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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
現代編

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7. 『乙女が一人下校旅絵巻と猫の死骸』




 明くる日の放課後も柴田がついてきた。それも、今度は猿彦をつれて。


 ご多分に漏れず晴子は部活でいない。

 帰りのグラウンドで陸上部のコーチの元に足しげく通うのを見たばかりであった。

 

 そこで、私が悠々自適に一人でくつろぐプランを立てていたところ、それを事もあろうに、なんか寂しそうだったから、という極めて不躾ぶしつけかつ傲岸不遜ごうがんふそん、無神経の最たる一言で持ってしたりげに近づき、二人は我と帰路を共にし出したのであった。


 これはさしもの我とて、噴飯物ふんぱんものであった。


 そうとも、一人称を忘れるくらいの怒り心頭に発し、我の予定していた当初の華麗にして尊い、乙女が一人下校旅絵巻をして、よっぽど聞かせてやろうかと思ったので、視聴者、読者の皆様にはぜひにも聞いて頂こうかと思う。


 付き合う余裕もないほど、時間に貧する身分であらせられるというなら、ここは飛ばしてもらっても構わない。所詮は乙女の、尊い妄想である。


 まず我は贔屓ひいきにしている喫茶店に立ち寄る。ここには久しぶりのことなので、それだけで気分は明るく、足取りも軽くなる。そうしてこぎつけた窓際の席で、我は前回と同じコーヒーを一杯いただき、読書にふけること数分、頃合いを見計い、ふと思いついたかのように、窓から空を見る——。


 ……あゝ、このどこまでも続く空の下、あなたは今も息災でいらっしゃいますか——と、物憂げな表情を浮かべながら。


 すると、どうだろう。


 この目立つわけでも、地味なわけでもない、これといった特徴もなく、地球上に似た店舗が五万とあるような、ごく普遍的な喫茶の風景が、私という見賢思斉な文学少女の来訪により、突如、甘く芳しい恋物語のワンシーンのようになったではないか。


 店と同じく、どこにでもいるような中年のマスターに、どこにでもいるような大学生のバイトは、そんな私の横顔から、可憐で素敵な背景を一つと言わず想像せしめ、変わり映えのない日常に細やかな彩りを加えて、明日への活力に変えるのである。


 これがまず一つ。

 もう一つはもっと痛快である。


 その喫茶店を出て、次に向かうのは、これまで幾人もの敬虔けいけんな婦女子を養成してきた、淑女御用達の青い看板のお店である。


 そうだ、あなたが今思い浮かべたもので間違いがない。オレンジ色の方でも良いが、やはりスタンダードは青い方であろう。オレンジ色のはトランプに対するUNO、コカコーラに対するペプシのようなものであると思っている。

 緑の看板は取扱物が大人すぎるコーナーもあって入れない。


 そこは知っての通り、婦女子御用達であるが、同時にそんな花の蜜の香りに吸い寄せられた冴えない異性の群れも多く散見される。


 彼らはこの平日の昼日中から時間を持て余してしまい、おそらく連れ立つ彼女もおらず、一人寂しく、新刊出てないかなーとか、俺これ好きなんだよねーってこれ見よがしに流行りか極端にマイナーな一冊を手にとっては、誰にともなく、しかし誰かに気付かれたいと切実に思っている、哀れで、けれど幼気な、生物界の神秘的階層の住人である。御用達の店にいついた妖精と思ってもらって差し支えがない。


 そうして寂しげに(そう、彼らにこそこんな言葉は相応しい)商品を買うでもなく、店を出るでもなく、あてもなければ、出会いもなく、売り場をうろつく彼らの涙を禁じ得ない習性観察を堪能したのち、私はその憐れみに耐えかね、一つ嘆息を溢すと、彼らに施しを下賜かしする。


 まるでネンネのような、あたかも初めて来て目当ての売り場が分からないんです、といった白黒した顔をしてそっと彼らに近づくや、私はわざと髪が揺れ、匂い立つようにして、その脇をすり抜けるのである。


 はい、ドーン。

 お前も堕ちたーお前もお前もじゃーと、並び立つその滑稽な顔する傍を牛蒡ごぼう抜き……もとい尻目に、哀れな童貞どもに、そうして一時の清涼感を届けてやるのだ。


 わざとらしいくらいでいい。あからさまなくらいが奴らチェリーボーイにはちょうど良い。


 そうして街の、今日も恵まれない男どもに束の間、夢の邂逅かいこうを楽しんでもらいながら、逍遥自在しょうようじざいはのんびり優雅に、私はゆるりと帰路に着く。


 そういう、げに尊き有意義な時間の使い方だってあったのだ。


 それをこのペラ田野郎は。


 視聴者、読者の男性諸君はこぞってこの男にヘイトをぶつけるがよい。此奴の真、無礼な一言で、私……ああいや我……もうどっちでもいいや、は憤懣ふんまんやるかたなし、計画はおじゃんになった。この日の哀れな迷い子らが、救われずじまいになったのは、全て、この男の余計な一言のせいである。


