表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
織姫リフレイン編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/63

17(終). 『そして終わりへと』




 明くる日、私は鏡の前だった。手につかまれた一本の頭髪に眩暈がした。


 白髪だ。

 私に白髪が生えている。


 鏡を通してよく見てみれば、張りのなくなり、だらしなく垂れ下がっていく頬に目尻に、額の吹き出物がやたら目についた。


 ピークはいつだったのだ?


 私は気付かずして、その線を越えてしまっていたに違いない。


 人間の適齢寿命は四十一歳。


 生きるだけで、刻々《こくこく》とむしばまれていく……。


 一度短くなったテロメアは戻らず、それはあたかも思い出さえ食い潰していくのようだった。


 あとは、壊れていくだけだ。


 所詮、私も人の子。私だって、世界に有象無象にうごめく、一つのモブに過ぎないのだ。


 本当に何かを成せると思っていたのか?

 ただ幼馴染に甘ったれていただけの子供の自分が。


 その発言が、生き様が、誰かの心に届いて、世界が変わるかもしれないなんて……!!


 折れる……心が。否、もうとっくに折れていたのだ。

 "そんなこと"、うまくいくわけがないとどこかで思っていた。


 ずっと昔、私自身で子供の自分を押さえつけた時から。

 折れていたのを、そうではないように気丈に見せかけていただけ。


 悔しい。

 初めての感情かもしれない。

 いや、それは激情だ。

 今になって、人間のピークの短さが堪らない。

 悔しい。

 悔しい。

 負けたくない。

 届かせたいのに。

 まだやれる、やっと掴めてきたところなのに。

 自分の身体はもう萎びていく。

 もう、老いていく。


 どれだけせがもうと、どれだけ懇願しようとも、時の針は戻らない。


 時間はもうない。


 私は気付けば太ももを、あるいは壁を、洗面台を、殴りつけていた。


 悔しい。

 たまらない。


 結局、私は何も成せないまま——!!


 何度目かになる自傷行為の暴発——、

 のはずが、食い止められていた。


 画家の男である。


 それが私のかたわらに立ち、腕を掴んで、呟くように言う。


「何やってるの」

「気分が悪い。失せろ」


 男は首を振る。私は腕を振って暴れた。掴まれた腕が使えないなら、反対の手で、足で、頭で、歯で、男を傷付ける。


 けれども男は何も言わない。

 ただじっと私の暴力を受けて堪える。


 なぜ。

 そうまでして、私とヤリたいのか。


 たったそれだけのために、全身に生傷を作って、こんな八歳も年下の女に四六時中、罵倒ばとうされて、悔しくもないのか。


 しかし、男がふいに私を抱きしめた。


 傷だらけの腕で、あざだらけの腹に、私を抱え込んで言う。


「君は美しい。僕が見てきたどんな芸術よりも、とうとく、はかない。それは死によって確立されるものじゃない、生の中でだんだんと壊れていく、人間そのものの有様だからだ。僕はそこに見惚みとれてやまない。そのためなら僕は何だって耐えられる。——生きろ、織姫。君ほど、人間にふさわしい人は他にいない」


 馬鹿かと思った。私は笑う。


「私、あなたの名前さえ覚えていないのに」

「僕の名前なんてさしたる意味はない。僕なんかギャラリーの一人でいいんだ。ただし、特等席で——」


 男は私の目元をすくうようにしてから、その指先を見せた。そこには透明な液体が付着している。


 いつからか、涙が出ていたようだ。


 再び目元に手をやりながら、男は続ける。


「——他の客が知らない部分さえ見ていたい。これだけは譲れない」


 あゝ……と気付いた。


 そう、馬鹿なのだ。馬鹿でなくては、こんな女に付き合えるはずもない。


 コイツもまた、ホモ・サピエンスとしてどこか逸脱いつだつしている、気狂いなのだと分からされ、私は、心の中でもう遠いあの人の幻影につぶやいた。


 ごめん、結斗——。


 けれども皮肉なことに、結斗を想って、その人に抱かれることは至上の快楽を伴っていた。


 まるでスワッピングでもしているような気にもなった。


 結斗も同じ想いで、いやだからこそ余計に、麻倉さんを執拗しつように抱いただろうその様が、容易よういに目に浮かぶ。そう思うと、彼と同じところに行けた気がして、嬉しくも思ったのだ。


