1. 『ファーストコンタクト』
『未来編・あらすじ』
人工子宮で生まれ、魂を機械に宿す未来世界。
監視者として生まれたバオトは、運命に導かれるようにウルゴスと出会う。二人は、かつて愛し合いながら引き裂かれた魂の続きを生きていた。
やがてバオトは知る。
人類の多くは『プラネタリウム』の中で夢に逃げ、現実を手放していたことを。
その歪みに絶望したウルゴスは、すべてを終わらせようとする。
眠り続ける人類ごと、この世界を。
止めなければならない。
そう悟ったバオトは彼のもとへ辿り着き、銃を向ける。
愛した相手を止めるために。
世界を終わらせないために。
——それでも、彼を救うために。
——今、大人になった全ての人たちに。
その世界で——もうネタバレのように言ってしまうと、"その一連の時系列"において——前章の白上 結斗、松原 千歳が行き着いた果ての、魂の揺籠は、女の生体……つまり、私だった。
あらゆる生命、物理を超越したこの未来の世だって、産まれた時から機械の身体に魂を宿しているわけではないから、生物の生誕には必ず生身の胚が使用される。
魂の精製には自然の力が必須である、それはどれだけ科学技術が進歩しようとも変わらない、避けては通れないへその緒のような形而上の世界へと繋がる"道"だろうとされている。
だから、精子と卵子を提供した母も父もどこかにはいるはずである。
ただし、趣味でそうする場合を除き、もう母体、子宮を経ることはない。人工子宮の生産によって、人はその肉体の、大いなる構造的欠陥の一つである、出産時の母体、胎児のリスクを克服した。
私たちは体外であるが、子宮と同じ環境を再現した水槽の中で受精し、胚発生を経て、生命がこれまで辿ってきた幾億年分もの記憶を思い返しつつ育った、いわゆる、デザイナーベイビーである。
そして、胚発生からおよそ十三年を迎えるまで、その中で育成される。
実は人体の脳は、他の動物と比べて、出産時にはあまりに未熟である。しかし、成熟を待って出産となると、今度はその脳の大きさゆえに出てこれない。それで未熟なままの出産を余儀なくされていた結果、ヒトの赤子は、他の野生動物と比べて著しく生存能力に乏しいという一大欠陥があったのだ。
だが、人工子宮内の育成であれば、その欠陥は排除できる。
関連して母体にかかる負担もなくなった。人間の胎児を襲う天敵など有史以来、銀河を経てさえ、いないから(人間以外には)、こちらのメリットの方が甚だ大きいといえるだろう。私たちはゆるゆるとその成熟を待って水槽から排出され、その数秒後には、自力で歩け、かつ明確な自意識を持って行動することが可能となる。
だから、最初の記憶は、水槽の中から見る科学者たちの姿。手元の拡張現実コンソールを用いて、何かを記録したり、そのまま私たちに話しかけてくる姿だ。自由に動き回れないことを除けば従来の子育てと差はなく、従来のヒトに合わせた年齢相応の知識をその水槽越しに学習する。
しかし、出来上がったままの姿で以て、周りからは丸見えの、透明のヒト用試験管の中で浮く様を観察されつづけ、時には声かけによる育成もされるとなると、これはこれで恥ずかしいものがある。例えジェンダー的に配慮され、同性による監視者しかいないとしてもだ。プライバシーも何もあったものではない。
「生体認識コード:FA990818010。自我の形成を確認しました……おはよう、No.8010。そう、分かるわね? それが貴方よ」
FAは二百五十番目の植民星を、99は役職を、081は元となったヒト遺伝子の祖を、その後の四桁の数字が個体番号を、それぞれ示す。
私は二百五十番目の未開拓惑星の、"プラネタリウム"の監視者として産まれた、先祖を日本に持つ、8010番目の子供ということであった。
要職に就くのは、下9999番までで、以降は特に役割のない住民ABCD……となり、私たちのそれとは完全に別個として育てられる。どちらがいいかはさておき、役職に選ばれたという観点から言えば、誇らしくもあった。
身体の成長が満十二年を迎えると、水槽から排出され、生誕を迎える。
羊水ごと研究所の冷たい床の上に吐き出された私は、初めて自力で捉える酸素の匂いに頭がくらくらしてむせ返り、食道、気道に残留する羊水を戻しながら、しばらくの間、悶絶した。