 一方の猿彦にしても、柴田といるに連れ、段々と柴田に似てきたように思われた。


「仲良くだから。中野区みたいな発音」

「違う違う、勝之、違うって。仲良くだって。仲、良くみたいな、一拍置く感じ」

「それじゃ、中じゃん。仲じゃないじゃん。どこの方言だよそれ。中がええのんかってA○のおっさんみたいな感じになっちゃうだろ……お、わりぃ、千歳」

「別に……」


 勝之とは柴田のファーストネームである。柴田 勝之がフルネーム。


「じゃあ、く○もんは?」

「く○もん? え、猿彦、お前今どう言った?」

「目のクマに、何者だよお前……、のモンを合わせる感じ。クレヨンの発音。まを強調する感じ、く○もん」


 猿彦がジェットコースターの軌道を宙に描くように指を下から上に滑らせて言うと、すぐに柴田は笑った。


「待て、ぜっ……たい違うから!! クマーだから、あれ。く○も……あれ? クマーもん……く○もん……やべ、俺も分かんなくなってきた」


 このように既に一日目の理知的なイメージはコーヒーに溶けゆく角砂糖のように脆くも崩れ去り、今では名実ともにアホ二号の地位を私の中で確立しつつあった。

 一号はいうまでもなく柴田である。

 柴田が二匹、背筋の凍るような光景である。


(クッソどうでもいい……そもそも二人とも違うから。熊本の派生だから。抑揚なく、く○もんが正解だから……なんで男子って云々……)


 と、その時だ。


 私は二人より少し前を歩いていたから、一足早くその状況に気付いた。


 境内に続く階段前の通り、少し前を先行く同校の生徒がそこで、車道の一点を見ては口々に何かを囁き交わしている。


 車も、気付くと車線をそこだけ器用に避けていく。


 私は彼女らの目線を辿って、それを見つけた。


 直近の車が過ぎるのも待たずに——気付くと飛び出していた。


 待てば、またかれてしまうかもしれない。


 目を覆いたくなるような瞬間にも、私の目にはそれしか映っていない。


 後ろから二人の声が聞こえ、すんでのところで私を避けた車からも怒号が響いたようだが、私にはどうでもいい。


 そう、どうでもいいのだ。

 この取るにたらない私の命なんて。


 私は一も二もなく駆け出し、車道の真ん中に伏せったままの、その子の元に着いていた。


 間もなく二人も到着する。柴田が、自転車を片手で抑え、ちょっと強めに私の頭を叩いた。


「馬鹿野郎! 千歳、お前、いきなり何して……」


 私は答えなかった。

 代わりにその場でスカートをたたみ、膝を折る。


 そして、そっと、その横たわった頭を撫でた。


 生前に、誰かにそうしてもらったことは、果たしてあっただろうか。


 少なくとも、今は私がそうしている。

 私が見つけている。


 もう、遅くとも。


 醜くひしゃげた猫の死骸が、目の前に転がっていた。


 大きさからいって年頃は過ぎているようだったが、老猫かは私の目には分からない。


 私は緩やかに頬をあげて、生体にそうするのと何ら変わりなく、中指で眉間をなぞり、頭部に手のひらを置いて、撫でる。


 この子は全うしたのだ。

 休んでいる。


 しかし死は、決して悲しいことではないと思う。

 それはきっと、魂の休息だから。


 死ねて、良かったのだ。

 私はそう思う。


 ふと気づくと、猿彦の顔がすぐ横にあった。それで、私とは違って、医師が触診するように各部に指先を触れている。


「何回か、かれてるね」

「……分かるの?」

「ま、普段、骨ばっか見てきたし、剥製はくせいなんかの依頼もあるから」


 その顔はこれまで見てきたどの顔とも違う。無表情というには感情的であって、怒っているというにはあまりにも無機質に接する意志を感じる、そんな複雑な顔つきだった。


 彼にとっては標本の一つのようでしかないのか——あるいはだからこそ、何か思うところがあるのかもしれない。


 何にせよ、埋めてあげなければ……と立ちあがろうとした時、二人の向こうから更にもう一台の、今度はトラックが迫ってきていた。


 飽きもせず、それはわざとらしくクラクションとブレーキ音を掻き鳴らすと、私たちのそばを過ぎ去って、醜い豚の悲鳴にも似た雑言を私たちに向かって飛ばしていく。


 目の前が真っ赤になるというのは、最近見た海外のドラマのセリフじゃないが、本当だ。


 けれど、このお優しい人間の支配する世界では、その怒りを晴らそうとするや、どこからともなく正義の使者がやってきて、私たちの邪魔をする。


 そう、邪魔だ。

 それらがまとめて、私にとっては、雑音だ。


 私には、ウェイストランドで金網を巻きつけたバットを片手に、当たり前の正義と暴力を行使する、あのおじさまの生き方がひどく羨ましい。


 彼の姿こそ、私にとってはヒーローだ。彼を思うと、自信と勇気が湧いてくる。


 あぶねぇ?

