる争いごと、またはその種となるものを、戒厳で禁じる宗教の祖のようであるし、信者のようでもある。
しかし、愛玩犬の始祖たるマルチーズだって、自分の尻尾を踏みつけられれば吠えもするし、主人の窮地、仇敵とみなした相手が己の縄張りに入ってくるとみるや、白くふさふさした口髭を番犬ガオガオのブルドッグのように怒らせ、普段の愛らしさからは及びもつかないような、おっかない顔をして牙を剥くものである。
だが、彼女にはそんな誇りすらない。
一触即発の修羅場においても、彼女の思うことはただ一つ。如何に自分の安寧が傷付けられずに済むか、そして次なる強者のもとで尻尾を振れるか。それだけである。
他愛ない、とどのつまり、彼女の掲げる平和とは、事勿れであり、その為には娘が傷付こうが、怒ろうが、誇りを踏み躙られようが、そのせいで生きる気力を無くしてようが、知ったことではないのだ。
一見したところの上っ面の平穏さえ、守られていれば、それでいいのだから。
だから、そうした一所に懸命になる人の気持ちも分からない。思いやりという言葉で人の成長を阻害し、差し入れという集中の邪魔をしたあげく、善意という盾を構えて己の自己中心的な平和主義だけは頑なに守り抜く。
いつも誰かに甘い顔を振り撒き、自ら率先して腹を見せ、尻尾を振りに行く。自分に害がないかのように接して良し、舐められて良しとする。どうしようもない人だと憐れまれることすら、彼女にとっては、そんなか弱い自分を、可哀想がられる自分を、際立たせる魔剤と化すのである。
こんなことがあった。
高校に上がって間もない頃、私が美術部に入ったと知るや、彼女がそれなりに高い画材を揃えて買ってきたことがある。
私は喜ぶ——どころか、当惑した。
なぜなら、それは私にとって単なる部活だ。中学の時、気晴らしに描いて地域のコンクールに応募した絵が、たまたま賞を取ったことがあって、私も絵を描くこと自体は嫌いではないから、高校に上がって美術部があると聞いて、じゃあ美術部でいいかと、そのくらいの軽い気持ちであり、そもそも絵を描くこと自体が嫌いではないというのも、創作という自分だけの世界に浸れることが好きなのであって、例えばそこに文学コンクールがあったなら小説を認めていたし、陶芸コンクールがあったなら、もしかしたら近くの職人の元に通っていたかもしれない。
所詮、死ぬまでの手慰みである。退屈な日常を紛らわせられるなら何でもよかった。
ましてや、夢とか将来の職に据える気などさらさらない。
それをこの女は勝手に舞い上がった挙句、こう宣ったのだ。
「小さい頃から絵を描くの好きだったものね。将来は画家になりなさいよ。今から美術予備校に通えば大学にだって間に合うわ」
特別好きだったわけじゃない。
画家になりたいわけでもない。
人の気持ちに土足で踏み入る、とはこのことだ。
視聴者、読者諸賢に年頃の娘さんや息子さんをお持ちになられるお父様、お母様方、並びにこれからその予定のある方がおりましたらば、是非、ここからの生意気な話は、されど耳をかっぽじってよくお聴きくださいますよう、謹んでお願い申し上げたい。
なぜ、何でもかんでもすぐ実益に結びつけようとするのか?
単に楽しいから続けていたのだ。
心の気晴らしにやっていただけのことを、なぜ将来や金や社会的利用価値、その他、名声など浅ましいものと置き換えるのか? または、置き換えられねばならないのか。
これだけで、趣味で自由にのんびりやっているものからすれば、相当な侮辱行為であり、私はそうするものをこそ本気で心の底から軽蔑する。
第一にはしたない。第二に下品であると心得よ。
世界記録保持者である、かの名スプリンターも我が国のうら若きエースにこう助言したという。
まず君のために走れ。それが(得てして)誰かのためになればいい。
趣味でやってちゃいけないのか?
暇つぶしは悪か?
否、人生など所詮死ぬまでの暇つぶしである。
なのに、役に立つことだけをしろ、あるいは自分の趣味をそのように昇華させろと言われれば、子供は必ず反発するし、逆にやる気を失う。楽しかったはずの趣味がとたんに色褪せて、つまらなく思えてくるのは専らこれが原因である。主眼が自己満足の追求から、利他の奉仕理念へと置き換わるからだ。
そもそも人間が人間だけの都合(しかもごく一部の)で作った社会のためになってそれが何であろうか。それすら趣味といえば趣味であろうが。
人間の生ほど趣味と道楽に満ちたものはない。
その役に立つ立たない論旨は、人間の存在そのものが既にして確たる反証となる、矛盾に満ち満ちた紛れもない詭弁であって、子供の柔軟な思考が——それを正しく言語化できるかはさておき——その違和感に気付かないわけはない。
更に言えば、この論旨、毒親の常套句とも見做されている。
もし、お心当たりのある親御様、おられましたら殊に注意すべし。既にお子様から見限られているのが、あなた、ということかもしれないし、またそうなりかねない一言であると存じ上げます。
ではどうすればいい——?