酸素は猛毒であり、それが人体に悪影響を与えずに済んでいるのは窒素、アルゴン、二酸化炭素等々、周囲の気体とうまいこと調和して、肺に届くのがごく少量であるからだ。
私たちが平常、肉体を維持できるのは、この気体の重さが肉体の内と外で釣り合っているからだ。低気圧になると身体は無軌道に放出しそうになって体調を悪くし、深海に進むと水の重みで潰れてしまうのは、そのバランスを失うためだ。
私は苦悶の中で涙する。
身に沁みてそれらの法則を実感する。
この世界は、生物が生きるための針の穴を通すような奇跡に満ちている。
床にこぼれた羊水の中から、震える両脚で立ち上がると、正常であると見なされ、私は拍手で迎えられた。
羊水は鉄製に見える床にとたんに染み込んでいき、消失する。私の身体を伝う分も、気付けば蒸発して、水滴による不快感はもうなかった。べたつきもない。
改めて深呼吸する。もう苦しくはない。生臭さも感じない。気体の毒性に身体が適応している。それから、周りの科学者たちの顔を見て、
「アイミさん、クミナさん、サナエさん、トウコさん……」
一人一人、名前を呼んでいくと、嬉しそうに頬を綻ばせて、こう言った。
「おめでとう」
「あ……りがとう」
私はそれまでに蓄積した知識を併せて急速に学習し、発声をこなした。
しかし、この時の"おめでとう"の本当の意味を、産まれたばかりの私はまだ知らない。
初めて食べるパンはバターの香りが甘く、牛乳はひどく生臭い匂いがした。緑茶は埃臭いが喉がすっきりし、紅茶は花の蜜のような味、コーヒーは目の醒める味わい。炭酸は梅干しやチーズのように特殊な飲み物だと悟り、チョコの中毒性に目を輝かせたものだ。
その十日後。無事、健康診断をパスして、晴れて模擬修学校に入学し、初めての座学を経験した後のこと。
つまり、昔風に言うなら、初めての放課後。
私の目の前には紺碧のオカッパ頭の少年の顔があった。
「僕はNo.0653だ。それ以外は君と同じ。皆はもじってウルゴスって呼んでる。君もそうするといい」
彼は長い講義机にあぐらをかくように膝を乗せて、片方の足だけ垂らし、前の席に座る私を見下ろしていた。同じ99番で、いずれ同じ職場に配置される運命である。
私はすでに振り返っていて、彼の誤謬を指摘するように言った。
「もじる?」
「0がオーとかウーとか、おそらく口の形から。6はムとかラ行。5はそのまま。3もサ行でしょ。で、ウルゴス。古い神様の名前で、僕は嫌いじゃない。少なくとも数字の羅列よりは気に入ってる」
それは語呂合わせというんだよ、もじるとはちょっと違う意味だ。そう含めた発言は伝わってか伝わらずか——、たぶん前者だろう、彼はあからさまにその意図は無視して抑揚なく続けるので、私も忘れて、古い神様の名前という点に意識を移した。
「ウルゴス……」
まだ生身の身体なので、手首に付けた腕輪から拡張現実コンソールを呼び出して検索をかけると、ヒットしたのはデミウルゴスだ。
世界の創造主の一柱……そして——。
「——奇遇だろう? "バオト"」
ウルゴスが先んじて言い、私のことを指してそう呼んだ。彼は前述の体勢から、首をほぼ真横にして、私が開いた手首の端末画面を覗き込むと、次いでそのまま私を見た。
突然、近づいてきたのにはびっくりして、鬱陶しくも思われたが、その見目麗しい顔の造形は決して……うん、そうだ。彼の放たれたばかりの言葉を借りれば、そう、嫌いじゃない。
彼の青く黒い前髪が、重力に大人しく従って垂れ下がる。その分け目から覗いた桜色の両目は人形の目のように透き通って見えた。きらきらとガラス玉のように反射して光っている。
その目に私は、どんな姿で見えているのだろう。私と同じようであれば、きっと嬉しいと思う。
「バオト……?」
「そう。僕はこの羅列に運命的なものを感じた。だから、君のことをそう呼ぶ。初めて自分を意識した時から、僕はずっと君を探してたんだ。水槽を出たら、必ず会ってみたいと思い焦がれていた。No.8010、バオト……」
それがウルゴスとのファーストコンタクトだった。彼が水瀬 織姫、華藤 猿彦に連なる魂の持ち主だと知ったのは、それからもう随分と後のことになる。