 危ねぇだって?

 てめえ、目の前のこれ見て何言ってんだよ……。

 私は車が嫌いだ。

 品がない。

 放屁のようなガスの匂いと音が、

 草木を踏み荒らす汚いゴムの塊が、

 そこに乗り、踏ん反り返ったぶ厚い面の皮した俗物が。


 だから、大嫌いだった——。


 私はとっさに中指を立てて返していた。


「うるっせえ!! あぶねぇじゃねぇだろうがよ!! ここはてめぇらのための場所でもなんでもねぇだろうが!! 勝手に車走らせてんのは、てめぇの方だろうが!! この勘違い野郎っ!!」


 私の中指と罵声に応じるように、近くの駐車場に横付けてトラックが止まり、中からチンピラ然とした中年の男が出てくる。


 柴田が後ろで、「おいおい……」と呟いた。


 降りてきて間もなく、先ほどと同じ意味の文句を捲し立てる中年の男に私は応戦する。


「ふざけんなよ、てめえ!! 現に命を奪っといて!! 偉そうなこと言ってんじゃねぇ!! 何様のつもりだ、申し訳ないとか思わないのかよ!!」


 私は西洋の剣を地面に突き立てるように、人差し指をコンクリートの足元に指して続ける。


「言え!! 頭下げて詫びろ!! わざわざ道を空けさせてしまって申し訳ございませんって、全ての生き物に平身低頭して謝れ!!」

「はぁ?! 俺に関係ねーだろうが!!」

「それが分かってねぇってんだよ、クソジジイ!!」

「この……ガキだからって、調子こいてっといい加減……」


 そう言って拳を合わせ、関節を鳴らす中年の男の前に、両手を広げた柴田が情けない顔をして、立ち入った。柴田の背丈は既に大人の男と遜色がないどころか、それよりもやや高くすらある。


「まぁまぁ!! すんません。あの、コイツ、アホなんで——ええ、ええ、俺からもキツく言っとくんで、若気の至りだと思って、勘弁してくれませんか……。——ほら、千歳も、いい加減にしとけ。謝れ」

「意味わかんない。なんで私が!!」

「いいから、とりあえずやっとけって」


 柴田は親が子にそうするように、私の頭を押さえるや無理やり下げさせる。私は抵抗するが、柴田の方が力が強い。


 しかし、中年の男の横暴はそれで治らなかった。

 ソイツは二言三言文句言って柴田の胸ぐらを掴むや、有無を言わさず一撃、頬に見舞ったのである。


 鈍い音がして、私は叫んだ。


「柴田っ——!!」


 それを満足げに見下ろして、目の前の中年の男が笑う。


「ヒヒ、可愛い声も出んじゃねえか。おい、この坊主に礼言っとけよ。でなきゃ、そのでけえおっぱい、剥いじまう——」


 中年の男はその物言いを中途で切った。

 頬を打たれて顔を逸らしていた柴田の目線に気付いたのだ。


 口元から薄く血が流れたその表情は、中学の時、一日一喧嘩をモットーにするくらい、荒れに荒れてた頃を彷彿とさせる、生ける鬼のような面構えだった。


「——あ?」


 中年の男が短く、唾を呑むのが分かった。


「おっさん、てめえ、今……何つった? ——俺の千歳に何するってぇ?!」


 誰もお前のになったつもりはないが、中年の男は本気モードの柴田のガン飛ばしに気圧されて、後ずさりながら言う。


「何もしねえよ。第一お前らが道路のど真ん中で——」


 まさに風林火山、柴田は静かに進んだかと思うと、目にも止まらない速さで中年の男の胸ぐらを掴んでいた。


「あぁ?! てめえ、今、セクハラかましたろ!! 千歳のおっぱいがどうとかってよ!! 千歳のおっぱいは俺のだから、両方とも俺の、先約済みだから!! 唾つけようたぁ、それだけで万死に値すんだよ!! 覚えとけや、このボケ!!」


 てめえも十分セクハラだろ、と思ったのはさておき、中年の男の後ろから幾分か若い青年が出てきて、その腕を揺すっていた。


「ヤバいっすよ、先輩、コイツら……目が。たぶん、頭も……ぶっ飛んでやがる」


 それで、もう一悶着あるか——と私が身構えたところ、背後から声がした。猿彦のではない。


「こらこら、君たち、喧嘩はおやめなさい」


 境内から降りてきた住職であった。


 しかし、その場の誰よりもガタイがよくて背が高い。

 格闘技かバスケ選手なら大成しているのでは? と思わせる体格から、されどまるで正反対のイメージで放たれたそのいたく温和な鶴の一声で、私も柴田も、運転手の二人も、瞬く間に悋気をおさめ、運転手の二人はトラックにすごすごと退散を決め込んだ。


 残った私たち三人を順番に見ていき、猿彦のところで住職の目が止まる。柴田の自転車は、今は猿彦が預かっていた。


「おや、君は華藤さんとこの……」


 猿彦は何も言わず、ただ少し頭を下げて返した。




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