 あとにくる痛烈な後悔さえ、余興に思えた。


 どうにか単位を取得し、形ばかりの卒論を整えて、一年遅れで大学を卒業すると、私は事実婚というようにその画家の部屋に転がり込んだ。


 アトリエで手伝いをしつつ、自分の絵を手がける日々が数年続いて、それでもいいかと思った時もあった——が、突然湧きあがった吐き気が私を鏡の前に押し戻した。


 それは身籠みごもっている、という事実の確認でもあったし、その数年、溜め込んだ違和感の発露はつろでもあった。


 本当にこれでよかったのか?


 そして産まれた子供を、私は果たして、自分が望んでいた親のように、愛せるのだろうか。


 無理だ、絶対に無理だ。


 その子が成長するたび、そしてこの男に似てくるたび、私はきっと憎悪する。悔やむ。私は、結斗の幻影をまた追い求めて、彷徨さまよってしまうに違いない。今度はもっと下劣で淫猥いんわいな行為に走るかもしれない。


 なぜならその子は、最も身近で、私を常に監視するようにまとわりついて離れない、悪魔のような、私の人生に彫られた刺青、そのものなのだから。


 私に似てくれればいい?


 ……そうかもしれない。メンデルの法則ではどうだったか。その確率は如何程になるか、私は大学を離れて鈍くなった頭で必死に計算するも、曖昧な定義しか浮かんでこなくなっていた。


 違う……私が子供を連れている、というその事実が、紛れもない結斗以外のだれかと愛し合った証明じゃないか。


 潔癖けっぺきがすぎると思うかもしれない。

 けど、私がこの世で最も嫌なものが、そうした人間の軽薄さなのだ。


 まだ間に合う……。

 私はそうなりたくなかった。


 あの時のように、今度こそ、自分で自分を押さえつける気にはもう、ならなかった。


 私からこの子にかけられる愛があるとするならば、それが、宿っていたという事実すら消し去ることだ。


 私は完成間近の絵をキャンパスに置いたまま、アトリエを飛び出した。


 ◯


 私は最後に見ておくことにした。

 思い出を抱きしめるように。

 その事実だけが、いつも私をなぐさめてくれたものだから。


 途中誰かに声をかけられた気がしたが、ちらとみると顔見知りでもなかったので無視し、結斗と訪れた場所を一通り見て回って、辿り着いたのは、あの海辺の公園の果ての空き地。


