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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
未来編

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4. 『作者不明・絵画、私のたった一つの願い』




 それはウルゴスの言うようにどれも波乱に満ちているものだった。


 不安が常に胸にある。

 もどかしい。

 届きそうで届かなかったり、いっそ手を差し伸べてやりたくなる場面もあり、かと思えばウルゴスの言うように、突然なんでもないかのように見えた事柄から繋がりだすこともある。まさに波瀾万丈はらんばんじょう塞翁さいおうが馬。作られた夢などでは味わえないスリルに、私はすぐに夢中になった。


 私たちの余暇よかを満たすものは、もちろん、それだけではなく、芸術もたっとばれた。


 私の敬愛する、かの偉大なる哲学者もこれに関しては、諸手を挙げて賛美の声をかけている。いわく。


『芸術こそ至上である! それは生きることを可能にする偉大なるもの。生への偉大なる誘惑者。生の大きな刺激である』


 音楽、絵画、彫刻、文学、映像。とりわけ重要なのは創造性、独創性。俗世に迎合せず、大衆の集合的無意識にすることもなく、己の血で育まれ、起こされ、そして孤独な作者の自己満足に終わるものであることが、私のささやかなこだわり。


 孤独であることが大切だ。

 芸術は集団によっては堕する。


 それは脂肪であって、んだ個人の思考を妨げるものであって、もし集団で築こうとする場合には、大多数は、一人の偉大な芸術家の元に集う手足となるのが最も望ましい。


 疑義を抱いてはならぬ。

 恥じてはならぬ。


 おのが狂気を持って脈々と波打つ血潮をぶつけるかの如き表現のみに時間を費やす。その精錬された刻と居続けた作者の濾過ろかされた精神が、作品に神性を宿す。


 私はその時間が好きだ。


 一人で、何かに没頭する。


 世界のことなど知るものか。

 他人のことなど知るものか。


 電子の手紙などまったく余計なお世話である。


 愛しい人からのものだけは別であるが、

 それらは削ぎ落とすべき脂肪だ。


 余計で瑣末さまつな事情など、メガネにこびりつく人の脂程度の価値ほどもない。


 遠い日の歌にもある。


 憎まれてもいい。世界に許されなくてもいい。


 社会はいらない。生きようと思う必要もない。


 明日死ぬかもしれない。


 ただ一つの想いを伝えたい。それだけでいい。


 その幻想的な想像の刹那に火花を散らすと、しかし時間はあっという間に過ぎていく。


 先人たちの作品を眺める時間はまた同じように尊いものだった。


 私はりに凝って、自宅に専用のギャラリーを設けて、ウルゴスも招いた。


 赤いビロードのような壁紙を貼り付けておごそかに、時に蒼く金色の刺繍ししゅうで細部を装飾し、深海のアクアリウムのような静観さでしつらえ、堪能した。


「……ボッティチェリ、ブリューゲル、ヒエロニムス、ドガ、ゴッホ、クリムト、モネ、マネ、ミレーにミュシャ。歌川国貞、葛飾北斎……おや、これは?」

「それは作者の名前がないの」

「タイトルはあるのに」


 ウルゴスが指したのは、未完の水彩画であった。


 肌色を中心とした温みを感じる色合いで、反面色彩には乏しい。作者は不明だが、気に入っている。


 マトリョーシカのように全体的に丸みを帯びた、おそらく母と父、両親の間に抱かれた赤子。おくるみに包まれた赤子も、皆、まぶたを閉じて、その出逢いを噛み締めているかのような構図になっている。


 ありがちだが、なぜこれが気になったかと言えば、女性の表情である。


 出逢いを噛み締めるといったが、どこか儚く、時に苦しげにも見えるその難しい表情がいたく気に入って、私は名だたる画家に恥じない逸品であると、ここに飾っていた。


「"私のたった一つの願い"……"貴婦人と一角獣"かな。それをもじって、自分の願望になぞらえた」

「私もそう思う。きっと叶わなかった願いなんだ」

「とても苦しげだ。胸がつまされる」

「うん。でもね、ここ、よく見て——」


 私は正面から望むウルゴスの背後から回りこんで、右手の母親の表情を指差した。


かすれているでしょ? 描き直そうとしているように見える」

「そうかな?」

「そう見える。いつまで経ってもこの表情が決まらなかった……そんな風に見える」

「で、結局、完成はしなかった。私にはやっぱりこの表情で合ってる気がするけどなぁ。作者もそれでいいと思ったんじゃない? よくあることだよ」


 ウルゴスは腕を組んで、首をひねりながらそう言った。けれど気に入ってもいるのが分かる。


 ちなみにここ数百年はもうずっと女性の義体で通していて、声調、口調までもボーイッシュな女性然として振る舞うのがウルゴスになっていた。


「どこで見つけたの?」

「それがわからないの」

「分からない? そんなことある?」

「初めに見つけたのは、ある豪奢ごうしゃな家庭の一室。気になって少し辿ってみたらね、持ち主を転々としているの」

「へぇ……」

「その前は古いアパート。盗み出されて、海外に売り飛ばされたのを買ったのが、その家の主人だったのね。その前はとある学校の一室。資産家の持ち物で寄贈きぞうされたものだった。資産家の前は砂漠の国の骨董品店。それから、ごく普通の庶民の家。その前は雪深い山の奥のログハウス。その前は……」

「ずっとそうして一ヶ所にとどまらない?」

「そう。キリがないでしょ?」

「……なんかオカルトじみてきたね」

「手にした人もね、手放さなきゃって使命感が不思議と芽生えたみたい。——"そして世界が終わる日に"」

「……なに、それ?」

「口々に皆いうんだ。世界が終わる日に、届けなければって。なにかに取り憑かれたみたいにね」


 ウルゴスは真剣というよりは、そこでぴたっと表情を失ったようにして、仕切りに目だけを瞬かせて、じっと私を見つめている。


「ウルゴス……?」

「……バオト、なんともない?」

「え——あー、今のところは」

「燃やした方が良くない? 住職さん呼んで」

「えー! ダメだよ。それにこれ、記録からの複製だし、本物はきっともうどこにもないよ」

「コンソール開けて。デリートしたほうがいい」

「ダメだよ!」


 有名な絵画もあれば、そんな、記録の中で見つけた名もなき名画家によるものもあり、前述のこだわりでもって選び抜いた作品たちを二人ででる時間は官能的でさえある。


 それから、居間に戻ってチーズをかじり、オリーブを摘み、ワインをたしなみ、レコードのり切れるようでいて絶妙に調和された味わい深い音で耳をくすぐりながら、次第に込み上げてくる互いの原始的欲求に心ゆくまで身を任せる。


 迎える朝には少し重たい頭に、微睡に、それら気だるさの中に幸せを覚えた。


 そうだ。幸せだった。


 私はそんなウルゴスとの交わりの中に、束の間、一つの理を見出していた。


 それは大切な気持ちだ。


 あまり、多弁に使うものではない。言葉にしてしまうのは勿体ない。ウルゴスの腕に包まりながら、私はそっと胸の内にしまい込んでおくことにした。それが愛嬌だ。いつくしむということだ。




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