と聞かれるならば、趣味に関していえば、ほっとくのが一番であると私は思う。
それは子供が子供のため、自分自身のために行っていることであって、そもそもあなたの干渉の余地にない。信じることが必要になるが、賢明な諸氏のお子であらせられるならば、やがて自ら選び取ることでしょう。
その時にはそっと見守ってあげれば、それだけで救われたかと、私は思うのです。
……少し熱くなってしまったが、そんなわけで私も当然、怒髪天を衝きあげる勢いで猛反論をした。
心を刻むような決断や己の趣味さえ、先回りされ、社会の益のために召し上げろというなら、その人が欲したものは子供などではない、それは己の都合に合わせて動く奴隷畜生に他ならない。断じて己の意志持ち、自由に発想する子供ではないのだ。
ましてや、それを愛するなど、詐欺、ペテン、お為ごかしも甚だしい、寝言も大概にしろ。
私は、社会のために産まれたのでも、親の着せ替え人形でもない。
私は、私だけのものだ。
そして、私はその時こそ完璧に理解した。
この人は何も分かっちゃいない。
この人とコミュニケーションを積み上げるだけ、それこそ時間の無駄なのだと。
怒り任せに画材をぶちまけた後は、しかし居た堪れなかった。
散らばる絵の具に絵筆にスケッチブック、パレット。それらを拾い集める母の姿にやりきれず、気が狂いそうになったのをよく覚えている。
それで持ってなお、母は殊更に私の怒気から逃れるように言うのだ。
私が全部、悪いのよね。
ごめんね、と。
弱さを武器に変える人は最低劣悪だ。
なぜって?
弱さを振りかざされたら最後、人は拳の振り下ろし先すら見出せなくなるからである。従って、まるでフェアプレーなどではなく、その行為は本来レッドカード級の違反行為とみなされるべきだ。
もちろん、この他にも日々暮らすうち、積もり積もった失望に堪らず、私は次第に母と向き合うことをやめにして、同じ家にいる弱い老婆としてしか接せられなくなっていった。
しかし、ここで視聴者、読者の皆様方には謝らせていただきたい。
というのも、やはりつまらない話であった。
登場人物の身の上話というのは、分かる人には分かるだろうし、分からない人にはまるで分からないだろうし、何よりエンターテイメントにたり得ない蛇足な気がしてならない。
それが今、寝しなの夢現紛れに伝えてみて、はっきり分かった。けれど、私は珍しく推敲を重ね、ここで伝えておかねば先に機会がなく、さもなければ母との関係性があまりに不透明、人によっては不完全燃焼を抱いたまま終わりかねず、それはそれで気持ちがよろしくないかもしれないと、断腸の思いでやはり残すことにしたのである……むにゃむにゃ。
夢は続く。
「絶対いや」
別の場面に切り替わると、私は単刀直入にそう言った。
「あんなおっさんがお父さんとか……ないから」
「佐久間のおじさん、良い人よ? 私たちのことを支えてくれるって、ここの家賃だって、家計が苦しいでしょうって、半分も立て替えてくれて」
「お母さんがどんな理屈で誰と再婚しようと構わないよ。好きにすれば? けど、それで私にお父さんって呼ばせるのだけはやめて。私のお父さんは、一人だけだから」
「まだ忘れられてないの?」
私は堪らず、一言一言を刻むように切り返した。
「なんで、忘れなきゃ、いけないの? あのさ、アンタにとっては、ただの人生で付き合ったうちの一人かもしんないけど、私にとっては——」
声が強くなりかけて、私は意識して沈めた。
「せめて私が家を出てからにしてよ。高校卒業したら、出てくから。それまでは、お願いだから、もう放っといてよ。いきなり出てきてさ、あんなおっさんに馴れ馴れしく話しかけられるだけで、わかったような口利かれるだけで、それだけで全部最悪な気分になるんだって。分かってよ。それが互いのためでしょ?」
けれど言ったって聞かないことは初めから分かっている。
そんな時子供は、だから大抵は押し黙るか、そうしてコミュニケーションを拒絶し、あるいはこんな風に折り合いがつかず、自分もそこだけはどうしても譲れないという場合にのみ、ただただ平身低頭して理解——あるいは理解のない延命、延期——乞い、お願いすることしかできない。そうしてすら聞き入れてもらえないのが常である。
そもそも離婚がそうだ。
私はお父さんが好きだった。
父は博識で、まだ幼い私の他愛無く要領も得ないような駄々に等しい質問の一つをして無碍にすることなく答えてくれた、歩く百科事典のような人で、性格としてはかなり大人しめではあったと思うけれど、ボキャブラリーに富み、コミュニケーションや所作のどれ一つとっても知性に溢れ、子供の好奇心に理解を示し、また共に発見を楽しむという、私の父にはとても、とても勿体無いくらいの人格者であった。
それだけに母との意識の視線にズレがあったことは、子供心にも分かっていた。
私もそんな父の後を追うばかりで、母はきっとそれが寂しかったのだと思う。
離婚の原因は二人にしか分からないことかもしれないけれど、きっとそんなところだろう。
だから今になって母は、老いてなお、妙齢の女性のように生き生きとして、私にはそれがいたく気持ちが悪い。
そもそも釣り合いが取れていない二人が、如何にして巡り合い、子を儲けるに至ったかの方が、不思議なくらいだった。
だから、本当は私も父と行きたかったし、素直にそうすべきだったのだと思うし、今でも後悔し続けている。
どちらかを選べ。
しかし、その選択肢が委ねられた時……なのに——なのに、私は。
突然、落雷でもあったかのような一際やかましい音が立って、私はそこでまたはっきりと覚醒した。