 そこだけまるであの日に帰ったように、何も変わっていなかった。


 もしかしたら本当に時間が進んでいないのでは、と錯覚するほど、辺りに散らばる雑草の背丈さえおなじだった。


 そこから見える海原も、木々の間に開けた夜空も、あの日のままだ。


 崖側に立ち、ふと隣を見ると女の子がいた。


 私を見て可愛らしく微笑むと、女の子は言う。

 女の子は気づいている。

 汚れ切ってしまった私。

 残骸ざんがいもないほどに、醜く落ちぶれてしまった私に。

 けれど、困ったようにそうして笑って、言うのだ。


 大丈夫。

 寂しくないよ。

 私が一緒にいる。


 お姫様の私だけは、いつまでも、あなたと一緒にいてあげられる。


「本当にそうだったね。今までありがとう、織姫ちゃん。ごめんね。私のようになってほしくないんだよ。わかってくれるよね——」


 やはり、私は産まれるべきではなかった。


 けれどもそのことを忘れて、私はこうしてしまうのだと思う。

 きっと、何度生まれ変わっても。


 その時々に応じて、もっと早まるかもしれない。

 死にたがりの恋人となって、あなたの前に現れてしまうに違いない。


 汚れ切った大人の私と、お姫様の私。

 どちらがどちらか、わたしにはもう分からなかった。


 わたしたちは手をつなぐと、足を一歩前に踏み出した。



 ————。



 それはモニターで眺める、というよりも、もう記憶の追体験に等しい。


 "私たち"は、既にそうして脳内に直接映像を流し込み、神経を通して体験する技術を手に入れていた。


 水瀬 織姫が港の公園にある崖から転落して、海面に激突し、その意識が消失すると、私は戻ってきて、カプセルの中で目を覚ました。


 大人一人分の人体をすっぽりと納められて尚、余裕があるくらいの、卵状の装置が横向きに置かれていて、上向にぱかっと上半分のからが持ち上げられて、その中で私は起き上がる。


 私は殻の端を跨いで、フローリングに素足で上がった。


 卵の内部に浸された水溶液が、素足を伝って、床に散らばり、間もなく溶け込むように消えていく。


 10m×20m×20mほどの直方体内部には、一見するとその卵型装置の他には何もなかったが、私が手をかざすとタオルが出現し、それで持って身体を拭き終える頃には、空間に突然クロゼットの竿が浮かび上がって、衣装が並んだ。


 行き過ぎた科学は得てして古代でいう魔法の技術になった。


 私が適当に着替えて、それらのインテリアを退けると、部屋は再び何もない直方体の内部に戻った。


 その音も物もない空間はいつも目にしているはずなのに、妙に白々しく思われた。


 ダイブのあとには良くある感覚だが、今回は水瀬 織姫の部屋で何年も過ごした記憶分、いつもより殊更ことさら強い。


 そうか。織姫の部屋は、ずっとこのイメージに沿っていたのだ。


 男として生まれ変わったときには、それをいだだけで病室のように殺風景なものになったものだ。


 織姫が私にそうさせてきたのだ。

 私が織姫の魂にそうさせてきたように。


 現代では既に魂のつながりというものは、時空を越えて、常に双方向で共有された思考であると解釈されている。


 デジャブはそのために起こる。

 並行世界、別の時間軸にいる自分の記憶が混ざった瞬間、というわけである。


 過去、現在、未来はそれぞれに相対的に影響を及ぼす。だから、未来からそれを知らない過去の思考に触れる際には、そのことを強く言及してはならないという制約ももちろんあるが、なにぶん思考というものは制御し難く漏れることも間々ある。それほどに大きな矛盾でないなら、未来に帰る時に自動で整合化されるし、重大なバグが発生するようなら、未来のソイツはもうこっちには帰ってこられなくなり、新しいルートによって発掘された新しいソイツが未来に出現するだけ。細分化された並行世界は、増え過ぎれば自動的に統合され、あるいは消去される。


 究極の自己自律システムがこの未来には構築されていた。


 世界と自分を切り離し、単一的に見ることで、世界への干渉をなくさせ、それがバタフライエフェクトを極力抑える役割をしている。


 私が手をかざすと、白い壁がぱらぱらと、ブラインドがめくれるようにして、一面に外の情景を映し出した。


 あかつきの時刻であった。

 無造作にビルディングが乱立する様は、古代からの違いがさして見当たらない。


 けれど、その上空に物理法則を無視して浮かべられ、湾曲したり、重力に反した角度に持ち上げられ、無秩序に絡み合った高架や、アドバルーンのように漂う人工微小天体の数々、道路や気流を意図せず飛び交う車輪の無い箱や、機械臭さを無くした人形、異形の生物たち。幹だけが異様に果てなく長く、自然を冒涜するような奇妙な葉や実をつけた樹々、何もない空間の中途から突然こぼれだす滝に、実際に触れて渡れる虹の橋などなど、細部を見れば、それは完全に自然を超越したファンタジーの世界観であった。


 目的である、その遥か郊外に安寧あんねいされる地球人類の冷凍保管庫、通常『プラネタリウム』と呼ばれる建物を見据える。


 人工太陽が部屋をオレンジ色に照らし出し、私はそこから世界を望んだ。


 武者震いがして、頬が楽しげに持ち上がる。


「さ、いい加減、終わらせようね。この醜い世界の延命を……」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